貞観政要 / 奢縦
往者貞觀之初,率土霜儉,一匹絹才得粟一斗,而天下帖然。百姓知陛下甚憂憐之,故人人自安,曾無謗讟。自五六年來,頻歲豐稔,一匹絹得十餘石粟,而百姓皆以陛下不憂憐之,咸有怨言。又今所營為者,頗多不急之務故也。自古以來,國之興亡不由蓄積多少,惟在百姓苦樂。且以近事驗之,隋家貯洛口倉,而李密因之;東京積布帛,王世充據之;西京府庫亦為國家之用,至今未盡。向使洛口、東都無粟帛,即世充、李密未必能聚大眾。但貯積者固是國之常事,要當人有餘力而後收之。若人勞而強斂之,竟以資寇,積之無益也。然儉以息人,貞觀之初,陛下已躬為之,故今行之不難也。為之一日,則天下知之,式歌且舞矣。若人既勞矣,而用之不息,倘中國被水旱之災,邊方有風塵之警,狂狡因之竊發,則有不可測之事,非徒聖躬旰食晏寢而已。若以陛下之聖明,誠欲勵精為政,不煩遠求上古之術,但及貞觀之初,則天下幸甚。
新字:往者貞観之初,率土霜倹,一匹絹才得粟一斗,而天下帖然。百姓知陛下甚憂憐之,故人人自安,曽無謗讟。自五六年来,頻歳豊稔,一匹絹得十余石粟,而百姓皆以陛下不憂憐之,咸有怨言。又今所営為者,頗多不急之務故也。自古以来,国之興亡不由蓄積多少,惟在百姓苦楽。且以近事験之,隋家貯洛口倉,而李密因之;東京積布帛,王世充拠之;西京府庫亦為国家之用,至今未尽。向使洛口、東都無粟帛,即世充、李密未必能聚大衆。但貯積者固是国之常事,要当人有余力而後収之。若人労而強斂之,竟以資寇,積之無益也。然倹以息人,貞観之初,陛下已躬為之,故今行之不難也。為之一日,則天下知之,式歌且舞矣。若人既労矣,而用之不息,倘中国被水旱之災,辺方有風塵之警,狂狡因之窃発,則有不可測之事,非徒聖躬旰食晏寝而已。若以陛下之聖明,誠欲励精為政,不煩遠求上古之術,但及貞観之初,則天下幸甚。
書き下し
往者、貞観の初め、率土は霜倹なり。一匹の絹は才かに粟一斗を得たり。而して天下は帖然たり。百姓は陛下の甚だ之を憂憐するを知る。故に人人自ら安んじ、曾て謗讟無し。五六年より来、頻歳豊稔なり。一匹の絹は十余石の粟を得たり。而して百姓は皆な陛下の之を憂憐せざるを以て、咸な怨言有り。又た今、営為する所の者、頗る不急の務多きが故なり。古より以来、国の興亡は蓄積の多少に由らず、惟だ百姓の苦楽に在り。且つ近事を以て之を験するに、隋家は洛口倉に貯う。而して李密之に因る。東京に布帛を積む。王世充之に拠る。西京の府庫も亦た国家の用と為る。今に至るまで未だ尽きず。向(も)し洛口・東都に粟帛無からしめば、即ち世充・李密は未だ必ずしも能く大衆を聚めざらん。但だ貯積する者は固より是れ国の常事なり。要は当に人に余力有りて而る後に之を収むべし。若し人は労して強いて之を斂めば、竟に以て寇に資す。之を積むも益無きなり。然れども倹以て人を息(やす)ましむるは、貞観の初め、陛下已に躬ら之を為す。故に今、之を行うも難からざるなり。之を為すこと一日ならば、則ち天下之を知り、式(もっ)て歌い且つ舞わん。若し人は既に労し、而して之を用いて息(や)まずんば、倘(も)し中国が水旱の災を被り、辺方に風塵の警有り、狂狡之に因りて窃発せば、則ち測るべからざるの事有らん。徒らに聖躬の旰食晏寝するのみに非ざるなり。若し陛下の聖明を以て、誠に精を励まして政を為さんと欲せば、遠く上古の術を求むるを煩わさず。但だ貞観の初めに及ばば、則ち天下幸甚なり。
