貞観政要 / 尊敬師傅
貞觀十一年,以禮部尚書王珪兼為魏王師。太宗謂尚書左仆射房玄齡曰:「古來帝子,生於深宮,及其成人,無不驕逸,是以傾覆相踵,少能自濟。我今嚴教子弟,欲皆得安全。王珪我久驅使,甚知剛直,志存忠孝,選為子師。卿宜語泰,每對王珪,如見我面,宜加尊敬,不得懈怠。」珪亦以師道自處,時議善之也。
新字:貞観十一年,以礼部尚書王珪兼為魏王師。太宗謂尚書左仆射房玄齢曰:「古来帝子,生於深宮,及其成人,無不驕逸,是以傾覆相踵,少能自済。我今厳教子弟,欲皆得安全。王珪我久駆使,甚知剛直,志存忠孝,選為子師。卿宜語泰,毎対王珪,如見我面,宜加尊敬,不得懈怠。」珪亦以師道自処,時議善之也。
書き下し
貞観十一年、礼部尚書王珪を以て兼ねて魏王の師と為す。太宗尚書左僕射房玄齢に謂いて曰く、「古来、帝子は深宮に生まる。其の成人するに及び、驕逸ならざる無し。是を以て傾覆相い踵ぎ、能く自ら済(すく)う者少なし。我は今、厳しく子弟を教え、皆な安全を得しめんと欲す。王珪は我が久しく駆使し、甚だ剛直なるを知る。志は忠孝に存す。選びて子の師と為す。卿宜しく泰に語れ、王珪に対する毎に、我が面を見るが如くせよ。宜しく尊敬を加うべし。懈怠するを得ざれ、と」と。珪も亦た師道を以て自ら処る。時議も之を善しとす。
現代語訳
貞観十一年、礼部尚書の王珪を兼ねて魏王の師とした。太宗は尚書左僕射の房玄齢に言った。「昔から帝の子は深い宮中に生まれる。成人する頃には、驕り高ぶらない者がない。だから転覆が相次ぎ、自ら救える者は少ない。私は今、厳しく子弟を教え、みな安全であらしめたい。王珪は私が長く使ってきて、極めて剛直だと知っている。志は忠孝にある。選んで子の師とした。あなたは李泰に伝えてくれ。王珪に会うたびに、私の顔を見るのと同じようにせよ。尊敬を加え、怠ってはならない、と」。王珪もまた、師としての道をもって自ら振る舞った。当時の評判も、これをよしとした。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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貞観政要・尊敬師傅貞観十七年、太宗司徒長孫無忌・司空房玄齢に謂いて曰く、「三師は徳を以て人を道(みちび)く者なり。若し師の体卑しくんば、太子は則(のっと)る所無し」と。是に於て詔して太子の三師に接する儀註を撰せしむ。太子は殿門を出でて迎え、先ず三師を拝す。三師答拝す。門毎に三師に譲る。三師坐して、太子乃ち坐す。三師に書を与うるに、前は名して惶恐、後は名して惶恐再拝とす。
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貞観政要・尊敬師傅貞観三年、太子少師李綱、脚疾有り、践履に堪えず。太宗歩輿を賜い、三衛をして轝(か)きて東宮に入らしむ。皇太子に詔して引きて殿に上らしめ、親しく之を拝せしむ。大いに崇重せらる。綱は太子の為に君臣父子の道、寝を問い膳を視るの方を陳ぶ。理は順い辞は直し。聴く者は倦むを忘る。太子嘗て古来の君臣名教、忠を竭くし節を尽くすの事を商略す。綱懍然として曰く、「六尺の孤を託し、百里の命を寄す。古人は以て難しと為すも、綱は以て易しと為す」と。論を吐き言を発する毎に、皆な辞色慷慨、奪うべからざるの志有り。太子は未だ嘗て聳然として礼敬せずんばあらず。
