貞観政要 / 倹約
貞觀十一年,詔曰:「朕聞死者終也,欲物之反真也;葬者藏也,欲令人之不得見也。上古垂風,未聞於封樹;後世貽則,乃備於棺槨。譏僭侈者,非愛其厚費;美儉薄者,實貴其無危。是以唐堯,聖帝也,谷林有通樹之說;秦穆,明君也,橐泉無丘隴之處。仲尼,孝子也,防墓不墳;延陵,慈父也,嬴、博可隱。斯皆懷無窮之慮,成獨決之明,乃便體於九泉,非徇名於百代也。洎乎闔閭違禮,珠玉為鳧雁;始皇無度,水銀為江海;季孫擅魯,斂以玙璠;桓魋專宋,葬以石槨,莫不因多藏以速禍,由有利而招辱。玄廬既發,致焚如於夜臺;黃腸再開,同暴骸於中野。詳思曩事,豈不悲哉?由此觀之,奢侈者可以為戒,節儉者可以為師矣。朕居四海之尊,承百王之弊,未明思化,中宵戰惕。雖送往之典詳諸儀制,失禮之禁著在刑書,而勛戚之家多流遁於習俗,閭閻之內或侈靡而傷風,以厚葬為奉終,以高墳為行孝,遂使衣衾棺槨極雕刻之華,靈輀冥器窮金玉之飾。富者越法度以相尚,貧者破資產而不逮,徒傷教義,無益泉壤,為害既深,宜為懲革。其王公以下,爰及黎庶,自今以後,送葬之具有不依令式者,仰州府縣官明加檢察,隨狀科罪。在京五品以上及勛戚家,仍錄奏聞。」
新字:貞観十一年,詔曰:「朕聞死者終也,欲物之反真也;葬者蔵也,欲令人之不得見也。上古垂風,未聞於封樹;後世貽則,乃備於棺槨。譏僭侈者,非愛其厚費;美倹薄者,実貴其無危。是以唐堯,聖帝也,谷林有通樹之説;秦穆,明君也,橐泉無丘隴之処。仲尼,孝子也,防墓不墳;延陵,慈父也,嬴、博可隠。斯皆懐無窮之慮,成独決之明,乃便体於九泉,非徇名於百代也。洎乎闔閭違礼,珠玉為鳧雁;始皇無度,水銀為江海;季孫擅魯,斂以玙璠;桓魋専宋,葬以石槨,莫不因多蔵以速禍,由有利而招辱。玄廬既発,致焚如於夜台;黄腸再開,同暴骸於中野。詳思曩事,豈不悲哉?由此観之,奢侈者可以為戒,節倹者可以為師矣。朕居四海之尊,承百王之弊,未明思化,中宵戦惕。雖送往之典詳諸儀制,失礼之禁著在刑書,而勛戚之家多流遁於習俗,閭閻之內或侈靡而傷風,以厚葬為奉終,以高墳為行孝,遂使衣衾棺槨極雕刻之華,靈輀冥器窮金玉之飾。富者越法度以相尚,貧者破資産而不逮,徒傷教義,無益泉壤,為害既深,宜為懲革。其王公以下,爰及黎庶,自今以後,送葬之具有不依令式者,仰州府県官明加検察,随状科罪。在京五品以上及勛戚家,仍録奏聞。」
書き下し
貞観十一年、詔して曰く、「朕聞く、死は終わりなり。物の真に反らんことを欲するなり。葬は蔵なり。人の見るを得ざらしめんと欲するなり。上古の垂風、未だ封樹を聞かず。後世の貽(のこ)す則、乃ち棺槨に備わる。僭侈を譏る者は、其の厚費を愛(お)しむに非ず。倹薄を美とする者は、実に其の危無きを貴ぶなり。是を以て唐堯は、聖帝なり。谷林に通樹の説有り。秦穆は、明君なり。橐泉に丘隴の処無し。仲尼は、孝子なり。防墓に墳せず。延陵は、慈父なり。嬴・博に隠すべし。斯れ皆な無窮の慮を懐き、独決の明を成す。乃ち体を九泉に便にし、名を百代に徇(もと)むるに非ざるなり。闔閭の礼に違い、珠玉を鳧雁と為し、始皇の度無く、水銀を江海と為し、季孫の魯を擅(ほしいまま)にし、斂むるに玙璠(よはん)を以てし、桓魋の宋を専らにし、葬るに石槨を以てするに洎(およ)びては、多く蔵するに因りて以て禍を速(まね)き、利有るに由りて辱を招かざるは莫し。