貞観政要 / 奢縦
今百姓承喪亂之後,比於隋時才十分之一,而供官徭役,道路相繼,兄去弟還,首尾不絕。遠者往來五六千裏,春秋冬夏,略無休時。陛下雖每有恩詔,令其減省,而有司作既不廢,自然須人,徒行文書,役之如故。臣每訪問,四五年來,百姓頗有怨嗟之言,以陛下不存養之。昔唐堯茅茨土階,夏禹惡衣菲食。如此之事,臣知不復可行於今。漢文帝惜百金之費,輟露臺之役,集上書囊以為殿帷,所幸夫人衣不曳地。至景帝以錦繡綦組妨害女工,特詔除之,所以百姓安樂。至孝武帝,雖窮奢極侈,而承文、景遺德,故人心不動。向使高祖之後即有武帝,天下必不能全。此於時代差近,事跡可見。今京師及益州諸處營造供奉器物,並諸王妃主服飾,議者皆不以為儉。臣聞昧旦丕顯,後世猶怠,作法於理,其弊猶亂。陛下少處民間,知百姓辛苦,前代成敗,目所親見,尚猶如此,而皇太子生長深宮,不更外事,即萬歲之後,固聖慮所當憂也。
新字:今百姓承喪乱之後,比於隋時才十分之一,而供官徭役,道路相継,兄去弟還,首尾不絶。遠者往来五六千裏,春秋冬夏,略無休時。陛下雖毎有恩詔,令其減省,而有司作既不廃,自然須人,徒行文書,役之如故。臣毎訪問,四五年来,百姓頗有怨嗟之言,以陛下不存養之。昔唐堯茅茨土階,夏禹悪衣菲食。如此之事,臣知不復可行於今。漢文帝惜百金之費,輟露台之役,集上書嚢以為殿帷,所幸夫人衣不曳地。至景帝以錦繍綦組妨害女工,特詔除之,所以百姓安楽。至孝武帝,雖窮奢極侈,而承文、景遺徳,故人心不動。向使高祖之後即有武帝,天下必不能全。此於時代差近,事跡可見。今京師及益州諸処営造供奉器物,並諸王妃主服飾,議者皆不以為倹。臣聞昧旦丕顕,後世猶怠,作法於理,其弊猶乱。陛下少処民間,知百姓辛苦,前代成敗,目所親見,尚猶如此,而皇太子生長深宮,不更外事,即万歳之後,固聖慮所当憂也。
書き下し
今、百姓は喪乱の後を承け、隋の時に比すれば才(わず)かに十分の一なり。而して官の徭役に供すること、道路に相い継ぐ。兄去りて弟還り、首尾絶えず。遠き者は往来五六千里。春秋冬夏、略ぼ休む時無し。陛下は恩詔有りて、其の減省を令する毎に、而れども有司の作は既に廃せず。自然に人を須(もと)む。徒らに文書を行い、之を役すること故(もと)の如し。臣は毎に訪問す、四五年来、百姓は頗る怨嗟の言有り。陛下の之を存養せざるを以てなり。昔、唐堯は茅茨土階、夏禹は悪衣菲食。此くの如きの事は、臣は復た今に行うべからざるを知る。漢の文帝は百金の費を惜しみ、露台の役を輟(や)む。上書の囊を集めて以て殿帷と為す。幸する所の夫人は衣は地を曳かず。景帝に至りては、錦繡綦組(きそ)の女工を妨害するを以て、特に詔して之を除く。百姓の安楽なる所以なり。孝武帝に至りては、奢を窮め侈を極むと雖も、而れども文・景の遺徳を承く。故に人心動かず。向(も)し高祖の後に即ち武帝有らしめば、天下は必ず全うする能わざらん。此れ時代に於て差(やや)近し。事跡は見るべし。今、京師及び益州の諸処に営造供奉する器物、並びに諸王妃主の服飾は、議する者は皆な以て倹と為さず。臣聞く、昧旦に丕(おお)いに顕るるも、後世は猶お怠る。法を理に作るも、其の弊は猶お乱る、と。陛下は少(わか)くして民間に処り、百姓の辛苦を知る。前代の成敗は、目に親しく見る所なり。尚お猶お此くの如し。而して皇太子は深宮に生長し、外事を更(へ)ず。即ち万歳の後、固より聖慮の当に憂うべき所なり。