現代語訳
かつて貞観の初め、国中が凶作でした。絹一匹でようやく粟一斗しか得られなかった。それでも天下は落ち着いていました。民は陛下が深く憂え憐れんでおられると知っていたからです。だから人々は安んじ、謗る声もなかった。ところが五、六年来、毎年豊作です。絹一匹で十余石の粟が得られる。それなのに民はみな、陛下が憂え憐れんでおられないと思い、怨みの声を上げています。また今、造営していることに、急ぎでない事が多いからです。昔から、国の興亡は蓄えの多少によるのではなく、ただ民の苦楽にあります。近い例で確かめれば、隋は洛口の倉に貯えました。ところが李密がそれに拠りました。東京に布帛を積みました。王世充がそれに拠りました。西京の倉も国家の用となり、今に至るまで尽きていません。もし洛口や東都に穀物や布がなければ、王世充も李密も、大軍を集められなかったでしょう。蓄えることは国の常の事です。しかし要は、人に余力があってこそ収めるべきです。もし人が疲れているのに無理に取り立てれば、結局は賊の資となる。積んでも益はありません。しかし倹約して人を休ませることは、貞観の初め、陛下が自ら行われました。だから今、行うのも難しくありません。一日行えば、天下はそれを知り、歌い舞うでしょう。もし人がすでに疲れているのに使役をやめなければ、もし国内に水害や旱魃の災いがあり、辺境に警報があり、悪しき者がそれに乗じて蜂起すれば、測り知れない事が起きます。陛下が食事も睡眠も遅れるだけでは済みません。もし陛下の聡明さで、まことに励んで政治をされるなら、遠く上古の術を求める必要はありません。ただ貞観の初めに及べば、天下の幸いです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
貞観政要・奢縦今、百姓は喪乱の後を承け、隋の時に比すれば才(わず)かに十分の一なり。而して官の徭役に供すること、道路に相い継ぐ。兄去りて弟還り、首尾絶えず。遠き者は往来五六千里。春秋冬夏、略ぼ休む時無し。陛下は恩詔有りて、其の減省を令する毎に、而れども有司の作は既に廃せず。自然に人を須(もと)む。徒らに文書を行い、之を役すること故(もと)の如し。臣は毎に訪問す、四五年来、百姓は頗る怨嗟の言有り。陛下の之を存養せざるを以てなり。昔、唐堯は茅茨土階、夏禹は悪衣菲食。此くの如きの事は、臣は復た今に行うべからざるを知る。漢の文帝は百金の費を惜しみ、露台の役を輟(や)む。上書の囊を集めて以て殿帷と為す。幸する所の夫人は衣は地を曳かず。景帝に至りては、錦繡綦組(きそ)の女工を妨害するを以て、特に詔して之を除く。百姓の安楽なる所以なり。孝武帝に至りては、奢を窮め侈を極むと雖も、而れども文・景の遺徳を承く。故に人心動かず。向(も)し高祖の後に即ち武帝有らしめば、天下は必ず全うする能わざらん。此れ時代に於て差(やや)近し。事跡は見るべし。今、京師及び益州の諸処に営造供奉する器物、並びに諸王妃主の服飾は、議する者は皆な以て倹と為さず。臣聞く、昧旦に丕(おお)いに顕るるも、後世は猶お怠る。法を理に作るも、其の弊は猶お乱る、と。陛下は少(わか)くして民間に処り、百姓の辛苦を知る。前代の成敗は、目に親しく見る所なり。尚お猶お此くの如し。而して皇太子は深宮に生長し、外事を更(へ)ず。即ち万歳の後、固より聖慮の当に憂うべき所なり。
