貞観政要 / 尊敬師傅
貞觀十七年,太宗謂司徒長孫無忌、司空房玄齡曰:「三師以德道人者也。若師體卑,太子無所取則。」於是詔令撰太子接三師儀註。太子出殿門迎,先拜三師,三師答拜,每門讓三師。三師坐,太子乃坐。與三師書,前名惶恐,後名惶恐再拜。
新字:貞観十七年,太宗謂司徒長孫無忌、司空房玄齢曰:「三師以徳道人者也。若師体卑,太子無所取則。」於是詔令撰太子接三師儀註。太子出殿門迎,先拝三師,三師答拝,毎門譲三師。三師坐,太子乃坐。与三師書,前名惶恐,後名惶恐再拝。
書き下し
貞観十七年、太宗司徒長孫無忌・司空房玄齢に謂いて曰く、「三師は徳を以て人を道(みちび)く者なり。若し師の体卑しくんば、太子は則(のっと)る所無し」と。是に於て詔して太子の三師に接する儀註を撰せしむ。太子は殿門を出でて迎え、先ず三師を拝す。三師答拝す。門毎に三師に譲る。三師坐して、太子乃ち坐す。三師に書を与うるに、前は名して惶恐、後は名して惶恐再拝とす。
現代語訳
貞観十七年、太宗が司徒の長孫無忌と司空の房玄齢に言った。「三師は徳をもって人を導く者だ。もし師の位が低ければ、太子は手本とするものがない」。そこで詔して、太子が三師に接する際の儀礼を定めさせた。太子は殿の門を出て迎え、先に三師を拝する。三師が答礼する。門ごとに三師に先を譲る。三師が座ってから、太子が座る。三師に手紙を出す時は、初めに名を記して「惶恐」と書き、末尾にも名を記して「惶恐再拝」と書く。
解説
太子が三師にどう接するべきか、その作法を細かく定めた一段です。太宗は「三師は徳をもって人を導く者だ。もし師の位が低く扱われれば、太子には手本とすべきものがなくなる」と言い、儀礼を書き記させました。太子は御殿の門を出て師を出迎え、まず自分から先に拝礼する。師が拝礼を返す。門を通るときは、いつも師に先を譲る。師が座ってから、ようやく太子が座る。手紙を出すときは、始めにも終わりにも「恐れ入ります」というへりくだった言葉を添える。ここまで細かく形を決めるのは、その時々の気持ちに頼らないためです。挨拶を欠かさない、目上の人を先に通す、といった日々の何気ない振る舞いも同じで、敬意はまず形から入ります。そして繰り返す形が、やがて本物の中身を作っていくのです。
この章句が説くこと
若師体卑太子無所取則太子接三師儀註形が中身を作る