貞観政要 / 忠義
貞觀十九年,太宗攻遼東安市城,高麗人眾皆死戰,詔令耨薩延壽、惠真等降,眾止其城下以招之,城中堅守不動。每見帝幡旗,必乘城鼓譟。帝怒甚,詔江夏王道宗築土山,以攻其城,竟不能克。太宗將旋師,嘉安市城主堅守臣節,賜絹三百匹,以勸勵事君者。
新字:貞観十九年,太宗攻遼東安市城,高麗人衆皆死戦,詔令耨薩延寿、恵真等降,衆止其城下以招之,城中堅守不動。毎見帝幡旗,必乗城鼓譟。帝怒甚,詔江夏王道宗築土山,以攻其城,竟不能克。太宗将旋師,嘉安市城主堅守臣節,賜絹三百匹,以勧励事君者。
書き下し
貞観十九年、太宗遼東の安市城を攻む。高麗の人衆は皆な死戦す。詔して耨薩(どうさつ)延寿・恵真等を降し、衆を其の城下に止めて以て之を招く。城中は堅守して動かず。帝の幡旗を見る毎に、必ず城に乗りて鼓譟す。帝の怒り甚だし。江夏王道宗に詔して土山を築き、以て其の城を攻めしむ。竟に克つ能わず。太宗将に師を旋(かえ)さんとす。安市城主の臣節を堅守するを嘉し、絹三百匹を賜い、以て君に事うる者を勧励す。
現代語訳
貞観十九年、太宗は遼東の安市城を攻めた。高句麗の人々はみな死力を尽くして戦った。詔して降将の延寿と恵真らを城下に立たせ、投降を呼びかけた。しかし城中は固く守って動かなかった。皇帝の旗を見るたびに、必ず城壁に登って喊声を上げた。皇帝は大いに怒った。江夏王李道宗に命じて土の山を築き、城を攻めさせた。ついに落とせなかった。太宗は軍を引き返そうとした。そして安市城主が臣下の節を固く守ったことを讃え、絹三百匹を賜って、君主に仕える者を励ました。
解説
忠義篇の最後を締めくくる話です。太宗が攻めた遼東の安市城は、最後まで落ちませんでした。城主は降伏の呼びかけにも応じず、太宗の旗を見るたびに城壁の上から喊声を浴びせ、太宗を大いに怒らせています。それでも軍を引き上げる際、太宗はその城主を「臣下としての節を固く守った」と讃え、絹三百匹を贈りました。自分を最も苦しめ、怒らせた相手です。しかし忠義そのものは、敵か味方かを問わず認めるべきものだと考えたのでしょう。腹立たしい相手でも、その人が筋を通して行動したことは正しく評価する。怒りの感情と、行いへの評価とを分けて考える姿勢は、家庭でぶつかった相手や、意見の合わない近所の人との付き合いでも、参考になる態度です。
この章句が説くこと
嘉安市城主堅守臣節賜絹三百匹怒りと評価を分ける
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