現代語訳
今、民は戦乱の後を受け、隋の時と比べてわずか十分の一です。それなのに官の労役に従事する者が、道に絶えません。兄が去れば弟が戻り、途切れることがない。遠い者は往復五、六千里。春夏秋冬、休む時がほとんどない。陛下が恩詔を下し、削減を命じられても、役所の工事は止まない。当然、人が要る。ただ文書だけが動き、労役は元のままです。臣が尋ね回りますと、この四、五年、民にはかなり怨嗟の声があります。陛下が養い育てておられないからだと。昔、唐堯は茅葺きの屋根に土の階段、夏の禹は粗末な衣と乏しい食事でした。こうしたことは、今日行えないと臣も知っています。漢の文帝は百金の費用を惜しみ、露台の工事をやめました。上書の袋を集めて宮殿の帳としました。寵愛する夫人の衣は、裾が地を引かなかった。景帝に至っては、錦の刺繍が女性の仕事を妨げるからと、特に詔して除きました。だから民は安楽だったのです。武帝に至っては、奢りを極めましたが、文帝・景帝の遺徳を受け継いだので、人心は動きませんでした。もし高祖の後にすぐ武帝が出ていたら、天下は保てなかったでしょう。これは時代も比較的近く、事跡も見て取れます。今、都や益州の各地で造営し献上する器物、諸王や妃の服飾は、議論する者がみな倹約とは思っていません。臣はこう聞いております。夜明け前から励んで大いに輝いても、後世はなお怠る。道理に基づいて法を作っても、その弊害はなお乱れる、と。陛下は若くして民間におられ、民の辛苦を知っておられる。前代の成敗も、自ら目で見られた。それでもなおこうです。皇太子は深宮に育ち、外の事を経験していない。陛下の万歳の後こそ、憂えるべきところです。
解説
この章句が説くこと
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貞観政要・奢縦往者、貞観の初め、率土は霜倹なり。一匹の絹は才かに粟一斗を得たり。而して天下は帖然たり。百姓は陛下の甚だ之を憂憐するを知る。故に人人自ら安んじ、曾て謗讟無し。五六年より来、頻歳豊稔なり。一匹の絹は十余石の粟を得たり。而して百姓は皆な陛下の之を憂憐せざるを以て、咸な怨言有り。又た今、営為する所の者、頗る不急の務多きが故なり。古より以来、国の興亡は蓄積の多少に由らず、惟だ百姓の苦楽に在り。且つ近事を以て之を験するに、隋家は洛口倉に貯う。而して李密之に因る。東京に布帛を積む。王世充之に拠る。西京の府庫も亦た国家の用と為る。今に至るまで未だ尽きず。向(も)し洛口・東都に粟帛無からしめば、即ち世充・李密は未だ必ずしも能く大衆を聚めざらん。但だ貯積する者は固より是れ国の常事なり。要は当に人に余力有りて而る後に之を収むべし。若し人は労して強いて之を斂めば、竟に以て寇に資す。之を積むも益無きなり。然れども倹以て人を息(やす)ましむるは、貞観の初め、陛下已に躬ら之を為す。故に今、之を行うも難からざるなり。之を為すこと一日ならば、則ち天下之を知り、式(もっ)て歌い且つ舞わん。若し人は既に労し、而して之を用いて息(や)まずんば、倘(も)し中国が水旱の災を被り、辺方に風塵の警有り、狂狡之に因りて窃発せば、則ち測るべからざるの事有らん。徒らに聖躬の旰食晏寝するのみに非ざるなり。若し陛下の聖明を以て、誠に精を励まして政を為さんと欲せば、遠く上古の術を求むるを煩わさず。但だ貞観の初めに及ばば、則ち天下幸甚なり。
