貞観政要 / 規諫太子
貞觀十四年,太子詹事於志寧,以太子承乾廣造宮室,奢侈過度,耽好聲樂,上書諫曰:
新字:貞観十四年,太子詹事於志寧,以太子承乾広造宮室,奢侈過度,耽好声楽,上書諫曰:
書き下し
貞観十四年、太子詹事于志寧は、太子承乾の広く宮室を造り、奢侈度を過ぎ、声楽を耽好するを以て、書を上りて諫めて曰く、
現代語訳
貞観十四年、太子詹事の于志寧は、太子承乾が広く宮殿を造り、奢侈が度を越し、音楽に耽っているのを見て、上書して諫めた。
解説
貞観十四年、太子詹事の于志寧が、承乾の宮殿造営や度を越えた贅沢、音楽への耽溺を見かねて上書しました。実は于志寧より先に、張玄素という別の臣下もすでに同じことを諫めていました。一人が諫めて聞き入れられなくても、また別の人が言葉を変えて諫める。この積み重ねがあったからこそ、記録が今に残っているのです。家庭でも、子供や後輩の行き過ぎを、母親が言い、父親が言い、先生が言い、友人が言う。誰か一人が黙っても、次の誰かが言い続ける限り、まだ望みはあります。本当に危ういのは、周りの誰もが諦めて、何も言わなくなったときです。
この章句が説くこと
于志寧の諫言複数が諫める連なりが記録を残す
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貞観政要・規諫太子十五年、承乾は務農の時を以て、駕士等を召して役し、分番を許さず。人は怨苦を懐く。又た私かに突厥の群豎を引きて宮に入らしむ。志寧、書を上りて諫めて曰く、
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