貞観政要 / 規諫太子
太宗見而遣使謂百藥曰:「朕於皇太子處見卿所作賦,述古來儲貳事以誡太子,甚是典要。朕選卿以輔弼太子,正爲此事,大稱所委,但須善始令終耳。」因賜廄馬一疋,彩物三百段。
新字:太宗見而遣使謂百薬曰:「朕於皇太子処見卿所作賦,述古来儲貳事以誡太子,甚是典要。朕選卿以輔弼太子,正為此事,大称所委,但須善始令終耳。」因賜廄馬一疋,彩物三百段。
書き下し
太宗見て使を遣わして百薬に謂いて曰く、「朕は皇太子の処に於て卿が作る所の賦を見る。古来の儲貳の事を述べて以て太子を誡む。甚だ是れ典要なり。朕、卿を選びて以て太子を輔弼せしむるは、正に此の事の為なり。大いに委ぬる所に称(かな)う。但だ須らく善く始め令(よ)く終うべきのみ」と。因りて廄馬一疋、彩物三百段を賜う。
現代語訳
太宗はこれを見て、使者を遣わして李百薬に言った。「私は皇太子のところで、あなたの作った賦を見た。古来の太子の事跡を述べて太子を戒めている。まことに要を得ている。私があなたを選んで太子を補佐させたのは、まさにこのためだ。大いに期待に応えてくれた。ただ善く始め、善く終えてほしい」。そして厩の馬一頭、絹三百段を賜った。
解説
太宗が李百薬の『讃道賦』を読み、使者を通じて「私があなたを太子の補佐に選んだのは、まさにこのためだ。大いに期待に応えてくれた」と伝え、馬一頭と絹三百段を与えた場面です。父である太宗が、息子である太子を諫めた家臣に、褒美を与えている点に注目したいところです。「私が選んだのはこのためだ」という一言は、太子の側近に対して、太子に耳の痛いことを言うのがあなたの役目だ、と改めて示す意味を持ちます。同時にこれは、太子に対しても、父がこの諫めを高く評価していると伝えることになります。もし父が何も言わなければ、太子は側近の忠告を軽んじてしまうかもしれません。上に立つ人が、諫めてくれる人をきちんと評価し、それを周りに示すこと。これがあって初めて、諫言は力を持ちます。これは今の家庭や職場でも同じです。子どもに厳しいことを言ってくれた先生や、部下に耳の痛い意見を言ってくれた同僚を、上の立場の人がしっかり支えてこそ、その言葉は届き続けるのです。
この章句が説くこと
正為此事大称所委諫言に褒美を与える上の後押し
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