貞観政要 / 仁惻
貞觀初,太宗謂侍臣曰:「婦人幽閉深宮,情實可湣。隋氏末年,求采無已,至於離宮別館,非幸御之所,多聚宮人。此皆竭人財力,朕所不取。且灑掃之餘,更何所用?今將出之,任求伉儷,非獨以省費,兼以息人,亦各得遂其情性。」於是後宮及掖庭前後所出三千餘人。
新字:貞観初,太宗謂侍臣曰:「婦人幽閉深宮,情実可湣。隋氏末年,求采無已,至於離宮別館,非幸御之所,多聚宮人。此皆竭人財力,朕所不取。且灑掃之余,更何所用?今将出之,任求伉儷,非独以省費,兼以息人,亦各得遂其情性。」於是後宮及掖庭前後所出三千余人。
書き下し
貞観の初め、太宗侍臣に謂いて曰く、「婦人の深宮に幽閉せらるるは、情実に湣(あわ)れむべし。隋氏の末年、求采すること已(や)む無し。離宮別館、幸御の所に非ざるに至るまで、多く宮人を聚む。此れ皆な人の財力を竭くす。朕の取らざる所なり。且つ灑掃の余、更に何の用うる所ぞ。今、将に之を出だし、任(ほしいまま)に伉儷(こうれい)を求めしめん。独り以て費を省くのみに非ず、兼ねて以て人を息(やす)ましむ。亦た各々其の情性に遂わしむるなり」と。是に於て後宮及び掖庭、前後に出す所三千余人。
現代語訳
貞観の初め、太宗が側近の臣に言った。「婦人が深い宮中に閉じ込められているのは、まことに憐れむべきことだ。隋の末年、女を集めることが止まなかった。離宮や別館、行幸もしない所にまで、多くの宮女を集めた。これはみな人の財力を尽くすものだ。私の取らないところである。それに掃除以外に、何の用があろうか。今、彼女たちを出して、自由に配偶者を求めさせよう。ただ費用を省くだけでなく、人を休ませることにもなる。それぞれの心に沿わせることにもなる」。こうして後宮と宮女の部署から、前後して三千余人を出した。
解説
仁惻篇の冒頭です。太宗は、隋の時代に集められ、行幸することもない離宮にまで大勢囲われていた宮中の女性たちを憐れみ、後宮や役所から三千人あまりを外に出し、自由に結婚相手を探させました。理由として太宗が挙げたのは三つです。費用が省けること、人々が休まること、そして「それぞれが自分の望みどおりに生きられるようにすること」です。最後の一つが特に大切です。太宗は、単に無駄をなくすことだけを考えたのではなく、その一人一人が残りの人生をどう生きたいかにまで目を向けていました。家庭で家事を分担したり、職場で人の配置を決めたりする時も、都合だけでなく、その人自身が何を望んでいるかを考えることが、この話の教える思いやりの心なのです。
この章句が説くこと
婦人幽閉深宮情実可湣任求伉儷その人の人生を考える
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