貞観政要 / 礼楽
太宗初即位,謂侍臣曰:「準《禮》,名,終將諱之。前古帝王,亦不生諱其名,故周文王名昌,《周詩》云:『克昌厥後。』春秋時魯莊公名同,十六年《經》書:『齊侯、宋公同盟於幽。』惟近代諸帝,妄為節制,特令生避其諱,理非通允,宜有改張。」因詔曰:「依《禮》,二名義不偏諱,尼父達聖,非無前指。近世以來,曲為節制,兩字兼避,廢闕已多,率意而行,有違經語。今宜依據禮典,務從簡約,仰效先哲,垂法將來,其官號人名,及公私文籍,有『世』及『民』兩字不連讀,並不須避。」
新字:太宗初即位,謂侍臣曰:「準《礼》,名,終将諱之。前古帝王,亦不生諱其名,故周文王名昌,《周詩》云:『克昌厥後。』春秋時魯荘公名同,十六年《経》書:『斉侯、宋公同盟於幽。』惟近代諸帝,妄為節制,特令生避其諱,理非通允,宜有改張。」因詔曰:「依《礼》,二名義不偏諱,尼父達聖,非無前指。近世以来,曲為節制,両字兼避,廃闕已多,率意而行,有違経語。今宜依拠礼典,務従簡約,仰効先哲,垂法将来,其官号人名,及公私文籍,有『世』及『民』両字不連読,並不須避。」
書き下し
太宗初めて即位す。侍臣に謂いて曰く、「『礼』に準ずるに、名は、終わりて将に之を諱(い)むべし。前古の帝王も、亦た生きて其の名を諱まず。故に周の文王は名は昌なり。『周詩』に云う、『克(よ)く厥(そ)の後を昌(さかん)にす』と。春秋の時、魯の荘公は名は同なり。十六年の『経』に書す、『斉侯・宋公、幽に同盟す』と。惟だ近代の諸帝のみ、妄りに節制を為し、特に生きて其の諱を避けしむ。理は通允に非ず。宜しく改張有るべし」と。因りて詔して曰く、「『礼』に依るに、二名は義として偏諱せず。尼父は聖に達す。前指無きに非ず。近世より以来、曲げて節制を為し、両字を兼ね避く。廃闕すること已に多し。意に率いて行い、経語に違う有り。今、宜しく礼典に依拠し、務めて簡約に従い、仰ぎて先哲に効(なら)い、法を将来に垂るべし。其の官号・人名、及び公私の文籍、『世』及び『民』の両字の連読せざる有らば、並びに避くるを須(もち)いず」と。
現代語訳
太宗が即位したばかりの頃、側近の臣に言った。「『礼記』によれば、名は、死後に諱むものだ。昔の帝王も、生きているうちに自分の名を諱ませなかった。だから周の文王の名は昌であったが、『詩経』に『よくその後を昌んにす』とある。春秋時代、魯の荘公の名は同であったが、十六年の『春秋』に『斉侯と宋公が幽で同盟した』とある。ただ近代の帝王だけが、みだりに制限を設け、特に生前から自分の名を避けさせた。道理として妥当でない。改めるべきだ」。そこで詔して言った。「『礼記』によれば、二字の名は、一字ずつを避けることはしない。孔子は聖に達しており、前例がないわけではない。近世以来、無理に制限を設け、二字とも避けている。そのために欠けることが多く、勝手に行って、経書の言葉に背いている。今、礼の典に拠り、努めて簡略にし、先の賢人に倣い、将来に法を垂れるべきだ。官職名や人名、公私の文書で、『世』と『民』の二字が続けて読まれないものは、避ける必要はない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『弁名』智命を知るとは、天命を知るなり。天の命ずる所何如を知るを謂ふなり。先王の道は、天に本づき、天命を奉じて以て之を行ふ。君子の道を学ぶも、亦た以て天職を奉ぜんと欲するのみ。我道を学び徳を成して爵至らず、是れ天我に命じて以て道を人に伝へしむるなり。君子は教学を以て事と為し、人知らずして慍らず、是れ之を命を知ると謂ふ。凡そ人の力は、及ぶ有り、及ばざる有り。強ひて其の力の及ばざる所の者を求むるは、不智の大なる者なり。故に曰く、「命を知らざれば、以て君子為ること無きなり」と。後儒或いは其の然る所以の理を知ると曰ひ、或いは吉凶禍福を知ると曰ひ、或いは名利得失に毫も心を動かさずと曰ふ。皆道を知らざる者の言のみ。
