貞観政要 / 杜讒邪
貞觀七年,太宗幸蒲州。刺史趙元楷課父老服黃紗單衣,迎謁路左,盛飾廨宇,修營樓雉以求媚;又潛飼羊百餘口、魚數千頭,將饋貴戚。太宗知,召而數之曰:「朕巡省河、洛,經歷數州,凡有所須,皆資官物。卿為飼羊養魚,雕飾院宇,此乃亡隋弊俗,今不可復行。當識朕心,改舊態也。」以元楷在隋邪佞,故太宗發此言以戒之。元楷慚懼,數日不食而卒。
新字:貞観七年,太宗幸蒲州。刺史趙元楷課父老服黄紗単衣,迎謁路左,盛飾廨宇,修営楼雉以求媚;又潜飼羊百余口、魚数千頭,将饋貴戚。太宗知,召而数之曰:「朕巡省河、洛,経歴数州,凡有所須,皆資官物。卿為飼羊養魚,雕飾院宇,此乃亡隋弊俗,今不可復行。当識朕心,改旧態也。」以元楷在隋邪佞,故太宗発此言以戒之。元楷慚懼,数日不食而卒。
書き下し
貞観七年、太宗蒲州に幸す。刺史趙元楷は父老に課して黄紗の単衣を服せしめ、路の左に迎謁す。盛んに廨宇を飾り、楼雉を修営して以て媚を求む。又た潜かに羊百余口、魚数千頭を飼い、将に貴戚に饋(おく)らんとす。太宗知りて、召して之を数(せ)めて曰く、「朕は河・洛を巡省し、数州を経歴す。凡そ須(もと)むる所有らば、皆な官物に資る。卿は羊を飼い魚を養い、院宇を雕飾するを為す。此れ乃ち亡隋の弊俗なり。今、復た行うべからず。当に朕の心を識り、旧態を改むべきなり」と。元楷の隋に在りて邪佞なるを以て、故に太宗は此の言を発して以て之を戒む。元楷は慚懼し、数日食らわずして卒す。
現代語訳
貞観七年、太宗が蒲州に行幸した。刺史の趙元楷は長老たちに黄色い薄絹の単衣を着せ、道の左に出迎えさせた。役所を華やかに飾り、楼閣を修築して機嫌を取ろうとした。また密かに羊百余頭、魚数千匹を飼い、皇族に贈ろうとした。太宗はこれを知り、召して責めた。「私は黄河・洛水を巡り、数州を経てきた。必要なものは、すべて官の物で賄っている。あなたは羊を飼い魚を養い、役所を飾り立てた。これは滅んだ隋の悪しき習わしだ。今、再び行ってはならない。私の心を知り、古い態度を改めよ」。趙元楷が隋の時代に佞臣だったので、太宗はこう言って戒めた。趙元楷は恥じ恐れ、数日食べずに死んだ。
解説
この章句が説くこと
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貞観政要・行幸貞観十二年、太宗東のかた巡狩し、将に洛に入らんとす。顕仁宮に次(やど)る。宮苑の官司、多く責罰を被る。侍中魏徴進言して曰く、「陛下、今、洛州に幸す。是れ旧の征行の処なるが為に、其の安定を庶(こいねが)い、故に恩を故老に加えんと欲す。城郭の民は未だ徳恵を蒙らず。官司苑監は多く罪辜に及ぶ。或いは供奉の物の精ならざるを以てし、又た献食を為さざるを以てす。此れ則ち止足を思わず、志は奢靡に在り。既に行幸の本心に乖く。何を以て百姓の望む所に副わんや。隋主は先に下に命じて多く献食を作らしむ。献食多からずんば、則ち威罰有り。上の好む所は、下必ず甚だしき有り。競いて無限を為し、遂に滅亡に至る。此れ載籍の聞く所に非ず。陛下の目に親しく見る所なり。其の無道なるが為に、故に天は陛下に命じて之に代わらしむ。当に戦戦栗栗として、事毎に省約し、蹤を前列に参じ、子孫に昭訓すべし。奈何ぞ今日、人の下に在らんと欲するや。陛下若し以て足れりと為さば、今日啻(ただ)に足るのみならず。若し以て足らずと為さば、此に万倍するも、亦た足らざるなり」と。太宗大いに驚きて曰く、「公に非ずんば、朕は此の言を聞かず。今より已後、庶幾(ちか)くは此くの如き事無からん」と。
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貞観政要・畋猟貞観十一年、太宗侍臣に謂いて曰く、「朕は昨、懐州に往く。封事を上る者有りて云う、『何為れぞ恒に山東の衆丁を苑内の営造に差(つか)わすや。即日の徭役、隋時に下らざるに似たり。懐・洛以東、残人は其の命に堪えず。而して田猟なお数(しばしば)なり。驕逸の主なり。今者、復た懐州に来たりて田猟す。忠諫は復た洛陽に至らざらん』と。四時に蒐田するは、既に是れ帝王の常礼なり。今日の懐州は、秋毫も百姓に干(おか)さず。凡そ書を上りて諫正するは、自ら常準有り。臣は詞有るを貴び、主は能く改むるを貴ぶ。斯くの如き詆毀(ていき)は、咒詛(じゅそ)に似たる有り」と。侍中魏徴奏して称す、「国家は直言の路を開く。所以に封事を上る者は尤も多し。陛下は親ら自ら披閲す。或いは臣の言の取るべきを冀(こいねが)う。所以に僥幸の士は其の醜を肆にするを得たり。臣の其の君を諫むるは、甚だ折衷を須(もち)う。従容として諷諫すべし。漢の元帝、嘗て酎を以て宗廟を祭る。便門を出で、楼船に御せんとす。御史大夫薛広徳は乗輿に当たり、冠を免(ぬ)ぎて曰く、『宜しく橋に従うべし。陛下、臣の言を聴かずんば、臣は自刎して、頸血を以て車輪を汚さん。陛下は廟に入らざらん』と。元帝は悦ばず。光禄卿張猛進みて曰く、『臣聞く、主聖なれば臣直し、と。船に乗るは危うく、橋に就くは安し。聖主は危うきに乗らず。広徳の言は聴くべし』と。元帝曰く、『人を暁すは当に是くの如くなるべきか』と。乃ち橋に従う。此を以て言えば、張猛は直臣の君を諫むる者と謂うべし」と。太宗大いに悦ぶ。
