貞観政要 / 倹約
貞觀二年,公卿奏曰:「依《禮》,季夏之月,可以居臺榭。今夏暑未退,秋霖方始,宮中卑濕,請營一閣以居之。」太宗曰:「朕有氣疾,豈宜下濕?若遂來請,糜費良多。昔漢文將起露臺,而惜十家之產,朕德不逮於漢帝,而所費過之,豈為人父母之道也?」固請至於再三,竟不許。
新字:貞観二年,公卿奏曰:「依《礼》,季夏之月,可以居台榭。今夏暑未退,秋霖方始,宮中卑湿,請営一閣以居之。」太宗曰:「朕有気疾,豈宜下湿?若遂来請,糜費良多。昔漢文将起露台,而惜十家之産,朕徳不逮於漢帝,而所費過之,豈為人父母之道也?」固請至於再三,竟不許。
書き下し
貞観二年、公卿奏して曰く、「『礼』に依るに、季夏の月、以て台榭に居るべし。今、夏の暑さ未だ退かず、秋霖方(まさ)に始まる。宮中は卑湿なり。請う、一閣を営みて以て之に居らん」と。太宗曰く、「朕に気疾有り。豈に下湿に宜しからんや。若し来たる請に遂わば、糜費は良(まこと)に多し。昔、漢の文は将に露台を起こさんとし、而も十家の産を惜しむ。朕の徳は漢帝に逮(およ)ばずして、費やす所は之に過ぐ。豈に人の父母たるの道ならんや」と。固く請うこと再三に至るも、竟に許さず。
現代語訳
貞観二年、公卿が奏上した。「『礼記』によれば、晩夏の月は高殿に住むことができます。今、夏の暑さがまだ退かず、秋の長雨が始まろうとしています。宮中は低く湿っています。どうか一つの楼閣を造って、そこにお住まいください」。太宗は言った。「私には気の病がある。低く湿った所がよいはずがない。しかしこの願いに従えば、費用はまことに多い。昔、漢の文帝は露台を造ろうとして、十家分の財産を惜しんでやめた。私の徳は文帝に及ばないのに、費やすものが上回る。それが民の父母たる道だろうか」。再三固く願われたが、ついに許さなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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貞観政要・倹約貞観元年、太宗侍臣に謂いて曰く、「古より帝王、凡そ興造有らば、必ず須らく物情に順うを貴ぶべし。昔、大禹は九山を鑿ち、九江を通ず。人力を用うること極めて広し。而して怨讟(えんとく)無き者は、物情の欲する所にして、衆の共に有する所なるが故なり。秦の始皇は宮室を営建す。而して人の謗議する者多きは、其の私欲に徇(したが)い、衆と共にせざるが故なり。朕は今、一殿を造らんと欲す。材木已に具わる。遠く秦皇の事を想い、遂に復た作さざるなり。古人云う、『無益を作して有益を害せず』と。『欲すべきを見ざれば、民の心をして乱れざらしむ』と。固より知る、欲すべきを見れば、其の心必ず乱るるを。器物を雕鏤し、珠玉服玩するが如きに至りては、若し其の驕奢を恣にせば、則ち危亡の期は立ちどころに待つべきなり。王公より以下、第宅・車服・婚嫁・喪葬、品秩に準じて服用に合わざる者は、宜しく一切禁断すべし」と。是に由りて二十年の間、風俗は簡朴、衣に錦繡無く、財帛は富饒にして、饑寒の弊無し。
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貞観政要・倹約貞観四年、太宗侍臣に謂いて曰く、「宮宇を崇飾し、池台に遊賞するは、帝王の欲する所、百姓の欲せざる所なり。帝王の欲する所の者は放逸、百姓の欲せざる所の者は労弊なり。孔子云う、『一言にして以て終身之を行うべき者有るか。其れ恕か。己の欲せざる所、人に施す勿かれ』と。労弊の事は、誠に百姓に施すべからず。朕は尊きこと帝王と為り、富は四海を有す。事毎に己に由る。誠に能く自ら節せん。若し百姓の欲せずんば、必ず能く其の情に順わん」と。魏徴曰く、「陛下は本と百姓を憐れみ、毎に己を節して以て人に順う。臣聞く、『欲を以て人に従う者は昌え、人を以て己を楽しましむる者は亡ぶ』と。隋の煬帝は志は無厭に在り、惟だ奢侈を好む。所司、供奉営造有る毎に、小しく意に称(かな)わずんば、則ち峻罰厳刑有り。上の好む所は、下必ず甚だしき有り。競いて無限を為し、遂に滅亡に至る。此れ書籍の伝うる所に非ず。亦た陛下の目に親しく見る所なり。其の無道なるが為に、故に天は陛下に命じて之に代わらしむ。陛下若し以て足れりと為さば、今日啻(ただ)に足るのみならず。若し以て足らずと為さば、更に万倍此に過ぐるも、亦た足らず」と。太宗曰く、「公の奏対する所は甚だ善し。公に非ずんば、朕安くんぞ此の言を聞くを得んや」と。
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貞観政要・奢縦今、百姓は喪乱の後を承け、隋の時に比すれば才(わず)かに十分の一なり。而して官の徭役に供すること、道路に相い継ぐ。兄去りて弟還り、首尾絶えず。遠き者は往来五六千里。春秋冬夏、略ぼ休む時無し。陛下は恩詔有りて、其の減省を令する毎に、而れども有司の作は既に廃せず。自然に人を須(もと)む。徒らに文書を行い、之を役すること故(もと)の如し。臣は毎に訪問す、四五年来、百姓は頗る怨嗟の言有り。陛下の之を存養せざるを以てなり。昔、唐堯は茅茨土階、夏禹は悪衣菲食。此くの如きの事は、臣は復た今に行うべからざるを知る。漢の文帝は百金の費を惜しみ、露台の役を輟(や)む。上書の囊を集めて以て殿帷と為す。幸する所の夫人は衣は地を曳かず。景帝に至りては、錦繡綦組(きそ)の女工を妨害するを以て、特に詔して之を除く。百姓の安楽なる所以なり。孝武帝に至りては、奢を窮め侈を極むと雖も、而れども文・景の遺徳を承く。故に人心動かず。向(も)し高祖の後に即ち武帝有らしめば、天下は必ず全うする能わざらん。此れ時代に於て差(やや)近し。事跡は見るべし。今、京師及び益州の諸処に営造供奉する器物、並びに諸王妃主の服飾は、議する者は皆な以て倹と為さず。臣聞く、昧旦に丕(おお)いに顕るるも、後世は猶お怠る。法を理に作るも、其の弊は猶お乱る、と。陛下は少(わか)くして民間に処り、百姓の辛苦を知る。前代の成敗は、目に親しく見る所なり。尚お猶お此くの如し。而して皇太子は深宮に生長し、外事を更(へ)ず。即ち万歳の後、固より聖慮の当に憂うべき所なり。
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『正法眼蔵随聞記』巻三有る夜示して云く、唐の太宗即位の後、故殿に栖み給へり、破損せる故に、湿気あがり、風霧冷かにして、玉体おかされつべし、臣下等造作すへき由を奏しければ、帝の言く、時き農節なり、民定めて愁ひあるべし、秋を待て造るべし、湿気に侵さるは地にうけられず、風雨に侵さるは天に合はざるなり、天地に背かば身あるべからず、民を煩はさずんば自ら天地に合ふべし、天地に合はゝ身を侵すべからず、と云ふて終に新宮を作らず、故殿に栖み給へり、
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