貞観政要 / 公平
太宗初即位,中書令房玄齡奏言:「秦府舊左右未得官者,並怨前宮及齊府左右處分之先己。」太宗曰:「古稱至公者,蓋謂平恕無私。丹朱、商均,子也,而堯、舜廢之。管叔、蔡叔,兄弟也,而周公誅之。故知君人者,以天下為公,無私於物。昔諸葛孔明,小國之相,猶曰『吾心如稱,不能為人作輕重』,況我今理大國乎?朕與公等衣食出於百姓,此則人力已奉於上,而上恩未被於下,今所以擇賢才者,蓋為求安百姓也。用人但問堪否,豈以新故異情?凡一面尚且相親,況舊人而頓忘也!才若不堪,亦豈以舊人而先用?今不論其能不能,而直言其嗟怨,豈是至公之道耶?」
新字:太宗初即位,中書令房玄齢奏言:「秦府旧左右未得官者,並怨前宮及斉府左右処分之先己。」太宗曰:「古称至公者,蓋謂平恕無私。丹朱、商均,子也,而堯、舜廃之。管叔、蔡叔,兄弟也,而周公誅之。故知君人者,以天下為公,無私於物。昔諸葛孔明,小国之相,猶曰『吾心如称,不能為人作軽重』,況我今理大国乎?朕与公等衣食出於百姓,此則人力已奉於上,而上恩未被於下,今所以択賢才者,蓋為求安百姓也。用人但問堪否,豈以新故異情?凡一面尚且相親,況旧人而頓忘也!才若不堪,亦豈以旧人而先用?今不論其能不能,而直言其嗟怨,豈是至公之道耶?」
書き下し
太宗初めて即位す。中書令房玄齢奏言す、「秦府の旧左右にして未だ官を得ざる者は、並びに前宮及び斉府の左右の処分の己に先んずるを怨む」と。太宗曰く、「古に至公と称するは、蓋し平恕にして私無きを謂う。丹朱・商均は、子なり。而れども堯・舜は之を廃す。管叔・蔡叔は、兄弟なり。而れども周公は之を誅す。故に知る、人に君たる者は、天下を以て公と為し、物に私する無きを。昔、諸葛孔明は、小国の相なり。猶お曰く、『吾が心は称(はかり)の如し。人の為に軽重を作す能わず』と。況んや我は今、大国を理むるをや。朕と公等の衣食は百姓より出づ。此れ則ち人力は已に上に奉ず。而るに上の恩は未だ下に被らず。今、賢才を択ぶ所以の者は、蓋し百姓を安んずるを求むるが為なり。人を用うるは但だ堪うるや否やを問う。豈に新故を以て情を異にせんや。凡そ一面すら尚お且つ相い親しむ。況んや旧人にして頓(にわ)かに忘れんや。才若し堪えずんば、亦た豈に旧人なるを以て先んじて用いんや。今、其の能不能を論ぜずして、直だ其の嗟怨を言うは、豈に是れ至公の道ならんや」と。
現代語訳
太宗が即位したばかりの頃、中書令の房玄齢が奏上した。「秦王府の旧臣でまだ官を得ていない者は、みな前の東宮や斉王府の側近への処遇が自分たちより先だったことを怨んでいます」。太宗は言った。「昔、至公と称したのは、公平で寛容、私心がないことを言う。丹朱と商均は実の子だが、堯と舜は廃した。管叔と蔡叔は兄弟だが、周公は誅した。だから、人の君たる者は、天下をもって公とし、物事に私心を持たないと分かる。昔、諸葛孔明は小国の宰相でありながら、『私の心は秤のようだ。人のために軽重を変えることはできない』と言った。まして私は今、大国を治めている。私と諸君の衣食は民から出ている。人の力はすでに上に捧げられているのに、上の恩はまだ下に及んでいない。今、賢才を択ぶのは、民を安んじるためだ。人を用いるには、ただ務まるかどうかを問うだけだ。どうして新旧で情を分けようか。一度会っただけの人とも親しくなる。まして古い付き合いの者を、急に忘れるだろうか。しかし才が務まらなければ、古い付き合いだからといって先に用いることがあろうか。今、その能力を論じずに、ただ不満を述べるのは、公正な道といえようか」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『重職心得箇条』第二条大臣の心得は、先づ諸有司の了簡(りょうけん)を尽くさしめて、是れを公平に裁決する所其の職なるべし。もし有司の了簡より一層能(よ)き了簡有りとも、さして害なき事は、有司の議を用いるにしかず。有司を引き立て、気乗り能(よ)き様に駆使する事、要務にて候。又些少の過失に目つきて、人を容れ用いる事ならねば、取るべき人は一人も無き之れ様になるべし。功を以て過を補はしむる事可也。又堅才と云ふ程のものは無くても、其の藩だけの相応のものは有るべし。人々に択(よ)り嫌いなく、愛憎の私心を去って用ゆべし。自分流儀のものを取り計るは、水へ水をさす類にて、塩梅を調和するに非ず。平生嫌ひな人を能(よ)く用いると云ふ事こそ手際なり。此の工夫あるべし。
