貞観政要 / 奢縦
太宗曰:「近令造小隨身器物,不意百姓遂有嗟怨,此則朕之過誤。」乃命停之。
新字:太宗曰:「近令造小随身器物,不意百姓遂有嗟怨,此則朕之過誤。」乃命停之。
書き下し
太宗曰く、「近ごろ小さき随身の器物を造らしむ。意わざりき、百姓に遂に嗟怨有らんとは。此れ則ち朕の過誤なり」と。乃ち命じて之を停む。
現代語訳
太宗は言った。「近頃、身の回りの小さな器物を造らせた。まさか民に怨嗟の声があるとは思わなかった。これは私の過ちだ」。そして命じて中止させた。
解説
「奢縦」篇を締めくくる章句です。太宗は「近頃、身の回りで使う小さな道具を造らせたところ、まさか民の間に怨み嘆く声が上がるとは思ってもみなかった。これは私の過ちだ」と述べ、すぐに造ることをやめさせました。太宗にとっては、ほんの些細な、身の回りの品物にすぎませんでした。だからこそ「まさか」という驚きの言葉が出てきます。上に立つ人にとっての小さなことが、それを実際に作り、運び、負担する下の人々にとっては決して小さくないのです。家庭でも、親にとっては何でもない頼み事が、子どもや家族にとっては大きな負担になっていることがあります。太宗が優れているのは、指摘を受けてすぐに中止を命じた点です。自分の感覚では大したことがないという思い込みこそが、最も危ういのだと気づき、素直に改めたのです。
この章句が説くこと
近令造小随身器物不意百姓遂有嗟怨上の小事は下の大事
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