貞観政要 / 規諫太子
貞觀五年,李百藥爲太子右庶子,時太子承乾頗留意典墳,然閑宴之後,嬉戲過度。百藥作《讚道賦》以諷焉,其詞曰:
新字:貞観五年,李百薬為太子右庶子,時太子承乾頗留意典墳,然閑宴之後,嬉戯過度。百薬作《讚道賦》以諷焉,其詞曰:
書き下し
貞観五年、李百薬は太子右庶子と為る。時に太子承乾は頗る典墳に意を留む。然れども閑宴の後、嬉戯度を過ぐ。百薬『讃道賦』を作りて以て之を諷す。其の詞に曰く、
現代語訳
貞観五年、李百薬が太子右庶子となった。当時、太子の承乾はかなり古典に心を寄せていた。しかし宴の後は、遊戯が度を越えていた。李百薬は『讃道賦』を作って、それとなく諫めた。その詞に言った。
解説
規諫太子篇の冒頭です。太子承乾は、学問に興味がないわけではありませんでした。しかし宴の後の遊びが度を越す。李百薬は正面から叱らず、賦という文学の形で諫めます。「諷す」とは、遠回しに示すこと。真正面から言えば反発される相手に、形を変えて届ける工夫です。