貞観政要 / 忠義
貞觀六年,授左光祿大夫陳叔達禮部尚書,因謂曰:「武德中,公曾進直言於太上皇,明朕有克定大功,不可黜退云。朕本性剛烈,若有抑挫,恐不勝憂憤,以致疾斃之危。今賞公忠謇,有此遷授。」叔達對曰:「臣以隋氏父子自相誅戮,以至滅亡,豈容目睹覆車,不改前轍?臣所以竭誠進諫。」太宗曰:「朕知公非獨為朕一人,實為社稷之計。」
新字:貞観六年,授左光禄大夫陳叔達礼部尚書,因謂曰:「武徳中,公曽進直言於太上皇,明朕有克定大功,不可黜退云。朕本性剛烈,若有抑挫,恐不勝憂憤,以致疾斃之危。今賞公忠謇,有此遷授。」叔達対曰:「臣以隋氏父子自相誅戮,以至滅亡,豈容目睹覆車,不改前轍?臣所以竭誠進諫。」太宗曰:「朕知公非独為朕一人,実為社稷之計。」
書き下し
貞観六年、左光禄大夫陳叔達に礼部尚書を授く。因りて謂いて曰く、「武徳中、公は曾て直言を太上皇に進め、朕に克定の大功有り、黜退すべからずと明らかにすと云う。朕は本性剛烈なり。若し抑挫する有らば、恐らくは憂憤に勝えず、以て疾斃の危きを致さん。今、公の忠謇を賞し、此の遷授有り」と。叔達対えて曰く、「臣は隋氏の父子自ら相い誅戮し、以て滅亡に至るを以てす。豈に覆車を目睹して、前轍を改めざるを容れんや。臣が誠を竭くして諫を進むる所以なり」と。太宗曰く、「朕は公が独り朕一人の為のみに非ず、実に社稷の計の為なるを知る」と。
現代語訳
貞観六年、左光禄大夫の陳叔達に礼部尚書を授けた。そして言った。「武徳年間、あなたはかつて太上皇に直言し、私に天下平定の大功があり、退けてはならないと明言してくれたという。私は生まれつき気性が激しい。もし抑えつけられれば、憂いと憤りに堪えられず、病に倒れる危険があっただろう。今、あなたの忠実な直言を賞して、この昇進を与える」。陳叔達は答えて言った。「臣は、隋の父子が互いに誅殺し合い、滅亡に至ったのを見ました。どうして覆った車を目にしながら、前の轍を改めずにいられましょう。だから誠を尽くして諫めたのです」。太宗は言った。「私は、あなたが私一人のためではなく、実は国家のために言ってくれたと分かっている」。
解説
この章句が説くこと
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貞観政要・忠義貞観五年、太宗侍臣に謂いて曰く、「忠臣烈士、何の代か之れ無からん。公等、隋朝の誰か忠貞たるを知るか」と。王珪曰く、「臣聞く、太常丞元善達、京に在りて留守す。群賊の縦横するを見て、遂に騎を転じて遠く江都に詣り、煬帝を諫め、京師に還らしめんとす。既に其の言を受けず。後に更に涕泣して極諫す。煬帝怒りて、乃ち遠く使わして兵を追わしむ。身は瘴癘の地に死す。虎賁郎中独孤盛有り。江都に在りて宿衛す。宇文化及逆を起こす。盛は惟だ一身のみ。抗拒して死す」と。太宗曰く、「屈突通は隋の将と為り、国家と潼関に戦う。京城の陥るを聞き、乃ち兵を引きて東に走る。義兵、桃林に追及す。朕は其の家人を遣わして往きて招慰せしむ。遽かに其の奴を殺す。又た其の子を遣わして往かしむ。乃ち云う、『我は隋家の駆使を蒙り、已に両帝に事う。今は吾が死節の秋なり。汝は旧は我が家に於て父子と為るも、今は則ち我が家に於て仇讎と為る』と。因りて之を射る。其の子避け走る。領する所の士卒多く潰散す。通は惟だ一身のみ。東南に向かいて慟哭し哀を尽くす。曰く、『臣は国恩を荷(にな)い、任は将帥に当たる。智力倶に尽き、此の敗亡を致す。臣が誠を国に竭くさざるに非ず』と。言尽きて、追兵之を擒(とら)う。太上皇其の官を授くるも、毎に疾に託して固辞す。此の忠節、嘉尚するに足るべし」と。因りて所司に敕し、大業中の直諫して誅せられし者の子孫を采訪し、聞奏せしむ。
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貞観政要・直諫貞観六年、人有りて尚書右丞魏徴を告げ、其の親戚に阿党すと言う。太宗は御史大夫温彦博をして其の事を案験せしむ。乃ち言う者の不直なり。彦博奏して称す、徴は既に人の道(い)う所と為る。私無きに在りと雖も、亦た責むべき有り、と。遂に彦博をして徴に謂わしめて曰く、「爾は我を諫正すること数百条。豈に此の小事を以て、便ち衆美を損なわんや。今より已後、形跡を存せざるを得ず」と。数日を居(お)き、太宗徴に問いて曰く、「昨来、外に在りて、何の不是の事有るを聞くや」と。