貞観政要 / 崇儒学
太宗初踐阼,即於正殿之左置弘文館,精選天下文儒,令以本官兼署學士,給以五品珍膳,更日宿直,以聽朝之隙引入內殿,討論墳典,商略政事,或至夜分乃罷。又詔勛賢三品以上子孫為弘文學生。
新字:太宗初践阼,即於正殿之左置弘文館,精選天下文儒,令以本官兼署學士,給以五品珍膳,更日宿直,以聴朝之隙引入內殿,討論墳典,商略政事,或至夜分乃罷。又詔勛賢三品以上子孫為弘文學生。
書き下し
太宗初めて阼(そ)を践む。即ち正殿の左に於て弘文館を置く。精しく天下の文儒を選び、本官を以て兼ねて学士に署せしむ。給するに五品の珍膳を以てし、日を更(かわ)るがわる宿直せしむ。聴朝の隙を以て内殿に引入し、墳典を討論し、政事を商略す。或いは夜分に至りて乃ち罷(や)む。又た詔して勲賢三品以上の子孫を弘文学生と為す。
現代語訳
太宗が即位すると、すぐに正殿の左に弘文館を置いた。天下の学者を厳選し、本来の官職に加えて学士に任じた。五品の官と同じ美食を与え、日ごとに交代で宿直させた。朝政の合間に内殿へ招き入れ、古典を論じ、政治を検討した。時には夜半に及んでようやく終わった。また詔して、功臣や三品以上の官の子孫を、弘文館の学生とした。
解説
崇儒学篇の冒頭です。即位して真っ先にしたのが、学者を集めることでした。しかも正殿のすぐ隣に置き、政務の合間に呼び入れて、夜半まで論じる。学ぶ場を、遠くではなく、最も近い場所に置いたのです。忙しくなるほど、学びは後回しになります。それを構造で防いだのです。