-
『翁問答』上卷之末かの病人悪寒発熱の病勢おとろへ本服しぬれば、常の人の如くに暑き寒さをおぼゆるものなり、その如く運命のいきをひおとろへて其分数極まりぬれば、必らず悪人は六極のがれ難く、善人は五福をうくるものなり、しかるゆへに盗跖は無病息災に難なくながいきして暮しぬる様なれども、おのれと六極の剛悪におちいりて、至誠無息の神理をうしなひ、万世不朽の悪名をながしぬれば、六極の報応さだかならずやまた顔子は箪瓢陋巷不幸短命なれども、五福の攸好徳をうけ、真楽の介福めでたく長在不滅の神理あきらかにして、万世きはまりなく、公爵の追贈四配の祭祀をうけ給ひぬれば、五福の嚮命あきらかならずや運命のいきおひによつて一旦見かけは福善禍淫の常にたがふやうなれども、畢竟しんじつの端的終には天命本然の常にたちかへるものなり、
-
『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段答ふ、其の一家一門の議は、皆々法を知らざるゆへなり。道有りて聚むる金銀は天命なり。天の賜ふ財を舎てず、天の命にそむかず、約を以て礼の本を守れり。又道を行ふ者は、他のそしりは、有るならひなり。孟子曰く、傷むこと無し、士は茲の多口に憎まる。詩に云ふ、憂心悄悄たり、群小に慍まると。孔子なりと。聖人の行ひは、小人の行ひに違へる故、衆の口の為に、孔子も譏りに逢ひ玉へり。又美食を好まざるは、身の分限なり。二汁五菜七菜などと云ふ重き料理は、下々のことにあらず。御上より品を分けて見ば、汝の親方の料理は、今少し奢にても有るべし。それを一門衆は、箸を取り初むる計りとは、分を知らざる奢る者なり。先づ飢饉年には、飯米の調へ代を借り、汝の親方の恵みにより飢ゑに及ばず、それを忘れ、身の分を知らず、
-
尚書・康誥惟れ命は常には于いてせず。
-
『初学訓』巻之三一人力を以て天命を得る道あり。士は、君に仕へてよく勤むれば、君の寵を得て、禄あつし。農は、田をつとめてよく作れば、秋のなりはひ多し。工商は、其家業をよくつとむれば富む。およそ、四民ともに、よくつとむれば家富む。古語にも、人生はつとめにあり、つとむれば乏しからず、といへり。又倹約を行ひて、濫りに財を費さざれば、よく家をたもちて貧しからず。又養生をよくつつしめば、命ながし。是皆、人力を以て天命を得る理あり。
-
『大和俗訓』巻之四・心術下一天命は天のくだす所、人のうくる所なり。命は猶令のごとしとて、下知の意なり。天よりくだる故に天命といふ。天命に常あり変あり。善を行へば福あり、悪をすれば禍あるは常なり。善人に禍あり。悪人に福あるは変なり。人の吉凶、禍福、寿夭、富貴貧賤、万の幸不幸、皆天の命ずる所なり。人間の万事、天命にあらざる事なし。或は生れつきて定まり、或は時により不慮に命くだりて、偶然として福にあひ、わざはひにあふ。求めても命なければ得がたく、求めざれども命あれば得やすし。唯人の法を行ひて、天命をまつべし。善を行ひて福来るは常の理なれども、もし禍あるは、是また天命の変なれば、うれふべからず。およそ人天命を知りて、命にまかせ、うれひなき工夫をなすべし。天命を知らざれば、命のさだまりありて、福の求めがたく、禍の去りがたき事を知らず。利につき、害をさけんとし、人にへつらひ、神にへつらふは見ぐるし。愚なりといふべし。故に論語に、命を知らざれば以て君子たること無きなりといへり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る