貞観政要 / 慎所好
貞觀二年,太宗謂侍臣曰:「神仙事本是虛妄,空有其名。秦始皇非分愛好,為方士所詐,乃遣童男童女數千人,隨其入海求神仙。方士避秦苛虐,因留不歸,始皇猶海側踟躕以待之,還至沙丘而死。漢武帝為求神仙,乃將女嫁道術之人,事既無驗,便行誅戮。據此二事,神仙不煩妄求也。」
新字:貞観二年,太宗謂侍臣曰:「神仙事本是虚妄,空有其名。秦始皇非分愛好,為方士所詐,乃遣童男童女数千人,随其入海求神仙。方士避秦苛虐,因留不帰,始皇猶海側踟躕以待之,還至沙丘而死。漢武帝為求神仙,乃将女嫁道術之人,事既無験,便行誅戮。拠此二事,神仙不煩妄求也。」
書き下し
貞観二年、太宗侍臣に謂いて曰く、「神仙の事は本と是れ虚妄なり。空しく其の名有るのみ。秦の始皇は分に非ずして愛好し、方士の詐る所と為る。乃ち童男童女数千人を遣わし、其れに随いて海に入り神仙を求めしむ。方士は秦の苛虐を避け、因りて留まりて帰らず。始皇は猶お海側に踟躕(ちちゅう)して以て之を待つ。還りて沙丘に至りて死す。漢の武帝は神仙を求むるが為に、乃ち女を将(もっ)て道術の人に嫁す。事既に験無くんば、便ち誅戮を行う。此の二事に拠らば、神仙は煩わしく妄りに求むべからざるなり」と。
現代語訳
貞観二年、太宗が側近の臣に言った。「神仙のことは、もともと虚妄である。空しく名があるだけだ。秦の始皇帝は分不相応にこれを好み、方士に騙された。そこで少年少女数千人を遣わし、方士に従って海に入り、神仙を求めさせた。方士は秦の苛烈さを避けて、そのまま留まって帰らなかった。始皇帝はなお海辺をうろうろして待った。帰る途中、沙丘で死んだ。漢の武帝は神仙を求めるために、娘を方術の者に嫁がせた。効き目がないと分かると、すぐに誅殺した。この二つの事から見れば、神仙は煩わしく求めるべきものではない」。
解説
この章句が説くこと
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『塩鉄論』散不足篇古の聖人は躬を勞し神を養い、欲を節し情に適い、天を尊び地を敬い、德を履み仁を行う。是を以て上天歆み、其の世を永くして其の年を豐かにす。故に堯は秀眉高彩にして、國を享くること百載なり。秦の始皇に及び、怪迂を覽、禨祥を信じ、盧生をして羨門高を求めしめ、徐市等をして海に入りて不死の藥を求めしむ。此の時に當たり、燕・齊の士は、鋤耒を釋てて、爭いて神仙を言う。方士の是に於いて咸陽に趣く者は千を以て數う、仙人は金を食い珠を飲み、然る後に壽は天地と相い保つと言う。是に於いて數しば五嶽、濱海の館を巡狩して、以て神仙蓬萊の屬を求む。數しば幸する所の郡縣は、富人は貲を以て佐け、貧者は道旁に築く。其の後、小なる者は亡逃し、大なる者は藏匿す、吏は捕索掣頓して、道理を以てせず。名宮の旁、廬舍丘落して、生苗立樹無し、百姓は心を離し、怨み思う者は十に半ば有り。書に曰く、『享は儀を多しとす、儀の物に及ばざるを不享と曰う』と。故に聖人は仁義に非ざれば己に載せず、正道に非ざれば前に禦せず。是を以て先帝は文成・五利等を誅し、宣帝は學官を建て、忠良を親近す、以て怪惡の端を絕ちて、至德の塗を昭らかにせんと欲すればなり。
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史記 孝武本紀居ること久しくして、李少君病みて死す。天子以て化し去りて死せずと為し、而して黄錘の史寛舒をして其の方を受けしむ。蓬萊の安期生を求むるも能く得る莫し、而して海上燕齊の怪迂の方士多く相ひ效ひ、更に神事を言ふ。
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