貞観政要 / 慎言語
貞觀十六年,太宗每與公卿言及古道,必詰難往復。散騎常侍劉洎上書諫曰:「帝王之與凡庶,聖哲之與庸愚,上下相懸,擬倫斯絕。是知以至愚而對至聖,以極卑而對極尊,徒思自強,不可得也。陛下降恩旨,假慈顏,凝旒以聽其言,虛襟以納其說,猶恐群下未敢對揚,況動神機,縱天辯,飾辭以折其理,援古以排其議,欲令凡庶何階應答?臣聞皇天以無言為貴,聖人以不言為德,老子稱『大辯若訥』,莊生稱『至道無文』,此皆不欲煩也。是以齊侯讀書,輪扁竊議,漢皇慕古,長孺陳譏,此亦不欲勞也。且多記則損心,多語則損氣,心氣內損,形神外勞,初雖不覺,後必為累。須為社稷自愛,豈為性好自傷乎?竊以今日升平,皆陛下力行所至。欲其長久,匪由辯博,但當忘彼愛憎,慎茲取舍,每事敦樸,無非至公,若貞觀之初,則可矣。至如秦政強辯,失人心於自矜,魏文宏材,虧眾望於虛說。此才辯之累,皎然可知。伏願略茲雄辯,浩然養氣,簡彼緗圖,淡焉怡悅,固萬壽於南嶽,齊百姓於東戶,則天下幸甚,皇恩斯畢。」太宗手詔答曰:「非慮無以臨下,非言無以述慮。比有談論,遂至煩多。輕物驕人,恐由茲道。形神心氣,非此為勞。今聞讜言,虛懷以改。」
新字:貞観十六年,太宗毎与公卿言及古道,必詰難往復。散騎常侍劉洎上書諫曰:「帝王之与凡庶,聖哲之与庸愚,上下相懸,擬倫斯絶。是知以至愚而対至聖,以極卑而対極尊,徒思自強,不可得也。陛下降恩旨,仮慈顔,凝旒以聴其言,虚襟以納其説,猶恐群下未敢対揚,況動神機,縦天弁,飾辞以折其理,援古以排其議,欲令凡庶何階応答?臣聞皇天以無言為貴,聖人以不言為徳,老子称『大弁若訥』,荘生称『至道無文』,此皆不欲煩也。是以斉侯読書,輪扁窃議,漢皇慕古,長孺陳譏,此亦不欲労也。且多記則損心,多語則損気,心気内損,形神外労,初雖不覚,後必為累。須為社稷自愛,豈為性好自傷乎?窃以今日升平,皆陛下力行所至。欲其長久,匪由弁博,但当忘彼愛憎,慎茲取舎,毎事敦樸,無非至公,若貞観之初,則可矣。至如秦政強弁,失人心於自矜,魏文宏材,虧衆望於虚説。此才弁之累,皎然可知。伏願略茲雄弁,浩然養気,簡彼緗図,淡焉怡悦,固万寿於南嶽,斉百姓於東戸,則天下幸甚,皇恩斯畢。」太宗手詔答曰:「非慮無以臨下,非言無以述慮。比有談論,遂至煩多。軽物驕人,恐由茲道。形神心気,非此為労。今聞讜言,虚懐以改。」
書き下し
貞観十六年、太宗は公卿と古道に言い及ぶ毎に、必ず詰難して往復す。散騎常侍劉洎、書を上りて諫めて曰く、「帝王の凡庶と、聖哲の庸愚と、上下相い懸(へだ)たり、擬倫は斯に絶ゆ。是れ知る、至愚を以て至聖に対し、極卑を以て極尊に対せば、徒らに自ら強めんと思うも、得べからざるを。陛下は恩旨を降し、慈顔を仮し、旒(りゅう)を凝らして以て其の言を聴き、襟を虚しくして以て其の説を納る。猶お恐る、群下の未だ敢えて対揚せざるを。況んや神機を動かし、天辯を縦(ほしいまま)にし、辞を飾りて以て其の理を折り、古を援(ひ)きて以て其の議を排せば、凡庶をして何ぞ階(よ)りて応答せしめんと欲するや。臣聞く、皇天は無言を以て貴と為し、聖人は不言を以て徳と為す、と。老子は『大辯は訥なるが若し』と称し、荘生は『至道は文無し』と称す。此れ皆な煩わしきを欲せざるなり。是を以て斉侯の書を読むに、輪扁窃かに議す。漢皇の古を慕うに、長孺譏りを陳ぶ。此れ亦た労するを欲せざるなり。且つ多く記さば則ち心を損じ、多く語らば則ち気を損ず。心気は内に損じ、形神は外に労す。初めは覚えずと雖も、後には必ず累と為らん。須らく社稷の為に自ら愛すべし。豈に性の好むが為に自ら傷らんや。窃かに以えらく、今日の升平は、皆な陛下の力行の至す所なり。其の長久ならんことを欲せば、辯博に由るに匪ず。但だ当に彼の愛憎を忘れ、茲の取捨を慎み、事毎に敦朴、至公に非ざる無く、貞観の初めの若くんば、則ち可なり。秦政の強辯の如きは、人心を自矜に失う。魏文の宏材は、衆望を虚説に虧く。此れ才辯の累なり。皎然として知るべし。伏して願わくは茲の雄辯を略し、浩然として気を養い、彼の緗図を簡にし、淡焉として怡悦せば、万寿を南岳に固くし、百姓を東戸に斉しくせん。則ち天下幸甚、皇恩斯に畢(お)わらん」と。太宗手詔して答えて曰く、「慮るに非ずんば以て下に臨む無く、言うに非ずんば以て慮を述ぶる無し。比(このごろ)談論有り、遂に煩多に至る。物を軽んじ人に驕るは、恐らくは茲の道に由らん。形神心気、此に非ざれば労を為さず。今、讜言を聞く。懐を虚しくして以て改めん」と。
