貞観政要 / 忠義
貞觀二年,將葬故息隱王建成、海陵王元吉,尚書右丞魏徵與黃門侍郎王珪,請預陪送。上表曰:「臣等昔受命太上,委質東宮,出入龍樓,垂將一紀。前宮結釁宗社,得罪人神,臣等不能死亡,甘從夷戮,負其罪戾,寘錄周行,徒竭生涯,將何上報?陛下德光四海,道冠前王,陟岡有感,追懷棠棣,明社稷之大義,申骨肉之深恩,卜葬二王,遠期有日。臣等永惟疇昔,忝曰舊臣,喪君有君,雖展事居之禮;宿草將列,未申送往之哀。瞻望九原,義深凡百,望於葬日,送至墓所。」太宗義而許之,於是宮府舊僚吏,盡令送葬。
新字:貞観二年,将葬故息隠王建成、海陵王元吉,尚書右丞魏徴与黄門侍郎王珪,請預陪送。上表曰:「臣等昔受命太上,委質東宮,出入竜楼,垂将一紀。前宮結釁宗社,得罪人神,臣等不能死亡,甘従夷戮,負其罪戻,寘録周行,徒竭生涯,将何上報?陛下徳光四海,道冠前王,陟岡有感,追懐棠棣,明社稷之大義,申骨肉之深恩,卜葬二王,遠期有日。臣等永惟疇昔,忝曰旧臣,喪君有君,雖展事居之礼;宿草将列,未申送往之哀。瞻望九原,義深凡百,望於葬日,送至墓所。」太宗義而許之,於是宮府旧僚吏,尽令送葬。
書き下し
貞観二年、将に故の息隠王建成・海陵王元吉を葬らんとす。尚書右丞魏徴と黄門侍郎王珪と、預(あらかじ)め陪送せんことを請う。表を上りて曰く、「臣等は昔、命を太上に受け、質を東宮に委ぬ。龍楼に出入すること、垂(なんな)んとして一紀ならんとす。前宮は釁(きん)を宗社に結び、罪を人神に得たり。臣等は死亡する能わず、甘んじて夷戮に従い、其の罪戻を負う。周行に寘録(ちろく)せられ、徒らに生涯を竭くす。将た何を以てか上に報いん。陛下の徳は四海に光り、道は前王に冠たり。岡に陟(のぼ)りて感有り、棠棣を追懐す。社稷の大義を明らかにし、骨肉の深恩を申(の)ぶ。二王を卜葬し、遠く期は日有り。臣等永く疇昔(ちゅうせき)を惟い、忝(かたじけな)くも旧臣と曰う。君を喪いて君有り、事居の礼を展ぶと雖も、宿草将に列せんとするも、未だ往を送るの哀を申べず。九原を瞻望す。義は凡百に深し。望むらくは葬の日に於て、墓所に送り至らん」と。太宗之を義として許す。是に於て宮府の旧僚吏、尽く葬を送らしむ。
現代語訳
貞観二年、亡き息隠王李建成と海陵王李元吉を葬ることになった。尚書右丞の魏徴と黄門侍郎の王珪が、葬列に加わりたいと願い出た。上表して言った。「臣らはかつて太上皇の命を受け、東宮に身を委ねました。宮門を出入りすること、十二年になろうとしていました。前の東宮は国家に罪を犯し、人にも神にも罪を得ました。臣らは死ぬこともできず、甘んじて処刑に従うべきところ、その罪を負いながら、朝廷の列に記され、いたずらに生涯を過ごしております。何をもって上に報いましょう。陛下の徳は四海に輝き、道は前の王に冠たるものです。丘に登って感じるところがあり、兄弟の情を追懐されました。国家の大義を明らかにし、骨肉の深い恩を示された。二王の葬儀を占い、日取りが定まりました。臣らは永く昔を思い、かたじけなくも旧臣と呼ばれる身です。君を失って新しい君を得、仕える礼は尽くしていますが、墓に草が生えようとする今も、亡き人を送る哀しみを述べていません。墓所を望み見て、義の思いは深い。願わくは葬儀の日に、墓所までお送りしたいのです」。太宗はこれを義として許した。そこで東宮と斉王府の旧臣たちを、みな葬送に参列させた。
解説
この章句が説くこと
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『洗心洞箚記』卷上・第四條身体髪膚、之を父母に受く。敢へて毀傷せざるは、孝の始めなり。吾惟ふに心の徳は、之を天に受く。敢へて其の徳を毀傷せざるは、孝の要なり。身外の虚なる者は、即ち吾が心の本体なり。故に曰く、大を語れば天下も能く載する莫しと。
