貞観政要 / 太子諸王定分
貞觀十六年,太宗謂侍臣曰:「當今國家何事最急?各為我言之。」尚書右仆射高士廉曰:「養百姓最急。」黃門侍郎劉洎曰:「撫四夷急。」中書侍郎岑文本曰:「《傳》稱:『道之以德,齊之以禮。』由斯而言,禮義為急。」諫議大夫褚遂良曰:「即日四方仰德,不敢為非,但太子、諸王,須有定分,陛下宜為萬代法以遺子孫,此最當今日之急。」太宗曰:「此言是也。朕年將五十,已覺衰怠。既以長子守器東宮,諸弟及庶子數將四十,心常憂慮在此耳。但自古嫡庶無良佐,何嘗不傾敗家國。公等為朕搜訪賢德,以輔儲宮,爰及諸王,咸求正士。且官人事王,不宜歲久。歲久則分義情深,非意闚,多由此作。其王府官寮,勿令過四考。」
新字:貞観十六年,太宗謂侍臣曰:「当今国家何事最急?各為我言之。」尚書右仆射高士廉曰:「養百姓最急。」黄門侍郎劉洎曰:「撫四夷急。」中書侍郎岑文本曰:「《伝》称:『道之以徳,斉之以礼。』由斯而言,礼義為急。」諫議大夫褚遂良曰:「即日四方仰徳,不敢為非,但太子、諸王,須有定分,陛下宜為万代法以遺子孫,此最当今日之急。」太宗曰:「此言是也。朕年将五十,已覚衰怠。既以長子守器東宮,諸弟及庶子数将四十,心常憂慮在此耳。但自古嫡庶無良佐,何嘗不傾敗家国。公等為朕捜訪賢徳,以輔儲宮,爰及諸王,咸求正士。且官人事王,不宜歳久。歳久則分義情深,非意闚,多由此作。其王府官寮,勿令過四考。」
書き下し
貞観十六年、太宗侍臣に謂いて曰く、「当今、国家は何事か最も急なる。各々我が為に之を言え」と。尚書右僕射高士廉曰く、「百姓を養うこと最も急なり」と。黄門侍郎劉洎曰く、「四夷を撫すること急なり」と。中書侍郎岑文本曰く、「『伝』に称す、『之を道(みちび)くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てす』と。斯れに由りて言えば、礼義を急と為す」と。諫議大夫褚遂良曰く、「即日、四方は徳を仰ぎ、敢えて非を為さず。但だ太子・諸王は、須らく定分有るべし。陛下宜しく万代の法を為して以て子孫に遺すべし。此れ最も今日の急に当たる」と。太宗曰く、「此の言は是なり。朕は年将に五十ならんとす。已に衰怠を覚ゆ。既に長子を以て器を東宮に守らしむ。諸弟及び庶子は数将に四十ならんとす。心に常に憂慮するは此に在るのみ。但だ古より嫡庶に良佐無くんば、何ぞ嘗て家国を傾敗せざらんや。公等、朕の為に賢徳を捜訪し、以て儲宮を輔け、爰(ここ)に諸王に及ぶまで、咸な正士を求めよ。且つ官人の王に事うるは、歳久しきに宜しからず。歳久しければ則ち分義の情深し。非意の闚(うかが)いは、多く此に由りて作(おこ)る。其の王府の官寮は、四考を過ぐる勿からしめよ」と。
現代語訳
貞観十六年、太宗が側近の臣に言った。「今、国家にとって何が最も急務か。それぞれ言ってくれ」。尚書右僕射の高士廉は「民を養うことが最も急です」と言った。黄門侍郎の劉洎は「四方の異民族を安んじることが急です」と言った。中書侍郎の岑文本は「『論語』に『徳をもって導き、礼をもって整える』とあります。これから言えば、礼義が急務です」と言った。諫議大夫の褚遂良は「今日、四方は徳を仰ぎ、あえて悪を行いません。ただ太子と諸王には、分限が必要です。陛下は万代の法を定めて子孫に遺すべきです。これこそ今日の最も急務です」と言った。太宗は言った。「この言葉は正しい。私は年が五十になろうとしている。すでに衰えを覚える。長子に東宮を守らせているが、弟たちと庶子は四十人近い。心に常に憂えるのは、ここだ。昔から嫡子や庶子に良い補佐がなくて、家と国を傾けなかったことがあろうか。諸君は私のために賢者を探し、東宮を補佐させ、諸王に至るまで、みな正しい士を求めてくれ。それに官人が王に仕えるのは、年月が長すぎてはよくない。長くなれば、情が深くなる。分不相応な野心は、多くここから生まれる。王府の官僚は、四回の勤務評定を超えさせないように」。
