貞観政要 / 忠義
貞觀十五年,詔曰:「朕聽朝之暇,觀前史,每覽前賢佐時,忠臣徇國,何嘗不想見其人,廢書欽嘆!至於近代以來,年歲非遠,然其胤緒,或當見存,縱未能顯加旌表,無容棄之遐裔。其周、隋二代名臣及忠節子孫,有貞觀已來犯罪配流者,宜令所司具錄奏聞。」於是多從矜宥。
新字:貞観十五年,詔曰:「朕聴朝之暇,観前史,毎覧前賢佐時,忠臣徇国,何嘗不想見其人,廃書欽嘆!至於近代以来,年歳非遠,然其胤緒,或当見存,縦未能顕加旌表,無容棄之遐裔。其周、隋二代名臣及忠節子孫,有貞観已来犯罪配流者,宜令所司具録奏聞。」於是多従矜宥。
書き下し
貞観十五年、詔して曰く、「朕は聴朝の暇、前史を観る。前賢の時を佐け、忠臣の国に徇(したが)うを覧る毎に、何ぞ嘗て其の人を想見し、書を廃して欽嘆せざらんや。近代より以来に至りては、年歳遠きに非ず。然れども其の胤緒、或いは当に見(げん)に存すべし。縦(たと)い未だ能く顕らかに旌表を加えずとも、之を遐裔(かえい)に棄つるを容るる無かれ。其の周・隋二代の名臣及び忠節の子孫にして、貞観已来、罪を犯して配流せられし者有らば、宜しく所司をして具さに録して奏聞せしむべし」と。是に於て多く矜宥に従う。
現代語訳
貞観十五年、詔を下して言った。「私は朝政の合間に、前代の史書を読む。昔の賢者が時代を助け、忠臣が国に殉じたのを見るたび、その人を思い浮かべ、書を置いて感嘆しないことがない。近代に至っては、年月もそう遠くない。その子孫は、今も生きているだろう。たとえ表立って顕彰できなくとも、遠い辺境に見捨てるようなことがあってはならない。周と隋の二代の名臣、および忠節の士の子孫で、貞観以来、罪を犯して流刑になった者があれば、担当の役所に詳しく記録して報告させよ」。そこで多くが赦された。
解説
太宗は、周や隋の時代に国のために尽くした忠臣の子孫が、罪を犯して遠くに流されていないか調べさせ、見つかれば赦すよう命じました。「その人を思い浮かべるたび、書物を置いて感嘆せずにいられない」と述べ、「たとえ表立って顕彰できなくても、遠い辺境に見捨ててはならない」と続けています。本人の功績が、子孫の罪を消してくれるわけではありません。しかし、かつて国に尽くした人の血筋を放っておかない、という姿勢を示すことには意味があります。功績に報いる姿勢を見せなければ、次にまた誰かが身を捧げて尽くそうとは思わなくなるからです。家庭でも、祖父母や親の代の恩を忘れず、その子や孫を気にかけ続けることが、次の世代の頑張りにつながっていきます。
この章句が説くこと
無容棄之遐裔忠節の子孫を赦す報いる姿勢を示す人事
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