貞観政要 / 公平
太宗手詔曰:
書き下し
太宗手詔して曰く、
現代語訳
太宗は自筆の詔を下して言った。
解説
これは、魏徴から厳しい上奏文を受け取った太宗が、みずから筆を執って返事を書いたという、たった一行の記述です。皇帝ともなれば、側近に命じて代筆させることもできたはずです。しかし太宗は、自分の手で文字を書きました。この「自筆で書いた」という事実そのものが、実は大きな答えになっています。手厳しい指摘を受けたとき、人には選べる態度がいくつかあります。聞かなかったふりをする、腹を立てて突っぱねる、うわべだけ「分かった」と言って受け流す。太宗はそのどれでもなく、自分の言葉で真正面から向き合う道を選びました。これは家庭でも同じです。子どもや連れ合いから手厳しい意見を言われたとき、聞き流さずに自分の言葉できちんと返事をするかどうかで、その後の信頼関係は大きく変わってきます。次に続く手紙の中身以上に、この「自ら書いた」という一点に、太宗の器の大きさが表れているのです。
この章句が説くこと
太宗手詔自筆で応える批判への応答の形公平
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