解説
この章句が説くこと
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貞観政要・太子諸王定分貞観十三年、諫議大夫褚遂良は、毎日特に魏王泰の府に給する料物、皇太子に逾(こ)ゆる有るを以て、疏を上りて諫めて曰く、「昔、聖人礼を制するに、嫡を尊び庶を卑しくす。之を儲君と謂い、道は霄極に亜(つ)ぐ。甚だ崇重と為す。物を用うるに計らず、泉貨財帛は、王者と之を共にす。庶子は体卑し。例と為すを得ず。嫌疑の漸を塞ぎ、禍乱の源を除く所以なり。而して先王は必ず人情に本づき、然る後に法を制す。国家有れば、必ず嫡庶有るを知ればなり。然れども庶子は愛すと雖も、嫡子を超越するを得ず。正礼は特に須らく尊崇すべし。如し明らかに定分を立つる能わずんば、遂に当に親しむべき者をして疎ならしめ、当に尊ぶべき者をして卑しからしむ。則ち佞巧の徒、機に乗じて動く。私恩は公を害し、或いは国を乱すに至る。伏して惟うに、陛下は功は万古に超え、道は百王に冠たり。号令を発施し、世の為に法を作す。一日万幾、或いは未だ美を尽くさずんば、臣が職は諫諍なり。静黙するを容るる無し。伏して見るに、儲君の料物、翻って魏王より少なし。朝野の見聞、以て是と為さず。『伝』に曰く、『臣聞く、子を愛せば教うるに義方を以てす』と。忠・孝・恭・倹は、義方の謂いなり。昔、漢の竇太后及び景帝は並びに義方の理を識らず。遂に梁の孝王を驕恣にし、四十余城に封じ、苑は方三百里。大いに宮室を営み、復道は望を弥(わた)る。財鏹を積むこと巨万を計る。出づるに警め入るに蹕(ひつ)す。小しく意を得ざれば、病を発して死す。宣帝も亦た淮陽王を驕恣にし、幾(ほとん)ど敗に至る。其の輔くるに退譲の臣を以てするに頼り、僅かに乃ち免るるを獲たり。且つ魏王は既に新たに閤を出づ。伏して願わくは恒に礼訓を存し、妙に師傅を択び、其の成敗を示せ。既に之を敦くするに節倹を以てし、又た之を勧むるに文学を以てす。惟れ忠惟れ孝、因りて之を奨むるに道徳斉礼を以てせば、乃ち良器と為らん。此れ所謂る聖人の教えは、粛(きび)しからずして成る者なり」と。太宗深く其の言を納る。
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貞観政要・教戒太子諸王貞観中、皇子の年小なる者、多く授くるに都督刺史を以てす。諫議大夫褚遂良、疏を上りて諫めて曰く、「昔、両漢は郡国を以て人を治む。郡を除くの外、諸子を分立し、土を割きて疆を封じ、雑えて周制を用う。皇唐の郡県は、粗(ほ)ぼ秦法に依る。皇子は幼年にして、或いは刺史を授かる。陛下は豈に王の骨肉を以て、四方を鎮扞せしむるに非ずや。聖人の制を造るは、道は前古より高し。臣が愚見に小しく未だ尽くさざる有り。何となれば、刺史は師帥なり。人は仰ぎて以て安んず。一の善人を得ば、部内は蘇息す。一の不善人に遇わば、闔州は労弊す。是を以て人君は百姓を愛恤し、常に為に賢を択ぶ。或いは河潤九里と称し、京師は福を蒙る。或いは人と興詠し、生きながら為に祠を立つ。漢の宣帝云う、『我と共に理むる者は、惟だ良二千石か』と。臣が愚見の如くんば、陛下の子の内、年歯尚お幼く、未だ民に臨むに堪えざる者は、請う、且く京師に留め、教うるに経学を以てせよ。