-
史記 田叔列伝褚先生曰く、臣郎為りし時、之を聞きて曰く、田仁は故より任安と相善し。任安は、滎陽の人なり。少くして孤にして貧困、人の為に車を将ゐて長安に之き、留まり、事を求めて小吏と為らんとするも、未だ因縁有らざるなり。因りて名数を占著す。武功は、扶風の西界の小邑なり。谷口は蜀道にして山に近し。安以為へらく、武功は小邑にして、豪無く、高くし易しと。安留まり、人に代はりて求盗亭父と為る。後に亭長と為る。邑中の人民倶に出でて猟するに、任安常に人の為に麋鹿雉兎を分かち、老小壮の劇易の処に当たるを部署す。衆人皆喜びて曰く、「傷む無きなり、任少卿は分別平らかにして、智略有り」と。明日復た合会するに、会する者数百人。任少卿曰く、「某子甲は何為れぞ来らざるか」と。諸人皆其の之を見ることの疾きを怪しむ。其の後除せられて三老と為り、挙げられて親民と為り、出でて三百石の長と為り、民を治む。上の行きて出游するに共帳辦ぜざるに坐して、斥け免ぜらる。乃ち衛将軍の舎人と為り、田仁と会し、倶に舎人と為り、門下に居り、心を同じくして相愛す。此の二人家貧しく、銭の以て将軍の家監に事ふる無し。家監悪齧の馬を養はしむ。両人床を同じくして臥す。仁竊かに言ひて曰く、「人を知らざるかな家監や」と。任安曰く、「将軍すら尚ほ人を知らず、何ぞ乃ち家監をや」と。衛将軍此の両人を従へて平陽主に過ぎる。主の家両人をして騎奴と席を同じくして食はしむ。此の二子刀を抜きて席を列断して別に坐す。主の家皆怪しみて之を悪むも、敢へて呵する莫し。其の後詔有りて衛将軍の舎人を募択して以て郎と為さんとす。将軍舎人の中の富給なる者を取り、鞍馬・絳衣・玉具の剣を具へしめ、入りて之を奏せんと欲す。会々賢大夫少府趙禹来りて衛将軍に過ぎる。将軍挙ぐる所の舎人を呼びて以て趙禹に示す。趙禹次を以て之に問ふに、十余人一人として事に習ひ智略有る者無し。
-
史記 李斯列伝後宮を飾り下陳に充て心意を娯しましめ耳目を説ばしむる所以の者、必ず秦に出でて然る後に可ならば、則ち是れ宛珠の簪、傅璣の珥、阿縞の衣、錦繍の飾りは前に進まず、而して俗に隨ひて雅化せる佳冶窈窕の趙女は側に立たざるなり。夫れ甕を撃ち缶を叩き箏を弾き髀を搏ち、而して歌呼して嗚嗚として耳に快き者は、真の秦の声なり。鄭・衛・桑間・昭・虞・武・象は、異国の楽なり。今甕を撃ち缶を叩くを棄てて鄭衛に就き、箏を弾くを退けて昭虞を取る。是の若き者は何ぞや。意に快く前に当たり、観に適するのみ。今人を取るは則ち然らず。可否を問はず、曲直を論ぜず、秦に非ざる者は去り、客為る者は逐ふ。然らば則ち是れ重んずる所の者は色楽珠玉に在り、而して軽んずる所の者は人民に在るなり。此れ海内に跨り諸侯を制する所以の術に非ざるなり。
-
風憲忠告・薦舉苐六夫れ士に天下を公とするの心有りて、然る後に能く天下の賢を舉ぐ。盖し天下の事は一人の能く周知する所に非ず、亦た一人の能く獨り成す所に非ず、必ず兼收博采して、治理望むべし。故に前輩謂う「國に報ゆるは賢を薦むるに如くは莫し」と、真に要を知るの言なるかな。今夫れ富者の家に於けるや、田有れば必ず良農を求めてこれをして耕さしめ、貨有れば必ず能啇(のうしょう)を求めてこれをして賈(こ)せしめ、牛羊有れば必ず善く豢(やしな)う者を求めてこれをして牧せしむ。何となれば則ち、彼れ治家に拳拳(けんけん)たるが故に、其の人を求めざるを得ざればなり。