貞観政要 / 公平
長樂公主,文德皇后所生也。貞觀六年將出降,敕所司資送倍於長公主。魏徵奏言:「昔漢明帝欲封其子,帝曰:『朕子豈得同於先帝子乎?可半楚、淮陽王。』前史以為美談。天子姊妹為長公主,天子之女為公主,既加長字,良以尊於公主也,情雖有殊,義無等別。若令公主之禮有過長公主,理恐不可,實願陛下思之。」太宗稱善。乃以其言告後,後嘆曰:「嘗聞陛下敬重魏徵,殊未知其故,而今聞其諫,乃能以義制人王之情,真社稷臣矣!妾與陛下結發為夫妻,曲蒙禮敬,情義深重,每將有言,必俟顏色,尚不敢輕犯威嚴,況在臣下,情疏禮隔?故韓非謂之說難,東方朔稱其不易,良有以也,忠言逆耳而利於行,有國有家者深所要急,納之則世治,杜之則政亂,誠願陛下詳之,則天下幸甚!」因請遣中使賫帛五百匹,詣徵宅以賜之。
新字:長楽公主,文徳皇后所生也。貞観六年将出降,勅所司資送倍於長公主。魏徴奏言:「昔漢明帝欲封其子,帝曰:『朕子豈得同於先帝子乎?可半楚、淮陽王。』前史以為美談。天子姊妹為長公主,天子之女為公主,既加長字,良以尊於公主也,情雖有殊,義無等別。若令公主之礼有過長公主,理恐不可,実願陛下思之。」太宗称善。乃以其言告後,後嘆曰:「嘗聞陛下敬重魏徴,殊未知其故,而今聞其諫,乃能以義制人王之情,真社稷臣矣!妾与陛下結発為夫妻,曲蒙礼敬,情義深重,毎将有言,必俟顔色,尚不敢軽犯威厳,況在臣下,情疏礼隔?故韓非謂之説難,東方朔称其不易,良有以也,忠言逆耳而利於行,有国有家者深所要急,納之則世治,杜之則政乱,誠願陛下詳之,則天下幸甚!」因請遣中使賫帛五百匹,詣徴宅以賜之。
書き下し
長楽公主は、文徳皇后の生む所なり。貞観六年、将に出降せんとす。所司に敕して資送すること長公主に倍せしむ。魏徴奏言す、「昔、漢の明帝は其の子を封ぜんと欲す。帝曰く、『朕の子は豈に先帝の子に同じきを得んや。楚・淮陽王に半ばすべし』と。前史は以て美談と為す。天子の姊妹を長公主と為し、天子の女を公主と為す。既に長の字を加うるは、良(まこと)に以て公主より尊きなり。情に殊なる有りと雖も、義に等別無し。若し公主の礼をして長公主に過ぐる有らしめば、理は恐らくは不可ならん。実に願わくは陛下、之を思え」と。太宗善しと称す。乃ち其の言を以て后に告ぐ。后嘆じて曰く、「嘗て陛下の魏徴を敬重するを聞くも、殊に未だ其の故を知らず。而して今、其の諫を聞くに、乃ち能く義を以て人王の情を制す。真に社稷の臣なり。妾は陛下と結髪して夫妻と為り、曲げて礼敬を蒙る。情義は深重なり。将に言有らんとする毎に、必ず顔色を俟つ。尚お敢えて軽々しく威厳を犯さず。況んや臣下に在りて、情は疎に礼は隔つるをや。故に韓非は之を説難と謂い、東方朔は其の易からざるを称す。良に以有るなり。忠言は耳に逆らえども行いに利あり。国有り家有る者、深く要急とする所なり。之を納るれば則ち世は治まり、之を杜(ふさ)げば則ち政は乱る。誠に願わくは陛下、之を詳らかにせば、則ち天下幸甚なり」と。因りて中使を遣わし、帛五百匹を賫(もたら)し、徴の宅に詣りて以て之を賜わんことを請う。
現代語訳