玄廬既に発(あば)かれ、焚如を夜台に致す。黄腸再び開かれ、暴骸を中野に同じくす。詳らかに曩事(のうじ)を思うに、豈に悲しからずや。此に由りて之を観れば、奢侈なる者は以て戒と為すべく、節倹なる者は以て師と為すべし。朕は四海の尊に居り、百王の弊を承く。未だ明けざるに化を思い、中宵に戦惕(せんてき)す。送往の典は諸を儀制に詳らかにし、失礼の禁は刑書に著在すと雖も、而れども勲戚の家は多く習俗に流遁し、閭閻の内は或いは侈靡にして風を傷る。厚葬を以て奉終と為し、高墳を以て孝を行うと為す。遂に衣衾棺槨をして雕刻の華を極め、霊輀(れいじ)冥器をして金玉の飾を窮めしむ。富める者は法度を越えて以て相い尚び、貧しき者は資産を破りて逮ばず。徒らに教義を傷り、泉壤に益無し。害を為すこと既に深し。宜しく懲革を為すべし。其れ王公より以下、爰(ここ)に黎庶に及ぶまで、今より以後、送葬の具に令式に依らざる者有らば、州府県官をして明らかに検察を加え、状に随いて罪を科せしめよ。京に在る五品以上及び勲戚の家は、仍お録して奏聞せよ」と。
現代語訳
貞観十一年、詔を下して言った。「私はこう聞いている。死とは終わりであり、物が本来に還ることを望むもの。葬るとは蔵すことであり、人に見えなくすることを望むもの。上古の風では、墓に土を盛り木を植えることを聞かない。後世の慣わしで、棺と槨が備わった。奢侈を謗るのは、その費用を惜しむからではない。倹約を美とするのは、まことに危険がないことを貴ぶからだ。だから唐堯は聖帝だが、谷林には木を通しただけと伝わる。秦の穆公は名君だが、橐泉に墳丘はない。孔子は孝子だが、防の墓に土を盛らなかった。延陵季子は慈父だが、嬴と博の地に子を葬っただけだった。これらはみな、遠い先を慮り、独り決断する明を成した。遺体を地下に安んじたのであり、名を後世に求めたのではない。呉の闔閭が礼に背いて珠玉を鴨や雁の形にし、始皇帝が節度なく水銀で川や海を作り、季孫氏が魯を専らにして美玉で飾り、桓魋が宋を専らにして石の槨で葬るに至っては、多く蔵したことで禍を招き、利があることで辱めを招かなかったものはない。墓室は暴かれ、地下で焼かれた。黄腸の棺は再び開かれ、骸は野に晒された。昔のことを詳しく思えば、悲しくないだろうか。ここから見れば、奢侈は戒めとすべきであり、倹約は師とすべきだ。私は四海の尊位にあり、多くの王の弊害を受け継いだ。夜明け前から教化を思い、真夜中に恐れおののく。葬送の規定は儀礼の制度に詳しく、礼を失した場合の禁は刑法に記されている。それでも功臣や外戚の家は多く習俗に流され、庶民の間でも奢りが風俗を損なう。厚く葬ることを死者を敬うこととし、高い墳墓を築くことを孝行とする。こうして衣や棺は彫刻の華美を極め、霊柩や副葬品は金玉の飾りを極める。富める者は法度を越えて競い、貧しい者は資産を潰しても及ばない。いたずらに教えと義を傷つけ、あの世に益はない。害はすでに深い。改めるべきだ。王公以下、庶民に至るまで、今後、葬送の道具が規定に従わない者があれば、地方官に明らかに調べさせ、事情に応じて罪を科せ。都にある五品以上および功臣外戚の家は、記録して報告せよ」。