貞観政要 / 忠義
貞觀九年,蕭瑀為尚書左仆射。嘗因宴集,太宗謂房玄齡曰:「武德六年已後,太上皇有廢立之心,我當此日,不為兄弟所容,實有功高不賞之懼。蕭瑀不可以厚利誘之,不可以刑戮懼之,真社稷臣也。」乃賜詩曰:「疾風知勁草,板蕩識誠臣。」瑀拜謝曰:「臣特蒙誡訓,許臣以忠諒,雖死之日,猶生之年。」
新字:貞観九年,蕭瑀為尚書左仆射。嘗因宴集,太宗謂房玄齢曰:「武徳六年已後,太上皇有廃立之心,我当此日,不為兄弟所容,実有功高不賞之懼。蕭瑀不可以厚利誘之,不可以刑戮懼之,真社稷臣也。」乃賜詩曰:「疾風知勁草,板蕩識誠臣。」瑀拝謝曰:「臣特蒙誡訓,許臣以忠諒,雖死之日,猶生之年。」
書き下し
貞観九年、蕭瑀は尚書左僕射と為る。嘗て宴集に因り、太宗房玄齢に謂いて曰く、「武徳六年已後、太上皇に廃立の心有り。我は此の日に当たり、兄弟の容るる所と為らず。実に功高くして賞せられざるの懼れ有り。蕭瑀は厚利を以て之を誘うべからず、刑戮を以て之を懼れしむべからず。真に社稷の臣なり」と。乃ち詩を賜いて曰く、「疾風に勁草を知り、板蕩に誠臣を識る」と。瑀拝謝して曰く、「臣は特に誡訓を蒙り、臣に許すに忠諒を以てす。死するの日と雖も、猶お生くるの年のごとし」と。
現代語訳
貞観九年、蕭瑀が尚書左僕射となった。ある宴席で、太宗が房玄齢に言った。「武徳六年以後、太上皇には太子を廃立する意向があった。私はその頃、兄弟に容れられず、実に功が高すぎて賞されない恐れがあった。蕭瑀は、厚い利益で誘うこともできず、刑罰で恐れさせることもできなかった。まことに国家の臣だ」。そして詩を賜って言った。「疾風に勁草を知り、板蕩に誠臣を識る」。蕭瑀は拝礼して言った。「臣は特に戒めの言葉を賜り、忠実さを認めていただいた。死ぬ日であっても、なお生きている年と同じです」。
解説
「疾風に勁草を知り、板蕩に誠臣を識る」という有名な言葉が生まれた場面です。激しい風が吹いて初めて、根の強い草がどれかが分かる。世の中が乱れて初めて、本当に誠実な人が分かる、という意味です。太宗はかつて兄弟の争いに巻き込まれ、功績が大きすぎてかえって危うい立場に立たされたことがありました。そのとき蕭瑀は、高い利益で引き寄せることも、罰の脅しで黙らせることもできない人物だったと振り返っています。物事が順調なときは、誰でも誠実そうに見えるものです。しかし本当の値打ちは、得をする話や、こちらを脅すような場面でこそ現れます。家族や友人付き合いでも同じで、こちらが困っているときや損得が絡む場面で変わらず正直でいてくれる人こそ、本当に頼れる人だと分かるのです。
この章句が説くこと
疾風知勁草板蕩識誠臣利で誘えず刑で恐れさせられず危機が質を現す