貞観政要 / 規諫太子
承乾大怒,遣刺客張師政、紇干承基就舍殺之。是時丁母憂,起復爲詹事。二人潛入其第,見志寧寢處苫廬,竟不忍而止。及承乾敗,太宗知其事,深勉勞之。
新字:承乾大怒,遣刺客張師政、紇干承基就舎殺之。是時丁母憂,起復為詹事。二人潜入其第,見志寧寝処苫廬,竟不忍而止。及承乾敗,太宗知其事,深勉労之。
書き下し
承乾大いに怒り、刺客張師政・紇干承基を遣わして舎に就きて之を殺さしむ。是の時、母の憂に丁(あ)たる。起復して詹事と為る。二人潜かに其の第に入る。志寧の苫廬に寝処するを見て、竟に忍びずして止む。承乾の敗るるに及び、太宗其の事を知り、深く之を勉労す。
現代語訳
承乾は大いに怒り、刺客の張師政と紇干承基を遣わして、家に押し入って殺させようとした。この時、于志寧は母の喪に服していた。喪中に呼び戻されて詹事となっていた。二人は密かに家に入った。于志寧が藁の粗末な庵で寝ているのを見て、ついに忍びなくなって止めた。承乾が失脚した後、太宗はこの事を知り、深く于志寧をねぎらった。
解説
承乾は激怒し、刺客を放って于志寧を亡き者にしようとしました。ちょうどそのとき、于志寧は母の喪に服していた最中でした。刺客の二人はひそかに屋敷に忍び込みますが、粗末な藁の小屋で、質素に喪に服して寝起きする于志寧の姿を目にし、とうとう手を下せずに立ち去ります。言葉を尽くした説得でも、剣による脅しでもありません。誰にも見られていないはずの、日々のふるまいそのものが、刺客の心を動かし、命を救ったのです。承乾が失脚した後、太宗はこの一件を知り、于志寧を深くねぎらいました。人の目がないところでどう過ごしているかは、普段は隠れていても、いざというときに必ず表に出てきます。日々の慎み深い暮らしが、思わぬ形で自分自身を守ってくれることがあるのです。
この章句が説くこと
見志寧寝処苫廬竟不忍而止暮らしぶりが身を守る刺客の手が止まる
関連する章句
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貞観政要・規諫太子書入るも、承乾は大いに怒り、刺客を遣わして将に屠害を加えんとす。俄かに宮の廃せらるるに属す。
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貞観政要・規諫太子承乾書を覧て悦ばず。
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貞観政要・規諫太子貞観中、太子承乾は数(しばしば)礼度を虧(か)き、侈縦は日々に甚だし。太子左庶子于志寧、『諫苑』二十巻を撰して之を諷す。是の時、太子右庶子孔穎達は顔を犯して諫を進むる毎に、承乾の乳母遂安夫人、穎達に謂いて曰く、「太子は長成せり。何ぞ宜しく屢々面摺(めんせつ)を得べけんや」と。対えて曰く、「国の厚恩を蒙る。死すとも恨む所無し」と。諫諍愈々切なり。承乾は『孝経義疏』を撰せしむ。穎達は又た文に因りて意を見(あら)わし、愈々規諫の道を広む。太宗並びに之を嘉納し、二人に各々帛五百疋、黄金一斤を賜い、以て承乾の意を励ます。
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貞観政要・規諫太子十五年、承乾は務農の時を以て、駕士等を召して役し、分番を許さず。人は怨苦を懐く。又た私かに突厥の群豎を引きて宮に入らしむ。志寧、書を上りて諫めて曰く、
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