貞観政要 / 尊敬師傅
貞觀十八年,高宗初立為皇太子,尚未尊賢重道,太宗又嘗令太子居寢殿之側,絕不往東宮。散騎常侍劉洎上書曰:
新字:貞観十八年,高宗初立為皇太子,尚未尊賢重道,太宗又嘗令太子居寝殿之側,絶不往東宮。散騎常侍劉洎上書曰:
書き下し
貞観十八年、高宗初めて立ちて皇太子と為る。尚お未だ賢を尊び道を重んぜず。太宗又た嘗て太子をして寝殿の側に居らしめ、絶えて東宮に往かしめず。散騎常侍劉洎、書を上りて曰く、
現代語訳
貞観十八年、高宗が初めて皇太子に立てられた。まだ賢者を尊び道を重んじていなかった。太宗はまた太子を自分の寝殿のそばに住まわせ、まったく東宮に行かせなかった。散騎常侍の劉洎が上書して言った。
解説
父である太宗が、皇太子になったばかりの高宗を、自分の寝殿のそばに住まわせ、東宮にはまったく行かせませんでした。理由は単純で、そばに置いておきたい、可愛いからです。しかしそのために、太子はまだ賢者を尊び道を重んじる姿勢を身につけておらず、東宮で師傅たちと顔を合わせる機会もありませんでした。子を思う愛情そのものが、学ぶ場を遠ざけてしまっているのです。散騎常侍の劉洎の上書は、まさにここを突きます。子どもを手元に置いておきたいという親の気持ちと、子どもが外に出て学ぶ必要と、どちらを優先すべきか。これは皇帝の家に限らず、いつまでも子を甘やかして手元に置いておきたい親であれば、誰にでも起こりうる悩みです。この短い一行に、問題の全体がすでに含まれています。
この章句が説くこと
太子を寝殿の側に置く東宮に行かせず愛情が教育を妨げる