現代語訳
貞観十六年、太宗は公卿と古の道について語るたび、必ず問い詰めて議論を繰り返した。散騎常侍の劉洎が上書して諫めた。「帝王と庶民、聖哲と凡人は、上下が隔たり、比べようもありません。極めて愚かな者が極めて聖なる者に対し、極めて卑しい者が極めて尊い者に対すれば、いくら奮い立とうとしても、できはしません。陛下は恩旨を下し、和やかな顔を向け、玉すだれを静めて言葉を聴き、心を虚しくして説を受け入れられる。それでもなお、臣下が答える勇気を持てないことを恐れます。まして鋭い頭を働かせ、雄弁をふるい、言葉を飾って相手の理を折り、古典を引いて議論を退けられれば、凡人はどうやって答えればよいのですか。臣はこう聞いております。天は言葉のないことを貴び、聖人は語らないことを徳とする、と。老子は『大いなる弁舌は訥弁のようだ』と言い、荘子は『至高の道に飾りはない』と言いました。これはみな、煩わしさを望まないのです。だから斉の桓公が書を読めば、車大工の扁がひそかに議論した。漢の武帝が古を慕えば、汲黯が謗った。これも労を望まないからです。それに多く記憶すれば心を損ない、多く語れば気を損なう。心と気が内で損なわれ、体と精神が外で疲れる。初めは気づかなくとも、後には必ず累となります。国家のために自愛されるべきです。好みのために、自らを傷つけてよいのですか。ひそかに思いますに、今日の泰平は、みな陛下の実行の結果です。それを長く続けたいなら、弁舌の広さによるのではありません。ただ好き嫌いを忘れ、取捨を慎み、事ごとに素朴で、公正でないことがなく、貞観の初めのようであれば、それでよいのです。秦の始皇の強弁は、自慢によって人心を失いました。魏の文帝の大才は、空論によって人望を欠きました。これは才と弁の害です。明らかに知れます。伏して願わくは、この雄弁を控え、浩然と気を養い、書物を簡にして、淡々と楽しまれれば、長寿を保ち、民を安んじられましょう。天下の幸い、皇恩の極みです」。太宗は自筆の詔で答えて言った。「考えなければ下に臨めず、語らなければ考えを述べられない。近頃、議論があって、煩雑になりすぎた。物を軽んじ人に驕るのは、恐らくこの道によるのだろう。体も精神も心も気も、これによらなければ疲れない。今、正しい言葉を聞いた。心を虚しくして改めよう」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公十五年 韓原の戦い壬戌、韓原に戰ふ。晉の戎馬濘に還りて止まる。公慶鄭を號ぶ。慶鄭曰く、「諫に愎り卜に違ふ、固より敗を是れ求む、又何ぞ逃れん」と。遂に之を去る。梁由靡韓簡を御し、虢射右と為り、秦伯を輅へ、將に之を止めんとす。鄭公を救ふを以て之を誤らしめ、遂に秦伯を失ふ。秦晉侯を獲て以て歸る。晉の大夫首を反し舍を拔きて、之に從ふ。秦伯使ひして辭せしめて曰く、「二三子何ぞ其れ慼へるや。寡人の君に從ひて西するや、亦た晉の妖夢を是れ踐むのみ、豈に敢へて以て至らんや」と。晉の大夫三拜稽首して曰く、「君は后土を履みて皇天を戴く。皇天后土、實に君の言を聞く、群臣敢へて下風に在らん」と。穆姬晉侯の將に至らんとするを聞き、大子罃・弘と女簡・璧とを以て、臺に登りて薪を履む。免服衰絰を以て逆へしめ、且つ告げしめて曰く、「上天災を降し、我が兩君をして玉帛を以て相見えずして、戎を興すを以てせしむ。若し晉君朝に以て入らば、則ち婢子夕べに以て死せん。夕べに以て入らば、則ち朝に以て死せん。唯だ君之を裁け」と。乃ち諸を靈臺に舍らしむ。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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史記 宋微子世家微子開は、殷の帝乙の首子にして帝紂の庶兄なり。