貞観政要 / 仁惻
貞觀七年,襄州都督張公謹卒。太宗聞而嗟悼,出次發哀。有司奏言:「《準陰陽書》云:『日在辰,不可哭泣。』此亦流俗所忌。」太宗曰:「君臣之義,同於父子,情發於中,安避辰日?」遂哭之。
新字:貞観七年,襄州都督張公謹卒。太宗聞而嗟悼,出次発哀。有司奏言:「《準陰陽書》云:『日在辰,不可哭泣。』此亦流俗所忌。」太宗曰:「君臣之義,同於父子,情発於中,安避辰日?」遂哭之。
書き下し
貞観七年、襄州都督張公謹卒す。太宗聞きて嗟悼し、次を出でて発哀す。有司奏言す、「『陰陽書』に準じて云う、『日の辰に在るは、哭泣すべからず』と。此れ亦た流俗の忌む所なり」と。太宗曰く、「君臣の義は、父子に同じ。情は中より発す。安くんぞ辰日を避けんや」と。遂に之を哭す。
現代語訳
貞観七年、襄州都督の張公謹が亡くなった。太宗は聞いて嘆き悼み、宿舎を出て哀悼の意を表そうとした。担当の役所が奏上した。「『陰陽書』によれば、日が辰の位置にある時は、泣いてはならないとあります。これも世間で忌まれることです」。太宗は言った。「君臣の義は、父子と同じだ。情は心から発する。どうして辰の日を避けようか」。そして声を上げて泣いた。
解説
襄州都督の張公謹が亡くなったと聞き、太宗はすぐさま宿舎を出て、声を上げて悼もうとしました。すると役所の者が「陰陽の書によれば、今日のような辰の日に泣いてはならないとされています。世間でも忌み嫌われることです」と止めに入ります。太宗はこれを退けて言いました。「君主と家臣の間柄は、親子と同じだ。悲しみの気持ちは心の底から湧き上がるものだ。どうして日の善し悪しを選んでいられようか」。そして実際に声を上げて泣きました。縁起や作法を気にするあまり、悲しいのに悲しめない、うれしいのにうれしさを表せないというのでは、本末が転倒しています。誰かが亡くなった時、お祝いの席で喜びを表したい時、形だけの決まりごとを気にして、心の動きを抑え込んでしまってはいけないのです。
この章句が説くこと
君臣之義同於父子情発於中安避辰日形式が心を殺す
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