貞観政要 / 仁惻
貞觀二年,關中旱,大饑。太宗謂侍臣曰:「水旱不調,皆為人君失德。朕德之不修,天當責朕,百姓何罪,而多遭困窮!聞有鬻男女者,朕甚湣焉。」乃遣御史大夫杜淹巡檢,出御府金寶贖之,還其父母。
新字:貞観二年,関中旱,大饑。太宗謂侍臣曰:「水旱不調,皆為人君失徳。朕徳之不修,天当責朕,百姓何罪,而多遭困窮!聞有鬻男女者,朕甚湣焉。」乃遣御史大夫杜淹巡検,出御府金宝贖之,還其父母。
書き下し
貞観二年、関中旱(ひでり)にして、大いに饑う。太宗侍臣に謂いて曰く、「水旱調わざるは、皆な人君の徳を失うが為なり。朕の徳の修まらざるは、天は当に朕を責むべし。百姓は何の罪ありて、多く困窮に遭わんや。男女を鬻(ひさ)ぐ者有りと聞く。朕は甚だ焉(これ)を湣れむ」と。乃ち御史大夫杜淹を遣わして巡検せしめ、御府の金宝を出して之を贖い、其の父母に還す。
現代語訳
貞観二年、関中が旱魃となり、大飢饉が起きた。太宗が側近の臣に言った。「水害や旱魃が整わないのは、みな君主が徳を失ったからだ。私の徳が修まらないなら、天は私を責めるべきだ。民に何の罪があって、これほど困窮に遭うのか。子を売る者があると聞く。私はまことに憐れに思う」。そこで御史大夫の杜淹を遣わして巡回させ、宮中の金銀財宝を出して買い戻し、その父母に返した。
解説
関中の地で日照りが続き、大きな飢饉が起きた時のことです。天候による災害は、本来、誰のせいでもありません。それでも太宗は「水害や日照りが起こるのは、みな君主が徳を欠いているからだ。私の徳が足りないのなら、天は私を責めればよい。民に何の罪があって、これほどの苦しみに遭うのか」と言いました。理屈の上では、天候の不順を自分の責任にするのは筋が通らないかもしれません。しかし太宗は言葉だけで終わらせず、我が子を売らなければならないほど困窮した親がいると聞くと、役人を送って調べさせ、宮中の金銀財宝を差し出して子供たちを買い戻し、親元に帰しています。困っている人を見て気の毒に思うだけでなく、自分の財布を実際に痛めて動いたところに、この話の重みがあるのです。
この章句が説くこと
水旱不調皆為人君失徳出御府金宝贖之自分の懐を痛める