貞観政要 / 公平
貞觀元年,吏部尚書長孫無忌嘗被召,不解佩刀入東上閣門,出閣門後,監門校尉始覺。尚書右仆射封德彜議,以監門校尉不覺,罪當死,無忌誤帶刀入,徒二年,罰銅二十斤。太宗從之。大理少卿戴胄駁曰:「校尉不覺,無忌帶刀入內,同為誤耳。夫臣子之於尊極,不得稱誤,準律云:『供御湯藥、飲食、舟船,誤不如法者,皆死。』陛下若錄其功,非憲司所決;若當據法,罰銅未為得理。」太宗曰:「法者非朕一人之法,乃天下之法,何得以無忌國之親戚,便欲撓法耶?」更令定議。德彜執議如初太宗將從其議,胄又駁奏曰:「校尉緣無忌以致罪,於法當輕,若論其過誤,則為情一也,而生死頓殊,敢以固請。」太宗乃免校尉之死。
新字:貞観元年,吏部尚書長孫無忌嘗被召,不解佩刀入東上閣門,出閣門後,監門校尉始覺。尚書右仆射封徳彜議,以監門校尉不覺,罪当死,無忌誤帯刀入,徒二年,罰銅二十斤。太宗従之。大理少卿戴胄駁曰:「校尉不覺,無忌帯刀入內,同為誤耳。夫臣子之於尊極,不得稱誤,準律云:『供御湯薬、飲食、舟船,誤不如法者,皆死。』陛下若録其功,非憲司所決;若当拠法,罰銅未為得理。」太宗曰:「法者非朕一人之法,乃天下之法,何得以無忌国之親戚,便欲撓法耶?」更令定議。徳彜執議如初太宗将従其議,胄又駁奏曰:「校尉縁無忌以致罪,於法当輕,若論其過誤,則為情一也,而生死頓殊,敢以固請。」太宗乃免校尉之死。
書き下し
貞観元年、吏部尚書長孫無忌、嘗て召さるるを被る。佩刀を解かずして東上閤門に入る。閤門を出でし後、監門校尉始めて覚る。尚書右僕射封徳彜議す、監門校尉の覚らざるは、罪は死に当たる。無忌の誤りて刀を帯びて入るは、徒二年、銅二十斤を罰す、と。太宗之に従う。大理少卿戴冑駁して曰く、「校尉の覚らざると、無忌の刀を帯びて内に入るとは、同じく誤りと為すのみ。夫れ臣子の尊極に於けるは、誤りと称するを得ず。律に準じて云う、『御に供する湯薬・飲食・舟船、誤りて法の如くならざる者は、皆な死』と。陛下若し其の功を録せば、憲司の決する所に非ず。若し当に法に拠るべくんば、銅を罰するは未だ理を得たりと為さず」と。太宗曰く、「法は朕一人の法に非ず。乃ち天下の法なり。何ぞ無忌の国の親戚なるを以て、便ち法を撓(ま)げんと欲するを得んや」と。更に議を定めしむ。徳彜は議を執ること初めの如し。太宗将に其の議に従わんとす。冑又た駁奏して曰く、「校尉は無忌に縁りて以て罪を致す。法に於て当に軽かるべし。若し其の過誤を論ぜば、則ち情を為すこと一なり。而るに生死は頓(にわか)に殊なる。敢えて以て固く請う」と。太宗乃ち校尉の死を免ず。
現代語訳
貞観元年、吏部尚書の長孫無忌が召し出された時、腰の刀を外さずに東上閤門に入った。門を出た後、門番の校尉がようやく気づいた。尚書右僕射の封徳彝が議した。門番の校尉が気づかなかったのは、罪は死に当たる。長孫無忌が誤って刀を帯びて入ったのは、徒刑二年、銅二十斤の罰金、と。太宗はこれに従った。大理少卿の戴冑が反論して言った。「校尉が気づかなかったのと、長孫無忌が刀を帯びて入ったのとは、同じく過失です。そもそも臣下が至尊に対して、過失と称することは許されません。律によれば『天子に供する薬・飲食・舟船について、誤って法どおりでなかった者は、みな死罪』とあります。陛下がもしその功績を考慮されるなら、それは司法の決するところではありません。もし法に拠るなら、罰金では道理を得ていません」。太宗は言った。「法は私一人の法ではない。天下の法だ。どうして長孫無忌が皇族の親戚だからといって、法を曲げてよいのか」。そこで再び議を定めさせた。封徳彝は初めと同じ議を主張した。太宗はその議に従おうとした。戴冑はまた反論して奏上した。「校尉は長孫無忌のゆえに罪となりました。法においては軽くすべきです。もし過失として論じるなら、事情は同じです。それなのに生死がまるで違う。あえて固くお願いします」。太宗はついに校尉の死罪を免じた。