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貞観政要・杜讒邪貞観の初め、太宗侍臣に謂いて曰く、「朕は前代を観るに、讒佞の徒は、皆な国の蟊賊(ぼうぞく)なり。或いは巧言令色、朋党比周す。暗主庸君の若きは、之を以て迷惑せざる莫し。忠臣孝子の血に泣き冤を銜(ふく)む所以なり。故に叢蘭茂らんと欲すれば、秋風之を敗る。王者明らかならんと欲すれば、讒人之を蔽う。此の事は史籍に著る。具さに道う能わず。斉・隋の間の讒譖の事の如きに至りては、耳目の接する所の者、略ぼ公等と之を言わん。斛律明月は、斉朝の良将なり。威は敵国を震わす。周家は毎歳、汾河の氷を斫(き)り、斉兵の西渡を慮る。明月の祖孝徴の讒構する所と被りて伏誅せらるるに及び、周人は始めて斉を吞むの意有り。高熲は経国の大才有り。隋の文帝の為に覇業を賛成す。国政を知る者二十余載。天下は頼りて以て安寧なり。文帝は惟だ婦言のみ是れ聴き、特に擯斥せしむ。煬帝の殺す所と為るに及び、刑政は是に由りて衰壊す。又た隋の太子勇は軍を撫し国を監すること、凡そ二十年間。固より亦た早く定分有り。楊素は主を欺き上を罔(あざむ)き、良善を賊害す。父子の道をして一朝にして天性に滅せしむ。逆乱の源、此より開く。隋文は既に嫡庶を混淆し、竟に禍は其の身に及ぶ。社稷も尋いで亦た覆敗す。古人云う『世乱るれば則ち讒勝つ』と。誠に妄言に非ず。朕は毎に微を防ぎ漸を杜(ふさ)ぎ、用て讒構の端を絶つ。猶お恐る、心力の至らざる所、或いは覚悟する能わざるを。前史に云う、『猛獣、山林に処れば、藜藿(れいかく)も之が為に采られず。直臣、朝廷に立てば、奸邪も之が為に謀を寝(や)む』と。此れ実に朕が群公に望む所なり」と。魏徴曰く、「『礼』に云う、『其の睹(み)ざる所に戒慎し、其の聞かざる所に恐懼す』と。『詩』に云う、『愷悌なる君子、讒言を信ずる無かれ。讒言は極まり罔(な)く、四国を交々(こもごも)乱す』と。又た孔子曰く、『利口の邦家を覆すを悪む』と。蓋し此が為なり。臣嘗て観るに、古より国有り家有る者、若し曲げて讒譖を受け、妄りに忠良を害せば、必ず宗廟は丘墟となり、市朝は霜露とならん。願わくは陛下、深く之を慎め」と。
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貞観政要・礼楽貞観十二年、太宗侍臣に謂いて曰く、「古者、諸侯の入朝するに、湯沐の邑有り、芻禾百車、待するに客礼を以てす。昼は正殿に坐し、夜は庭燎を設く。与に相い見え、其の労苦を問わんと思う。又た漢家は京成にも亦た諸郡の為に邸舎を立つ。頃(このごろ)聞く、考使の京に至る者は、皆な房を賃(か)りて以て坐し、商人と雑居し、才かに身を容るるを得るのみ、と。既に待礼の足らず。必ず是れ人多く怨嘆せん。豈に肯えて情を共理に竭くさんや」と。乃ち京城の閑坊に就きて、諸州の考使の為に各々邸第を造らしむ。成るに及び、太宗親ら幸して観る。
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貞観政要・杜讒邪貞観中、太宗房玄齢・杜如晦に謂いて曰く、「朕聞く、古より帝王の上は天心に合し、以て太平を致す者は、皆な股肱の力なり、と。朕は比(このごろ)直言の路を開く者は、庶(ちか)くは冤屈を知り、諫諍を聞かんと欲すればなり。有らゆる封事を上る人は、多く百官を告訐(こくけつ)す。細にして采るべき無し。朕は歴(あまね)く前王を選ぶに、但だ君の臣を疑う有らば、則ち下は上に達する能わず。忠を尽くし慮を極むるを求めんと欲するも、何ぞ得べけんや。而るに識無きの人、務めて讒毀を行い、君臣を交々乱す。殊に国に益するに非ず。今より以後、書を上りて人の小悪を訐(あば)く者有らば、当に讒人の罪を以て之を罪すべし」と。
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貞観政要・杜讒邪魏徴、秘書監と為る。徴を謀反すと告ぐる者有り。太宗曰く、「魏徴は、昔、吾が讎なり。只だ事うる所に忠なるを以て、吾は遂に抜きて之を用う。何ぞ乃ち妄りに讒構を生ぜんや」と。竟に徴を問わず。遽かに告ぐる所の者を斬る。
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