-
貞観政要・辨興亡貞観二年、太宗黄門侍郎王珪に謂いて曰く、「隋の開皇十四年、大旱にして、人は多く饑乏す。是の時、倉庫は盈溢す。竟に賑給を許さず。乃ち百姓をして糧を逐わしむ。隋文は百姓を憐れまずして倉庫を惜しむ。末年に至るに比し、天下の儲積を計るに、五六十年に供するを得たり。煬帝は此の富饒を恃む。奢華無道なる所以なり。遂に滅亡を致す。煬帝の国を失うも、亦た此に由る。凡そ国を理むる者は、務めて人に積む。其の倉庫を盈たすに在らず。古人云う、『百姓足らずんば、君孰(たれ)と与に足らんや』と。但だ倉庫をして凶年に備うべからしめば、此の外、何ぞ儲蓄を煩わさんや。後嗣若し賢ならば、自ら能く其の天下を保たん。如し其れ不肖ならば、多く倉庫に積むは、徒らに其の奢侈を益すのみ。危亡の本なり」と。
-
貞観政要・奢縦臣は歴(あまね)く前代を睹(み)るに、夏・殷・周及び漢氏の天下を有するより、祚を伝えて相い継ぐこと、多き者は八百余年、少なき者も猶お四五百年なり。皆な徳を積み業を累ね、恩は人心に結ぶと為す。豈に僻王無からんや。前哲に頼りて以て免るるのみ。魏・晋より以還、降りて周・隋に及ぶまでは、多き者も五六十年に過ぎず、少なき者は才(わず)かに二三十年にして亡ぶ。良に創業の君の恩化を広むるに務めず、当時は僅かに能く自ら守るも、後に遺徳の思うべき無きに由る。故に伝嗣の主は政教少しく衰え、一夫大呼して天下土崩す。今、陛下は大功を以て天下を定むと雖も、而れども積徳は日浅し。固より当に禹・湯・文・武の道を崇び、広く徳化を施し、恩をして余地有らしめ、子孫の為に万代の基を立つべし。豈に但だ政教をして失無からしめ、以て当年を持するのみを欲せんや。且つ古より明王聖主は、人に因りて教えを設け、寛猛は時に随うと雖も、而れども大要は身に節倹し、恩を人に加うるの二者を以て是れ務む。故に其の下は之を愛すること父母の如く、之を仰ぐこと日月の如く、之を敬すること神明の如く、之を畏るること雷霆の如し。此れ其の祚を卜すること遐長にして禍乱作らざる所以なり。
-
貞観政要・征伐窃かに見るに、頃年より以来、力役は兼総す。東に遼海の軍有り、西に昆丘の役有り。士馬は甲冑に疲れ、舟車は転輸に倦む。且つ召募役戍は、去留に死生の痛みを懐く。風に因り浪に阻まれ、人と米とに漂溺の危有り。一夫、力めて耕すも、年に数十の獲無し。一船、損を致さば、則ち数百の糧を傾覆す。是れ猶お尽くる有るの農功を運びて、窮まり無きの巨浪を填(うず)むるがごとし。未だ獲ざるの他衆を図りて、已に成れるの我が軍を喪う。凶を除き暴を伐つは、国を有つの常規なりと雖も、然れども武を黷(けが)し兵を玩ぶは、先哲の戒むる所なり。昔、秦皇は六国を並吞す。反って危禍の基を速(まね)く。晋武は三方を奄有す。翻って覆敗の業を成す。豈に功を矜り大を恃み、徳を棄て邦を軽んじ、利を図りて害を忘れ、情を肆にし欲を縦にするに非ずや。遂に悠悠たる六合をして、広しと雖も其の亡を救わず、嗷嗷たる黎庶をして、弊に因りて以て其の禍を成さしむ。是れ知る、地の広きは常安の術に非ず、人の労するは乃ち乱れ易きの源なり。願わくは陛下、沢を布き人に流し、弊を矜れみ乏を恤(あわ)れみ、行役の煩を減じ、雨露の恵を増せ。
