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貞観政要 / 謙譲

貞觀三年,太宗問給事中孔穎達曰:「《論語》云:『以能問於不能,以多問於寡,有若無,實若虛。』何謂也?」穎達對曰:「聖人設教,欲人謙光。己雖有能,不自矜大,仍就不能之人求訪能事。己之才藝雖多,猶病以為少,仍就寡少之人更求所益。己之雖有,其狀若無,己之雖實,其容若虛。非惟匹庶,帝王之德,亦當如此。夫帝王內蘊神明,外須玄默,使深不可知。故《易》稱『以蒙養正;以明夷蒞眾』。若其位居尊極,炫耀聰明,以才陵人,飾非拒諫,則上下情隔,君臣道乖。自古滅亡,莫不由此也。」太宗曰:「《易》云:『勞謙,君子有終,吉。』誠如卿言。」詔賜物二百段。

新字:貞観三年,太宗問給事中孔穎達曰:「《論語》云:『以能問於不能,以多問於寡,有若無,実若虚。』何謂也?」穎達対曰:「聖人設教,欲人謙光。己雖有能,不自矜大,仍就不能之人求訪能事。己之才芸雖多,猶病以為少,仍就寡少之人更求所益。己之雖有,其状若無,己之雖実,其容若虚。非惟匹庶,帝王之徳,亦当如此。夫帝王內蘊神明,外須玄黙,使深不可知。故《易》稱『以蒙養正;以明夷蒞眾』。若其位居尊極,炫耀聰明,以才陵人,飾非拒諫,則上下情隔,君臣道乖。自古滅亡,莫不由此也。」太宗曰:「《易》云:『労謙,君子有終,吉。』誠如卿言。」詔賜物二百段。

書き下し

貞観三年、太宗給事中孔穎達に問いて曰く、「『論語』に云う、『能を以て不能に問い、多を以て寡に問う。有れども無きが若く、実つれども虚しきが若し』と。何の謂いぞや」と。穎達対えて曰く、「聖人の教えを設くるは、人の謙光ならんことを欲すればなり。己に能有りと雖も、自ら矜大せず。仍お不能の人に就きて能事を求訪す。己の才芸は多しと雖も、猶お病みて以て少なしと為し、仍お寡少の人に就きて更に益する所を求む。己の有りと雖も、其の状は無きが若く、己の実つと雖も、其の容は虚しきが若し。惟だ匹庶のみに非ず、帝王の徳も、亦た当に此くの如くなるべし。夫れ帝王は内に神明を蘊(つつ)み、外は須らく玄黙なるべし。深くして知るべからざらしむ。故に『易』に『蒙を以て正を養い、明夷を以て衆に蒞(のぞ)む』と称す。若し其れ位は尊極に居り、聡明を炫耀(げんよう)し、才を以て人を陵ぎ、非を飾り諫を拒まば、則ち上下の情は隔たり、君臣の道は乖く。古より滅亡するは、此に由らざる莫きなり」と。太宗曰く、「『易』に云う、『労謙、君子終わり有り、吉』と。誠に卿の言の如し」と。詔して物二百段を賜う。

現代語訳

貞観三年、太宗が給事中の孔穎達に尋ねた。「『論語』に『有能でありながら無能な者に問い、多くを知りながら少ない者に問う。有りながら無いようであり、満ちながら虚しいようだ』とある。どういう意味か」。孔穎達が答えて言った。「聖人が教えを設けたのは、人が謙虚で輝いてほしいからです。自分に能力があっても、自ら誇り高ぶらない。なお能力のない人に就いて、できることを尋ねる。自分の才芸が多くても、なお足りないと悩み、少ない人に就いてさらに得ようとする。自分に有っても、無いような様子でいる。自分が満ちていても、虚しいような姿でいる。庶民だけでなく、帝王の徳もまた、こうあるべきです。そもそも帝王は内に聡明さを包み、外は静かであるべきです。深くて測り知れないようにする。だから『易経』に『暗きをもって正を養い、明を隠して衆に臨む』とあります。もし尊極の位にあって、聡明さを見せびらかし、才によって人を凌ぎ、非を飾り諫めを拒めば、上下の情は隔たり、君臣の道は背きます。昔から滅亡するのは、これによらないものはありません」。太宗は言った。「『易経』に『労して謙る君子は、終わりを全うし、吉である』とある。まことにあなたの言うとおりだ」。そして詔して絹二百段を賜った。

解説

「有能でありながら、無能な者に問う」。これが難しい。自分のほうが分かっている相手に、なぜ問うのか。しかし「聡明さを見せびらかし、才によって人を凌げば、上下の情は隔たる」。優秀さを示すたびに、人は離れます。知っていることを、知らないふりをして問う。それが謙です。

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