長楽公主は、文徳皇后の生んだ娘である。貞観六年、嫁ぐことになった。太宗は担当の役所に、支度を長公主の倍にするよう命じた。魏徴が奏上した。「昔、漢の明帝が子を封じようとした時、こう言いました。『私の子が、どうして先帝の子と同じでよかろう。楚王や淮陽王の半分にせよ』と。前の史書は、これを美談としています。天子の姉妹を長公主とし、天子の娘を公主とします。長の字を加えるのは、まことに公主より尊いからです。情に違いはあっても、義に区別はありません。もし公主の礼が長公主を超えるなら、道理として不可でしょう。どうか陛下、お考えください」。太宗はよしとした。そしてその言葉を皇后に伝えた。皇后は嘆じて言った。「かつて陛下が魏徴を敬い重んじると聞きましたが、その理由が分かりませんでした。今その諫めを聞いて、義をもって君主の情を制することができると知りました。まことに国家の臣です。妾は陛下と髪を結んで夫婦となり、礼と敬いを受け、情も義も深く重い。何か申し上げようとするたび、必ずご機嫌をうかがいます。それでも軽々しく威厳を冒すことはできません。まして臣下は、情が疎く礼が隔たっています。だから韓非は説くことの難しさを説き、東方朔もその容易でないことを述べました。まことに理由があるのです。忠言は耳に逆らいますが、行いには利がある。国や家を持つ者が、深く急を要するところです。受け入れれば世は治まり、塞げば政は乱れます。どうか陛下、詳しくお考えください。そうすれば天下の幸いです」。そして使者を遣わし、絹五百匹を魏徴の家に届けて賜るよう願い出た。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公十五年 韓原の戦い壬戌、韓原に戰ふ。晉の戎馬濘に還りて止まる。公慶鄭を號ぶ。慶鄭曰く、「諫に愎り卜に違ふ、固より敗を是れ求む、又何ぞ逃れん」と。遂に之を去る。梁由靡韓簡を御し、虢射右と為り、秦伯を輅へ、將に之を止めんとす。鄭公を救ふを以て之を誤らしめ、遂に秦伯を失ふ。秦晉侯を獲て以て歸る。晉の大夫首を反し舍を拔きて、之に從ふ。秦伯使ひして辭せしめて曰く、「二三子何ぞ其れ慼へるや。寡人の君に從ひて西するや、亦た晉の妖夢を是れ踐むのみ、豈に敢へて以て至らんや」と。晉の大夫三拜稽首して曰く、「君は后土を履みて皇天を戴く。皇天后土、實に君の言を聞く、群臣敢へて下風に在らん」と。穆姬晉侯の將に至らんとするを聞き、大子罃・弘と女簡・璧とを以て、臺に登りて薪を履む。免服衰絰を以て逆へしめ、且つ告げしめて曰く、「上天災を降し、我が兩君をして玉帛を以て相見えずして、戎を興すを以てせしむ。若し晉君朝に以て入らば、則ち婢子夕べに以て死せん。夕べに以て入らば、則ち朝に以て死せん。唯だ君之を裁け」と。乃ち諸を靈臺に舍らしむ。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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史記 宋微子世家微子開は、殷の帝乙の首子にして帝紂の庶兄なり。紂既に立ち、明らかならず、政に淫乱す。微子数々諫むるも、紂聴かず。祖伊周の西伯昌の徳を修め、黎国を滅ぼすを以て、禍の至らんことを懼れ、以て紂に告ぐるに及ぶ。紂曰く、「我が生は命天に在る有らずや。是れ何をか能く為さん」と。是に於て微子、紂の終に諫むべからざるを度り、之に死せんと欲し、及び去らんとするも、未だ自ら決すること能はず。乃ち太師・少師に問ひて曰く、「殷は治政有らず、四方を治めず。我が祖遂に上に陳ぶ。紂酒に沈湎し、婦人是れ用ひ、湯の徳を下に乱敗す。殷既に小大好んで草窃姦宄し、卿士師師度に非ず、皆罪辜有り、乃ち維れ獲ること无し。