徴曰く、「前日、彦博をして勅を宣べて臣に語らしめて云う、『何に因りてか形跡を存せざる』と。此の言は大いに不是なり。臣聞く、君臣は気を同じくし、義は一体に均し、と。未だ公道を存せずして、惟だ形跡を事とするを聞かず。若し君臣上下、同じく此の路に遵(したが)わば、則ち邦国の興喪は、或いは未だ知るべからず」と。太宗矍然として容を改めて曰く、「前に此の語を発するも、尋いで已に之を悔ゆ。実に大いに不是なり。公も亦た遂に隠避を懐くを得ざれ」と。徴乃ち拝して言いて曰く、「臣は身を以て国に許す。直道にして行う。必ず敢えて欺負する所有らず。但だ願わくは陛下、臣をして良臣と為らしめよ。臣をして忠臣と為らしむる勿かれ」と。太宗曰く、「忠と良とに異なる有るか」と。徴曰く、「良臣は身をして美名を獲しめ、君は顕号を受く。子孫は世を伝え、福禄は疆り無し。忠臣は身は誅夷を受け、君は大悪に陥る。家と国と並びに喪び、独り其の名有るのみ。此を以て言えば、相い去ること遠し」と。太宗曰く、「君は但だ此の言に違う莫かれ。我は必ず社稷の計を忘れず」と。乃ち絹二百匹を賜う。
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貞観政要・忠義貞観十二年、太宗蒲州に幸す。因りて詔して曰く、「隋の故の鷹撃郎将堯君素は、往に大業に在りて、任を河東に受け、忠義を固守し、克く臣節を終う。桀犬の堯に吠ゆると雖も、倒戈の志に乖(そむ)く有り。疾風の勁草、実に歳寒の心を表す。爰に茲の境を践み、往事を追懐す。宜しく寵命を錫(たま)い、以て勧奨を申(の)ぶべし。追いて蒲州刺史を贈るべし。仍お其の子孫を訪ねて以て聞せよ」と。
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貞観政要・忠義貞観十五年、詔して曰く、「朕は聴朝の暇、前史を観る。前賢の時を佐け、忠臣の国に徇(したが)うを覧る毎に、何ぞ嘗て其の人を想見し、書を廃して欽嘆せざらんや。近代より以来に至りては、年歳遠きに非ず。然れども其の胤緒、或いは当に見(げん)に存すべし。縦(たと)い未だ能く顕らかに旌表を加えずとも、之を遐裔(かえい)に棄つるを容るる無かれ。其の周・隋二代の名臣及び忠節の子孫にして、貞観已来、罪を犯して配流せられし者有らば、宜しく所司をして具さに録して奏聞せしむべし」と。是に於て多く矜宥に従う。
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貞観政要・君臣鑑戒貞観三年、太宗侍臣に謂いて曰く、「君臣は本と治乱を同じくし、安危を共にす。若し主は忠諫を納れ、臣は直言を進めば、斯れ故に君臣は契を合わす。古来重んずる所なり。若し君自ら賢とし、臣匡正せずんば、危亡せざらんと欲するも、得べからざるなり。君其の国を失えば、臣も亦た独り其の家を全うする能わず。隋の煬帝の暴虐に至るが如きは、臣下は口を鉗ざす。卒に其の過ちを聞かざらしめ、遂に滅亡に至る。虞世基等も尋いで亦た誅死せり。前事遠からず。朕と卿等と、慎まざるを得べけんや。後の嗤う所と為る無かれ」と。
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貞観政要・政体貞観六年、太宗侍臣に謂いて曰く、「古人云く、『危うくして持せず、顛(たお)れて扶(たす)けずんば、焉くんぞ彼の相を用いん』と。君臣の義、忠を尽くし匡救せざるを得んや。朕嘗て書を読み、桀の関龍逄(かんりょうほう)を殺し、漢の黽錯(ちょうそ)を誅するを見る。未だ嘗て書を廃して嘆息せずんばあらず。公等但だ能く正詞直諫し、政教を裨益(ひえき)せば、終に顔を犯し旨に忤(さか)らうを以て、妄りに誅責有らざらん。朕、比来(ひらい)朝に臨みて断決するに、亦た律令に乖(そむ)く者有り。公等は以て小事と為し、遂に執言せず。凡そ大事は皆な小事より起こる。小事論ぜざれば、大事又た将に救うべからざらんとす。社稷の傾危、此に由らざる莫し。隋主は残暴にして、身は匹夫の手に死す。率土の蒼生、嗟痛(さつう)を聞くこと罕(まれ)なり。公等は朕の為に隋氏滅亡の事を思え。朕は公等の為に龍逄・晁錯の誅を思わん。君臣保全せば、豈に美ならずや」と。
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