紂既に立ち、明らかならず、政に淫乱す。微子数々諫むるも、紂聴かず。祖伊周の西伯昌の徳を修め、黎国を滅ぼすを以て、禍の至らんことを懼れ、以て紂に告ぐるに及ぶ。紂曰く、「我が生は命天に在る有らずや。是れ何をか能く為さん」と。是に於て微子、紂の終に諫むべからざるを度り、之に死せんと欲し、及び去らんとするも、未だ自ら決すること能はず。乃ち太師・少師に問ひて曰く、「殷は治政有らず、四方を治めず。我が祖遂に上に陳ぶ。紂酒に沈湎し、婦人是れ用ひ、湯の徳を下に乱敗す。殷既に小大好んで草窃姦宄し、卿士師師度に非ず、皆罪辜有り、乃ち維れ獲ること无し。小民乃ち并び興り、相敵讎と為る。今殷其れ典喪へり。水を渉るに津涯无きが若し。殷遂に喪ひ、越に今に至る」と。曰く、「太師、少師、我其れ発して出で往かんか。吾が家喪に保たんか。今女故无くして予に告ぐ。顛躋(てんせい)せば、之を如何せん」と。太師若(かく)のごとく曰く、「王子、天篤く菑(わざはひ)を下して殷国を亡ぼす。乃ち畏るべきを畏れず、老長を用ひず。今殷の民乃ち神祇の祀を陋淫す。今誠に国を治むるを得ば、国治まりて身死すとも恨みず。死を為して、終に治むるを得ずんば、去るに如かず」と。遂に亡ぐ。箕子は、紂の親戚なり。紂始めて象箸を為る。箕子嘆じて曰く、「彼象箸を為らば、必ず玉桮を為らん。桮を為らば、則ち必ず遠方の珍怪の物を思ひて之を御せん。輿馬宮室の漸、此より始まり、振ふべからず」と。紂淫泆を為す。箕子諫むるも、聴かず。人或いは曰く、「以て去るべし」と。箕子曰く、「人臣為りて諫めて聴かれずして去るは、是れ君の悪を彰らかにして自ら民に説(よろこ)ばるるなり。吾為すに忍びざるなり」と。乃ち髪を被り詳狂して奴と為る。遂に隠れて琴を鼓きて以て自ら悲しむ。故に之を伝へて箕子操と曰ふ。王子比干は、亦た紂の親戚なり。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 楽書上は朝廷より、下は人民に至るまで、以て歓喜を接し、殷勤を合するを得、此の和説に非ずんば通ぜず、解沢流れず、亦各々一世の化、時を度るの楽なり、何ぞ必ずしも華山の騄耳にして而る後に遠きを行かんや」と。二世之を然りとす。高祖、沛を過りて三侯の章を詩し、小児をして之を歌はしむ。高祖崩じ、沛をして四時に宗廟に歌舞するを得しむ。孝恵・孝文・孝景は増更する所無く、楽府に於いて常を習ひ旧を肄ふのみ。今上即位するに至り、十九章を作り、侍中李延年をして其の声を次序せしめ、拝して協律都尉と為す。一経に通ずるの士も独り其の辞を知る能はず、皆五経の家を集会し、相与に共に講習して之を読み、乃ち能く其の意を通知す、多く爾雅の文なり。漢家常に正月上辛を以て太一を甘泉に祠り、昏時を以て夜祠り、明に到りて終はる。常に流星の祠壇の上を経る有り。僮男僮女七十人をして俱に歌はしむ。春は青陽を歌ひ、夏は朱明を歌ひ、秋は西暤を歌ひ、冬は玄冥を歌ふ。世に多く有り、故に論ぜず。又嘗て神馬を渥洼の水中に得て、復た次して以て太一の歌と為す。歌曲に曰く、「太一貢ぎて天馬下る、赤汗に霑ひて沫赭を流す。騁せて容与として万里を跇ゆ、今安んぞ匹せん、龍を友と為す」と。後に大宛を伐ちて千里の馬を得、馬の名は蒲梢、次して作りて以て歌と為す。歌詩に曰く、「天馬来たる、西極よりす。万里を経て有徳に帰す。霊威を承けて外国を降し、流沙を渉りて四夷服す」と。中尉汲黯進みて曰く、「凡そ王者の楽を作るは、上は以て祖宗を承け、下は以て兆民を化す。今陛下馬を得て、詩して以て歌と為し、宗廟に協す、先帝百姓豈に能く其の音を知らんや」と。上黙然として説ばず。丞相公孫弘曰く、「黯は聖制を誹謗す、当に族すべし」と。凡そ音の起こるは、人心より生ずるなり。人心の動くは、物之をして然らしむるなり。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。
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