小民乃ち并び興り、相敵讎と為る。今殷其れ典喪へり。水を渉るに津涯无きが若し。殷遂に喪ひ、越に今に至る」と。曰く、「太師、少師、我其れ発して出で往かんか。吾が家喪に保たんか。今女故无くして予に告ぐ。顛躋(てんせい)せば、之を如何せん」と。太師若(かく)のごとく曰く、「王子、天篤く菑(わざはひ)を下して殷国を亡ぼす。乃ち畏るべきを畏れず、老長を用ひず。今殷の民乃ち神祇の祀を陋淫す。今誠に国を治むるを得ば、国治まりて身死すとも恨みず。死を為して、終に治むるを得ずんば、去るに如かず」と。遂に亡ぐ。箕子は、紂の親戚なり。紂始めて象箸を為る。箕子嘆じて曰く、「彼象箸を為らば、必ず玉桮を為らん。桮を為らば、則ち必ず遠方の珍怪の物を思ひて之を御せん。輿馬宮室の漸、此より始まり、振ふべからず」と。紂淫泆を為す。箕子諫むるも、聴かず。人或いは曰く、「以て去るべし」と。箕子曰く、「人臣為りて諫めて聴かれずして去るは、是れ君の悪を彰らかにして自ら民に説(よろこ)ばるるなり。吾為すに忍びざるなり」と。乃ち髪を被り詳狂して奴と為る。遂に隠れて琴を鼓きて以て自ら悲しむ。故に之を伝へて箕子操と曰ふ。王子比干は、亦た紂の親戚なり。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 楽書上は朝廷より、下は人民に至るまで、以て歓喜を接し、殷勤を合するを得、此の和説に非ずんば通ぜず、解沢流れず、亦各々一世の化、時を度るの楽なり、何ぞ必ずしも華山の騄耳にして而る後に遠きを行かんや」と。二世之を然りとす。高祖、沛を過りて三侯の章を詩し、小児をして之を歌はしむ。高祖崩じ、沛をして四時に宗廟に歌舞するを得しむ。孝恵・孝文・孝景は増更する所無く、楽府に於いて常を習ひ旧を肄ふのみ。今上即位するに至り、十九章を作り、侍中李延年をして其の声を次序せしめ、拝して協律都尉と為す。一経に通ずるの士も独り其の辞を知る能はず、皆五経の家を集会し、相与に共に講習して之を読み、乃ち能く其の意を通知す、多く爾雅の文なり。漢家常に正月上辛を以て太一を甘泉に祠り、昏時を以て夜祠り、明に到りて終はる。常に流星の祠壇の上を経る有り。僮男僮女七十人をして俱に歌はしむ。春は青陽を歌ひ、夏は朱明を歌ひ、秋は西暤を歌ひ、冬は玄冥を歌ふ。世に多く有り、故に論ぜず。又嘗て神馬を渥洼の水中に得て、復た次して以て太一の歌と為す。歌曲に曰く、「太一貢ぎて天馬下る、赤汗に霑ひて沫赭を流す。騁せて容与として万里を跇ゆ、今安んぞ匹せん、龍を友と為す」と。後に大宛を伐ちて千里の馬を得、馬の名は蒲梢、次して作りて以て歌と為す。歌詩に曰く、「天馬来たる、西極よりす。万里を経て有徳に帰す。霊威を承けて外国を降し、流沙を渉りて四夷服す」と。中尉汲黯進みて曰く、「凡そ王者の楽を作るは、上は以て祖宗を承け、下は以て兆民を化す。今陛下馬を得て、詩して以て歌と為し、宗廟に協す、先帝百姓豈に能く其の音を知らんや」と。上黙然として説ばず。丞相公孫弘曰く、「黯は聖制を誹謗す、当に族すべし」と。凡そ音の起こるは、人心より生ずるなり。人心の動くは、物之をして然らしむるなり。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。
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