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貞観政要・奢縦臣は歴(あまね)く前代を睹(み)るに、夏・殷・周及び漢氏の天下を有するより、祚を伝えて相い継ぐこと、多き者は八百余年、少なき者も猶お四五百年なり。皆な徳を積み業を累ね、恩は人心に結ぶと為す。豈に僻王無からんや。前哲に頼りて以て免るるのみ。魏・晋より以還、降りて周・隋に及ぶまでは、多き者も五六十年に過ぎず、少なき者は才(わず)かに二三十年にして亡ぶ。良に創業の君の恩化を広むるに務めず、当時は僅かに能く自ら守るも、後に遺徳の思うべき無きに由る。故に伝嗣の主は政教少しく衰え、一夫大呼して天下土崩す。今、陛下は大功を以て天下を定むと雖も、而れども積徳は日浅し。固より当に禹・湯・文・武の道を崇び、広く徳化を施し、恩をして余地有らしめ、子孫の為に万代の基を立つべし。豈に但だ政教をして失無からしめ、以て当年を持するのみを欲せんや。且つ古より明王聖主は、人に因りて教えを設け、寛猛は時に随うと雖も、而れども大要は身に節倹し、恩を人に加うるの二者を以て是れ務む。故に其の下は之を愛すること父母の如く、之を仰ぐこと日月の如く、之を敬すること神明の如く、之を畏るること雷霆の如し。此れ其の祚を卜すること遐長にして禍乱作らざる所以なり。
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貞観政要・倹約貞観四年、太宗侍臣に謂いて曰く、「宮宇を崇飾し、池台に遊賞するは、帝王の欲する所、百姓の欲せざる所なり。帝王の欲する所の者は放逸、百姓の欲せざる所の者は労弊なり。孔子云う、『一言にして以て終身之を行うべき者有るか。其れ恕か。己の欲せざる所、人に施す勿かれ』と。労弊の事は、誠に百姓に施すべからず。朕は尊きこと帝王と為り、富は四海を有す。事毎に己に由る。誠に能く自ら節せん。若し百姓の欲せずんば、必ず能く其の情に順わん」と。魏徴曰く、「陛下は本と百姓を憐れみ、毎に己を節して以て人に順う。臣聞く、『欲を以て人に従う者は昌え、人を以て己を楽しましむる者は亡ぶ』と。隋の煬帝は志は無厭に在り、惟だ奢侈を好む。所司、供奉営造有る毎に、小しく意に称(かな)わずんば、則ち峻罰厳刑有り。上の好む所は、下必ず甚だしき有り。競いて無限を為し、遂に滅亡に至る。此れ書籍の伝うる所に非ず。亦た陛下の目に親しく見る所なり。其の無道なるが為に、故に天は陛下に命じて之に代わらしむ。陛下若し以て足れりと為さば、今日啻(ただ)に足るのみならず。若し以て足らずと為さば、更に万倍此に過ぐるも、亦た足らず」と。太宗曰く、「公の奏対する所は甚だ善し。公に非ずんば、朕安くんぞ此の言を聞くを得んや」と。
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貞観政要・規諫太子臣聞く、倹に克ちて用を節するは、実に道を弘むるの源なり。侈を崇び情を恣にするは、乃ち徳を敗るの本なり。是を以て雲を凌ぎ日を概(かす)むるは、戎人是に於て譏りを致す。宇を峻くし牆を雕るは、『夏書』之を以て誡と作す。昔、趙盾は晋を匡し、呂望は周に師たり。或いは之に勧むるに財を節するを以てし、或いは之を諫むるに斂を厚くするを以てす。忠を尽くして以て国を佐け、誠を竭くして以て君に奉ぜざるは莫し。