貞観政要 / 礼楽
貞觀二年,中書舍人高季輔上疏曰:「竊見密王元曉等俱是懿親,陛下友愛之懷,義高古昔,分以車服,委以藩維,須依禮儀,以副瞻望。比見帝子拜諸叔,諸叔亦即答拜,王爵既同,家人有禮,豈合如此顛倒昭穆?伏願一垂訓誡,永循彜則。」太宗乃詔元曉等,不得答吳王恪、魏王泰兄弟拜。
新字:貞観二年,中書舎人高季輔上疏曰:「窃見密王元暁等倶是懿親,陛下友愛之懐,義高古昔,分以車服,委以藩維,須依礼儀,以副瞻望。比見帝子拝諸叔,諸叔亦即答拝,王爵既同,家人有礼,豈合如此顛倒昭穆?伏願一垂訓誡,永循彜則。」太宗乃詔元暁等,不得答呉王恪、魏王泰兄弟拝。
書き下し
貞観二年、中書舎人高季輔、疏を上りて曰く、「窃かに見るに、密王元暁等は倶に是れ懿親なり。陛下の友愛の懐、義は古昔より高し。分かつに車服を以てし、委ぬるに藩維を以てす。須らく礼儀に依り、以て瞻望に副(そ)うべし。比(このごろ)見るに、帝子は諸叔を拝す。諸叔も亦た即ち答拝す。王爵は既に同じく、家人に礼有り。豈に此くの如く昭穆を顛倒するに合わんや。伏して願わくは一たび訓誡を垂れ、永く彜則に循わん」と。太宗乃ち元暁等に詔して、呉王恪・魏王泰の兄弟の拝に答うるを得ざらしむ。
現代語訳
貞観二年、中書舎人の高季輔が上奏して言った。「ひそかに見ますに、密王李元暁らはみな近しい親族です。陛下の友愛の情は、義において古を超えています。車馬と衣服を分け与え、地方の守りを委ねられました。礼儀に従い、人々の期待に応えるべきです。近頃見ますに、皇帝の子が叔父たちに拝礼すると、叔父たちもすぐに答礼しています。王の爵位は同じでも、家族には礼があります。このように世代の序列を逆さにしてよいのでしょうか。伏して願わくは、一度戒めを示され、永く正しい法に従わせてください」。太宗はそこで李元暁らに詔して、呉王李恪や魏王李泰ら兄弟の拝礼に答えないようにさせた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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貞観政要・礼楽貞観十三年、礼部尚書王珪奏言す、「令に準ずるに、三品以上は、親王に路に遇うも、馬を下るに合わず。今、皆な法に違いて敬を申(の)ぶ。朝典に乖く有り」と。太宗曰く、「卿輩は自ら崇貴ならんと欲し、我が児子を卑しむか」と。魏徴対えて曰く、「漢・魏より已来、親王の班は皆な三公の下に次ぐ。今、三品は並びに天子の六尚書・九卿なり。王の為に馬を下るは、王の当たるに宜しからざる所なり。諸を故事に求むれば、則ち憑るべき無く、之を今に行えば、又た国憲に乖く。理は誠に不可なり」と。帝曰く、「国家の太子を立つるは、擬して以て君と為さんとす。人の修短は、老幼に在らず。設(も)し太子無くんば、則ち母弟次いで立つ。此を以て言えば、安くんぞ我が子を軽んずるを得んや」と。徴又た曰く、「殷人は質を尚ぶ。兄終わりて弟及ぶの義有り。周より已降、嫡を立つるに必ず長。庶孽の窺窬(きゆ)を絶ち、禍乱の源本を塞ぐ所以なり。国家を為むる者、宜しく深く慎むべき所なり」と。太宗遂に王珪の奏を可とす。
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貞観政要・太子諸王定分貞観十三年、諫議大夫褚遂良は、毎日特に魏王泰の府に給する料物、皇太子に逾(こ)ゆる有るを以て、疏を上りて諫めて曰く、「昔、聖人礼を制するに、嫡を尊び庶を卑しくす。之を儲君と謂い、道は霄極に亜(つ)ぐ。甚だ崇重と為す。物を用うるに計らず、泉貨財帛は、王者と之を共にす。庶子は体卑し。例と為すを得ず。嫌疑の漸を塞ぎ、禍乱の源を除く所以なり。而して先王は必ず人情に本づき、然る後に法を制す。国家有れば、必ず嫡庶有るを知ればなり。