-
貞観政要・倹約貞観四年、太宗侍臣に謂いて曰く、「宮宇を崇飾し、池台に遊賞するは、帝王の欲する所、百姓の欲せざる所なり。帝王の欲する所の者は放逸、百姓の欲せざる所の者は労弊なり。孔子云う、『一言にして以て終身之を行うべき者有るか。其れ恕か。己の欲せざる所、人に施す勿かれ』と。労弊の事は、誠に百姓に施すべからず。朕は尊きこと帝王と為り、富は四海を有す。事毎に己に由る。誠に能く自ら節せん。若し百姓の欲せずんば、必ず能く其の情に順わん」と。魏徴曰く、「陛下は本と百姓を憐れみ、毎に己を節して以て人に順う。臣聞く、『欲を以て人に従う者は昌え、人を以て己を楽しましむる者は亡ぶ』と。隋の煬帝は志は無厭に在り、惟だ奢侈を好む。所司、供奉営造有る毎に、小しく意に称(かな)わずんば、則ち峻罰厳刑有り。上の好む所は、下必ず甚だしき有り。競いて無限を為し、遂に滅亡に至る。此れ書籍の伝うる所に非ず。亦た陛下の目に親しく見る所なり。其の無道なるが為に、故に天は陛下に命じて之に代わらしむ。陛下若し以て足れりと為さば、今日啻(ただ)に足るのみならず。若し以て足らずと為さば、更に万倍此に過ぐるも、亦た足らず」と。太宗曰く、「公の奏対する所は甚だ善し。公に非ずんば、朕安くんぞ此の言を聞くを得んや」と。
-
貞観政要・政体太宗即位の始めより、霜旱(そうかん)災を為し、米穀踴貴(ようき)す。突厥侵擾し、州県騒然たり。帝の志は人を憂うるに在り、精を鋭くして政を為し、節倹を崇尚し、大いに恩徳を布(し)く。是の時、京師より河東・河南・隴右に及ぶまで、饑饉尤も甚だし。一匹の絹、纔(わず)かに一斗の米を得るのみ。百姓は東西に食を逐うと雖も、未だ嘗て嗟怨(さえん)せず。自ら安んぜざる莫し。貞観三年に至り、関中豊熟す。咸(みな)自ら郷に帰る。竟に一人の逃散する無し。其の人心を得ること此くの如し。加うるに諫に従うこと流るるが如く、雅(つね)に儒術を好み、孜孜として士を求め、務めて官を択ぶに在り。旧弊を改革し、制度を興復す。一事に因る毎に、類に触れて善を為す。初め、息隠(そくいん)・海陵の党、同謀して太宗を害せんとする者、数百千人なり。事寧(しず)まりて後、引きて左右近侍に居らしむ。心術豁然として、疑阻有らず。時論以為(おも)えらく、能く大事を断決し、帝王の体を得たり、と。深く官吏の貪濁を悪(にく)む。法を枉(ま)げて財を受くる者有らば、必ず赦免する無し。京に在る流外にして贓(ぞう)を犯す者有らば、皆な執奏せしめ、其の犯す所に随い、寘(お)くに重法を以てす。是に由りて官吏は多く自ら清謹なり。王公・妃主の家、大姓豪猾の伍を制馭す。皆な威を畏れて跡を屏(しりぞ)け、敢えて細人を侵欺する無し。商旅は野に次(やど)るも、復た盗賊無し。囹圄(れいご)は常に空しく、馬牛は野に布(し)き、外戸閉ざさず。又た頻りに豊稔を致し、米は斗三四銭。行旅は京師より嶺表に至り、山東より滄海に至るまで、皆な糧を賫(もた)らさず、給を路に取る。山東の村落に入れば、行客の経過する者、必ず厚く供待を加え、或いは発する時に贈遺(ぞうい)有り。此れ皆な古昔にも未だ有らざるなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る