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貞観政要・礼楽貞観十三年、礼部尚書王珪奏言す、「令に準ずるに、三品以上は、親王に路に遇うも、馬を下るに合わず。今、皆な法に違いて敬を申(の)ぶ。朝典に乖く有り」と。太宗曰く、「卿輩は自ら崇貴ならんと欲し、我が児子を卑しむか」と。魏徴対えて曰く、「漢・魏より已来、親王の班は皆な三公の下に次ぐ。今、三品は並びに天子の六尚書・九卿なり。王の為に馬を下るは、王の当たるに宜しからざる所なり。諸を故事に求むれば、則ち憑るべき無く、之を今に行えば、又た国憲に乖く。理は誠に不可なり」と。帝曰く、「国家の太子を立つるは、擬して以て君と為さんとす。人の修短は、老幼に在らず。設(も)し太子無くんば、則ち母弟次いで立つ。此を以て言えば、安くんぞ我が子を軽んずるを得んや」と。徴又た曰く、「殷人は質を尚ぶ。兄終わりて弟及ぶの義有り。周より已降、嫡を立つるに必ず長。庶孽の窺窬(きゆ)を絶ち、禍乱の源本を塞ぐ所以なり。国家を為むる者、宜しく深く慎むべき所なり」と。太宗遂に王珪の奏を可とす。
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貞観政要・尊敬師傅貞観十八年、高宗初めて立ちて皇太子と為る。尚お未だ賢を尊び道を重んぜず。太宗又た嘗て太子をして寝殿の側に居らしめ、絶えて東宮に往かしめず。散騎常侍劉洎、書を上りて曰く、
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貞観政要・尊敬師傅貞観八年、太宗侍臣に謂いて曰く、「上智の人は、自ら染まる所無し。但だ中智の人は恒無く、教に従いて変ず。況んや太子の師保は、古より其の選を難しとす。成王は幼小なるも、周・召は保傅と為る。左右は皆な賢。日々に雅訓を聞く。以て仁を長じ徳を益し、聖君と為らしむるに足れり。秦の胡亥は、趙高を用いて傅と作す。教うるに刑法を以てす。其の位を嗣ぐに及び、功臣を誅し、親族を殺す。酷暴已(や)まず、踵を旋(めぐ)らして亡ぶ。故に知る、人の善悪は誠に近習に由るを。朕は今、太子・諸王の為に師傅を精選す。其れをして礼度を式瞻せしめ、裨益する所有らしむ。公等、正直忠信なる者を訪ね、各々三両人を挙ぐべし」と。
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貞観政要・任賢王珪は、太原祁県の人なり。武徳中、隠太子中允と為り、甚だ建成の礼する所と為る。後に其の陰謀の事に連なるを以て、巂州(すいしゅう)に流さる。建成誅せられて後、太宗即位し、召して諫議大夫に拝す。毎に誠を推し節を尽くし、献納する所多し。珪嘗て封事を上りて切諫す。太宗謂いて曰く、「卿の論ずる所は皆な朕の失に中(あた)る。古より人君は社稷の永く安からんことを欲せざるは莫し。然り而して得ざる者は、只だ己が過ちを聞かざるが為なり。或いは聞きて改むる能わざるが故なり。今、朕に失う所有り、卿能く直言す。朕復た過ちを聞きて能く改む。何ぞ社稷の安からざるを慮らんや」と。太宗又た嘗て珪に謂いて曰く、「卿若し常に諫官に居らば、朕は必ず永く過失無からん」と。顧待益ます厚し。貞観元年、黄門侍郎に遷り、政事に参預し、兼ねて太子右庶子。二年、進みて侍中に拝せらる。時に房玄齢・魏徴・李靖・温彦博・戴冑(たいちゅう)、珪と同じく国政を知る。嘗て宴に侍するに因り、太宗珪に謂いて曰く、「卿は識鑑精通し、尤も談論を善くす。玄齢等より、咸(みな)宜しく品藻すべし。又た自ら量るべし、孰(いず)れか諸子と賢なるか」と。対えて曰く、「孜孜として国に奉じ、知りて為さざる無きは、臣は玄齢に如かず。毎に諫諍を以て心と為し、君の堯・舜に及ばざるを恥ずるは、臣は魏徴に如かず。才は文武を兼ね、出でては将たり入りては相たるは、臣は李靖に如かず。敷奏詳明にして、出納惟れ允(まこと)なるは、臣は温彦博に如かず。繁を処し劇を理め、衆務必ず挙がるは、臣は戴冑に如かず。濁を激し清を揚げ、悪を嫉み善を好むに至りては、臣は数子に於いて、亦た一日の長有り」と。太宗深く其の言を然りとす。群公も亦た各々以て己が懐う所を尽くすと為し、之を確論と謂う。
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