然れども庶子は愛すと雖も、嫡子を超越するを得ず。正礼は特に須らく尊崇すべし。如し明らかに定分を立つる能わずんば、遂に当に親しむべき者をして疎ならしめ、当に尊ぶべき者をして卑しからしむ。則ち佞巧の徒、機に乗じて動く。私恩は公を害し、或いは国を乱すに至る。伏して惟うに、陛下は功は万古に超え、道は百王に冠たり。号令を発施し、世の為に法を作す。一日万幾、或いは未だ美を尽くさずんば、臣が職は諫諍なり。静黙するを容るる無し。伏して見るに、儲君の料物、翻って魏王より少なし。朝野の見聞、以て是と為さず。『伝』に曰く、『臣聞く、子を愛せば教うるに義方を以てす』と。忠・孝・恭・倹は、義方の謂いなり。昔、漢の竇太后及び景帝は並びに義方の理を識らず。遂に梁の孝王を驕恣にし、四十余城に封じ、苑は方三百里。大いに宮室を営み、復道は望を弥(わた)る。財鏹を積むこと巨万を計る。出づるに警め入るに蹕(ひつ)す。小しく意を得ざれば、病を発して死す。宣帝も亦た淮陽王を驕恣にし、幾(ほとん)ど敗に至る。其の輔くるに退譲の臣を以てするに頼り、僅かに乃ち免るるを獲たり。且つ魏王は既に新たに閤を出づ。伏して願わくは恒に礼訓を存し、妙に師傅を択び、其の成敗を示せ。既に之を敦くするに節倹を以てし、又た之を勧むるに文学を以てす。惟れ忠惟れ孝、因りて之を奨むるに道徳斉礼を以てせば、乃ち良器と為らん。此れ所謂る聖人の教えは、粛(きび)しからずして成る者なり」と。太宗深く其の言を納る。
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貞観政要・礼楽貞観十四年、太宗礼官に謂いて曰く、「爨(かしぎ)を同じくするすら尚お緦麻(しま)の恩有り。而るに嫂叔に服無し。又た舅の姨に与(お)けるは、親疎相い似たり。而るに服の殊なる有り。未だ礼を得たりと為さず。宜しく学者を集めて詳議せしむべし。余に親は重くして服の軽き者有らば、亦た附して奏聞せよ」と。是の月、尚書八座と礼官と議を定めて曰く、
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貞観政要・尊敬師傅貞観十七年、太宗司徒長孫無忌・司空房玄齢に謂いて曰く、「三師は徳を以て人を道(みちび)く者なり。若し師の体卑しくんば、太子は則(のっと)る所無し」と。是に於て詔して太子の三師に接する儀註を撰せしむ。太子は殿門を出でて迎え、先ず三師を拝す。三師答拝す。門毎に三師に譲る。三師坐して、太子乃ち坐す。三師に書を与うるに、前は名して惶恐、後は名して惶恐再拝とす。
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貞観政要・礼楽貞観十二年、太宗侍臣に謂いて曰く、「古者、諸侯の入朝するに、湯沐の邑有り、芻禾百車、待するに客礼を以てす。昼は正殿に坐し、夜は庭燎を設く。与に相い見え、其の労苦を問わんと思う。又た漢家は京成にも亦た諸郡の為に邸舎を立つ。頃(このごろ)聞く、考使の京に至る者は、皆な房を賃(か)りて以て坐し、商人と雑居し、才かに身を容るるを得るのみ、と。既に待礼の足らず。必ず是れ人多く怨嘆せん。豈に肯えて情を共理に竭くさんや」と。乃ち京城の閑坊に就きて、諸州の考使の為に各々邸第を造らしむ。成るに及び、太宗親ら幸して観る。
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貞観政要・礼楽貞観五年、太宗侍臣に謂いて曰く、「仏道の教えを設くるは、本と善事を行わしむ。豈に僧尼・道士等をして妄りに自ら尊崇し、坐して父母の拝を受け、風俗を損害し、礼経を悖乱せしめんや。宜しく即ち禁断し、仍お父母に致拝せしむべし」と。
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