茂実を無窮に播き、英声を物聴に被らしめんと欲す。咸な簡策に著し、用て美談と為す。且つ今、居る所の東宮は、隋の日の営建なり。之を睹る者は尚お其の侈を譏り、之を見る者は猶お甚だ華なるを歎ず。何ぞ此の中に於て更に修造有るを容れ、財帛は日に費え、土木は停まらず、斤斧の工を窮め、磨礱(まろう)の妙を極めんや。且つ丁匠・官奴の内に入るに、比者(このごろ)曾て復た監する無し。此等は或いは兄は国章を犯し、或いは弟は王法に罹る。御苑に往来し、禁闈に出入す。鉗鑿は其の身に縁り、槌杵は其の手に在り。監門は本と非慮を防ぎ、宿衛は以て不虞に備う。直長は既に自ら知らず、千牛も又復た見ず。爪牙は外に在り、廝役は内に在り。所司は何を以て自ら安んぜん。臣下は豈に懼るる無きを容れんや。
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貞観政要・征伐窃かに見るに、頃年より以来、力役は兼総す。東に遼海の軍有り、西に昆丘の役有り。士馬は甲冑に疲れ、舟車は転輸に倦む。且つ召募役戍は、去留に死生の痛みを懐く。風に因り浪に阻まれ、人と米とに漂溺の危有り。一夫、力めて耕すも、年に数十の獲無し。一船、損を致さば、則ち数百の糧を傾覆す。是れ猶お尽くる有るの農功を運びて、窮まり無きの巨浪を填(うず)むるがごとし。未だ獲ざるの他衆を図りて、已に成れるの我が軍を喪う。凶を除き暴を伐つは、国を有つの常規なりと雖も、然れども武を黷(けが)し兵を玩ぶは、先哲の戒むる所なり。昔、秦皇は六国を並吞す。反って危禍の基を速(まね)く。晋武は三方を奄有す。翻って覆敗の業を成す。豈に功を矜り大を恃み、徳を棄て邦を軽んじ、利を図りて害を忘れ、情を肆にし欲を縦にするに非ずや。遂に悠悠たる六合をして、広しと雖も其の亡を救わず、嗷嗷たる黎庶をして、弊に因りて以て其の禍を成さしむ。是れ知る、地の広きは常安の術に非ず、人の労するは乃ち乱れ易きの源なり。願わくは陛下、沢を布き人に流し、弊を矜れみ乏を恤(あわ)れみ、行役の煩を減じ、雨露の恵を増せ。
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貞観政要・倹約貞観元年、太宗侍臣に謂いて曰く、「古より帝王、凡そ興造有らば、必ず須らく物情に順うを貴ぶべし。昔、大禹は九山を鑿ち、九江を通ず。人力を用うること極めて広し。而して怨讟(えんとく)無き者は、物情の欲する所にして、衆の共に有する所なるが故なり。秦の始皇は宮室を営建す。而して人の謗議する者多きは、其の私欲に徇(したが)い、衆と共にせざるが故なり。朕は今、一殿を造らんと欲す。材木已に具わる。遠く秦皇の事を想い、遂に復た作さざるなり。古人云う、『無益を作して有益を害せず』と。『欲すべきを見ざれば、民の心をして乱れざらしむ』と。固より知る、欲すべきを見れば、其の心必ず乱るるを。器物を雕鏤し、珠玉服玩するが如きに至りては、若し其の驕奢を恣にせば、則ち危亡の期は立ちどころに待つべきなり。王公より以下、第宅・車服・婚嫁・喪葬、品秩に準じて服用に合わざる者は、宜しく一切禁断すべし」と。是に由りて二十年の間、風俗は簡朴、衣に錦繡無く、財帛は富饒にして、饑寒の弊無し。
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