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『和俗童子訓』巻之三・随年教法一かしづきて従ふ人より、まづ孝弟の道を教ふべし。能く父母に事ふるを孝とし、よく兄長に事ふるを弟とす。是人たる者の第一に勤め行ふべき道なる事、かしづきて師となる人、早く教ふべし。次に兄長を敬ひ従ひて、侮るべからざる事を教ふべし。兄長とは、兄姊をぢをば、また、いとこの内、其外にも、年たけて敬ふべき人を云ふ。凡孝弟の二は、人間の道を行ふ本なり。万事の善は、皆是よりはじまれる事を教ふべし。父母兄長におそれつつしみて、其教いましめを能く聞きて背かざる事を教ふべし。教を背きては、無下の事なり。父母を恐れず、兄長を侮らば、戒めてゆるすべからず。もし人を侮る事をゆるし、かへりて笑ひ悦べば、小児は善悪を弁へずして、悪しからざる事とおもひ、長じて後、此くせやまず。
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尚書・君陳王若(かく)のごとく曰く、「君陳よ、惟れ爾令徳にして孝恭なり。惟れ孝にして、兄弟に友に、克く有政に施す。汝に命じて茲の東郊を尹(をさ)めしむ、敬せよや。昔周公万民を師保し、民其の徳を懐く。往きて乃の司を慎み、茲に厥の常に率へ。懋めて周公の訓を昭らかにせば、惟れ民其れ乂まらん。我聞く、曰く、
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『徂徠先生答問書』卷中一孝行の儀御尋に候。成程聖人の教には孝弟忠信を中庸の徳行と名付け、是を貴賤によらず人たる者の勤め行ふべき事といたし申候。君子の道も、是を土台にいたし不申候得ば、高きにのぼるに楷梯なきがごとくに御座候。舜の契を司徒の官になされ、五倫を教へしめ給ふも、孔子の民に中庸の徳なき事を御なげき被成候も同意にて御座候。孝は父母によくつかへ候事、弟は兄長によくつかへ候事、忠は君につかゆるにても、又たれにても、人のためになし候事をば我身の事のごとくに如在なく身にかけ申候事に候。信と申候は、朋友其外あまねくの人にまじはり申候には言語を慎み偽り違候事なきやうに致し候を申候。是にて父母兄弟君臣朋友の道こもり申候故、五倫と申候も、中庸と申候も、孝弟忠信と申候も、ひとつ事にて御座候。
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史記 衛康叔世家慎公の父は、公子適なり。適の父は、敬公なり。慎公四十二年にして卒し、子の声公訓立つ。声公十一年にして卒し、子の成侯遫立つ。成侯の十一年、公孫鞅秦に入る。十六年、衛更に号を貶して侯と曰ふ。二十九年、成侯卒し、子の平侯立つ。平侯八年にして卒し、子の嗣君立つ。嗣君の五年、更に号を貶して君と曰ひ、独り濮陽を有つ。四十二年にして卒し、子の懐君立つ。懐君の三十一年、魏に朝す。魏懐君を囚へて殺す。魏更に嗣君の弟を立つ。是を元君と為す。元君は魏の婿為り。故に魏之を立つ。元君の十四年、秦魏の東地を抜き、秦初めて東郡を置き、更に衛を野王県に徙し、而して濮陽を并せて東郡と為す。二十五年、元君卒し、子の君角立つ。君角の九年、秦天下を併せ、立ちて始皇帝と為る。二十一年、二世君角を廃して庶人と為し、衛祀を絶つ。太史公曰く、余世家の言を読み、宣公の太子の婦を以て誅せられ、弟寿死を争ひて以て相譲るに至る。此れ晋の太子申生の敢て驪姫の過ちを明らかにせざると同じく、倶に父の志を傷つくるを悪む。然れども卒に死亡す。何ぞ其れ悲しきや。或いは父子相殺し、兄弟相滅ぼす。亦た独り何ぞや。
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