貞観政要 / 孝友
韓王元嘉,貞觀初,為潞州刺史。時年十五,在州聞太妃有疾,便涕泣不食,及至京師發喪,哀毀過禮。太宗嘉其至性,屢慰勉之。元嘉閨門修整,有類寒素士大夫,與其弟魯哀王靈夔甚相友愛,兄弟集見,如布衣之禮。其修身潔已,內外如一,當代諸王莫能及者。
新字:韓王元嘉,貞観初,為潞州刺史。時年十五,在州聞太妃有疾,便涕泣不食,及至京師発喪,哀毀過礼。太宗嘉其至性,屡慰勉之。元嘉閨門修整,有類寒素士大夫,与其弟魯哀王霊夔甚相友愛,兄弟集見,如布衣之礼。其修身潔已,内外如一,当代諸王莫能及者。
書き下し
韓王元嘉は、貞観の初め、潞州刺史と為る。時に年十五。州に在りて太妃の疾有るを聞き、便ち涕泣して食らわず。京師に至りて発喪するに及び、哀毀して礼に過ぐ。太宗其の至性を嘉し、屢々之を慰勉す。元嘉は閨門修整し、寒素の士大夫に類する有り。其の弟魯哀王霊夔と甚だ相い友愛す。兄弟集見するに、布衣の礼の如し。其の身を修め己を潔くし、内外一の如きは、当代の諸王、能く及ぶ者莫し。
現代語訳
韓王李元嘉は、貞観の初め、潞州刺史となった。当時十五歳。任地で母である太妃が病だと聞き、涙を流して食事もとらなかった。都に着いて喪を発するに至り、悲しみのあまり痩せ衰えることが礼を越えた。太宗はその至誠の性質を讃え、たびたび慰め励ました。李元嘉は家の中がよく整い、清貧な士大夫のようであった。弟の魯哀王李霊夔と非常に仲がよく、兄弟が集まる時は、庶民のような礼儀で接した。身を修め己を清くし、内も外も一つであることは、当代の諸王で及ぶ者がなかった。
解説
韓王元嘉は、まだ十五歳のとき、任地で母の病を聞いて食事も喉を通らなくなり、都で喪に服す間はやせ衰えるほど悲しみました。太宗はその真心を認め、たびたび励ましています。この話の核心は「家の中も外も、姿が一つである」という一句です。人前では礼儀正しく振る舞っても、家の中では別人のように崩れる人は少なくありません。しかし元嘉は、王という身分でありながら暮らしぶりは質素な家柄の人のようで、弟とも身分を忘れて庶民のような礼儀で接していたといいます。誰も見ていない場所での姿こそ、その人の本当の姿です。外での顔と家庭での顔が大きく違う人もいますが、どちらでも同じ態度でいられることは、案外難しく、そして大切なことなのです。
この章句が説くこと
修身潔己内外如一閨門修整外と内が同じ
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