况んや天下の寄を受け天下の責に任ずる者、乃ち天下の才を求めて共にこれを治むるを知らざれば、豈に其の智の彼の富者に若かざらんや。其の國を為すの心、未だ甞て其の家を為すの心の切なるが如くならざるに由るが故なり。此に人有り、廉にして且つ幹(かん)なれば、共に天を戴かざるの仇有りと雖も、公論の下、亦た掩(おお)うを得ず。苟しくも其の人に非ざれば、骨肉の親と雖も、公論の下、亦た私するを得ず。世常に謂う「風憲は親に非ざれば保せず、仇に非ざれば彈ぜず」と。又た身憲佐風御史(けんさふうぎょし)為る者にして、己を薦めて陞(のぼ)るに就く者有り。嗚呼、委ぬるに百官を黜陟(ちゅっちょく)するの權を以てし、授くるに百司の儀表たるの職を以てするに、乃ち報効を思わず、惟だこれを假りて以て己が私を行なわば、人は則ち其の欺きを受けん、天地鬼神其れ欺きを受けんや。大抵求めて後に舉ぐるは、求めずして舉ぐるの公為るに若かず。識りて後に薦むるは、これを輿議に采るの博きに若かず。夫れ己れ賢を求めずして、必ず人の己を求めしむる者は、皆非なり。盖し求むれば則ち必ずしも舉げず、舉ぐれば則ち必ずしも識らず。故に古人聞きて舉ぐる者有り、見て舉ぐる者有り、仇を舉ぐる者有り、親を舉ぐる者有り、集めて簿と為す者有り、其の剡(えん)を拜する者有り、これを夾袋(きょうたい)に書す者有り。其の舉は一ならずと雖も、要は公當無私に極まるのみ。於戲(ああ)、誠に是くの如くならば、則ち相為り風憲為る者、安んぞ事に臨みて才に乏しきの嘆有らんや。
-
史記 魯仲連鄒陽列伝蘇秦燕に相たり、燕人之を王に悪す。王剣を按じて怒り、食はすに駃騠を以てす。白圭中山に顕はる。中山の人之を魏の文侯に悪す。文侯之に投ずるに夜光の璧を以てす。何となれば、両主二臣、心を剖き肝を坼きて相信ず。豈に浮辞に移らんや。故に女に美悪無く、宮に入れば妒まる。士に賢不肖無く、朝に入れば嫉まる。昔者、司馬喜は宋に髕脚せられ、卒に中山に相たり。范睢は魏に脅を摺かれ歯を折られ、卒に応侯と為る。此の二人は、皆必然の画を信じ、朋党の私を捐て、孤独の位を挟む。故に自ら嫉妒の人より免るる能はざるなり。是を以て申徒狄は自ら河に沈み、徐衍は石を負ひて海に入る。世に容れられず、義茍取せず、朝に比周して以て主上の心を移さず。故に百里奚は路に食を乞ふも、繆公之に委ぬるに政を以てす。甯戚は車下に牛を飯ふも、而して桓公之に任ずるに国を以てす。此の二人は、豈に宦を朝に借り、誉を左右に仮りて、然る後に二主之を用ひんや。心に感じ、行に合ひ、膠漆より親しく、昆弟も離す能はず。豈に衆口に惑はんや。故に偏聴は姦を生じ、独任は乱を成す。昔者、魯は季孫の説を聴きて孔子を逐ひ、宋は子罕の計を信じて墨翟を囚ふ。夫れ孔・墨の弁を以てするも、自ら讒諛より免るる能はずして、二国以て危し。何となれば、衆口は金を鑠かし、積毀は骨を銷せばなり。是を以て秦は戎人由余を用ひて中国に霸たり、斉は越人蒙を用ひて威・宣を彊くす。此の二国は、豈に俗に拘はり、世に牽かれ、阿偏の辞に系らんや。公聴并観して、名を当世に垂る。故に意合へば則ち胡越も昆弟と為る、由余・越人蒙是なり。合はざれば則ち骨肉も出逐して収めず、朱・象・管・蔡是なり。今、人主誠に能く斉・秦の義を用ひ、宋・魯の聴を後にせば、則ち五伯も称するに足らず、三王も為し易きなり。
-
孔子家語・儒行解儒に博学にして窮まらず、篤行にして倦まず、幽居して淫せず、上通じて困しまず有り。礼は必ず和を以てし、優遊は法を以てす。賢を慕いて衆を容れ、方を毀ちて瓦合す。其の寛裕此くの如き者有り。儒に内は称するに親を避けず、外は挙ぐるに怨を避けず有り。功を程り事を積み、厚禄を求めず、賢を推し能を達し、其の報を望まず。君は其の志を得、民は其の徳に頼る。茍くも国家を利すれば、富貴を求めず。其の賢を挙げ能を援くこと此くの如き者有り。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る