一には則ち天の威を畏れ、敢えて禁を犯さず。二には則ち朝儀を観見し、自然に成立せん。此に因りて積習せば、自ら人と為るを知り、審らかに州に臨むに堪えなば、然る後に遣り出せ。臣謹んで按ずるに、漢の明・章・和の三帝は、能く子弟を友愛す。茲より以降、以て準的と為す。諸王を封立するに、各々土有りと雖も、年尚お幼小なる者は、各々京師に留め、訓うるに礼法を以てし、垂るるに恩恵を以てす。三帝の世を訖(お)うるまで、諸王は数十百人。惟だ二王のみ稍(やや)悪し。自余は皆な沖和深粋なり。惟だ陛下、詳察せよ」と。太宗其の言を嘉納す。
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貞観政要・教戒太子諸王貞観七年、太宗太子左庶子于志寧・杜正倫に謂いて曰く、「卿等は太子を輔導す。常に須らく為に百姓の間の利害の事を説くべし。朕は年十八、猶お人間に在り。百姓の艱難、諳練(あんれん)せざる無し。帝位に居るに及び、商量処置する毎に、或いは時に乖疏有り。人の諫諍を得て、方(はじ)めて覚悟す。若し忠諫の者の為に説く無くんば、何に由りてか好事を行い得ん。況んや太子は深宮に生長す。百姓の艱難、都(すべ)て聞見せざらんや。且つ人主は安危の系(かか)る所なり。輒(すなわ)ち驕縦を為すべからず。但だ敕を出して云わば、諫むる者有らば即ち斬る、と。必ず知る、天下の士庶は敢えて更に直言を発する無からんことを。故に己に克ち精を励まし、諫諍を容納す。卿等常に須らく此の意を以て共に其れと談説すべし。不是の事有るを見る毎に、宜しく極言切諫し、裨益する所有らしむべし」と。
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貞観政要・太子諸王定分貞観七年、呉王恪に斉州都督を授く。太宗侍臣に謂いて曰く、「父子の情、豈に常に相い見んと欲せざらんや。但だ家と国とは事殊なり。須らく出でて藩屏と作(な)るべし。且つ其れをして早く定分有り、覬覦(きゆ)の心を絶たしめ、我が百年の後、其の兄弟をして危亡の患い無からしむるなり」と。
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貞観政要・太子諸王定分貞観十一年、侍御史馬周疏を上りて曰く、「漢・晋より以来、諸王は皆な樹置の宜しきを失い、預め定分を立てざるが為に、以て滅亡に至る。人主は熟(つらつ)ら其の然るを知るも、但だ私愛に溺る。故に前車既に覆るも、後車は轍を改めざるなり。今、諸王の寵遇の恩を承くること、厚きに過ぐる者有り。臣の愚慮は、惟だ其の恩を恃みて驕矜するを慮るのみに非ず。昔、魏の武帝は陳思を寵樹す。文帝の即位するに及び、防守禁閉して、獄囚に同じきこと有り。先帝の恩を加うること太(はなは)だ多きを以て、故に嗣王は従いて之を畏るるなり。此れ則ち武帝の陳思を寵するは、適(まさ)に之を苦しむる所以なり。且つ帝子は何ぞ富貴ならざるを患えんや。身は大国を食(は)み、封戸は少なからず。好衣美食の外、更に何の須(もと)むる所ぞ。而るに毎年別に優賜を加え、会(かつ)て紀極無し。俚語に曰く、『貧は倹を学ばず、富は奢を学ばず』と。自然なるを言うなり。今、陛下は大聖を以て業を創む。豈に惟だ見在の子弟を処置するのみならんや。当に須らく長久の法を制し、万代をして遵行せしむべし」と。疏奏す。太宗甚だ之を嘉し、物百段を賜う。
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貞観政要・礼楽貞観十三年、礼部尚書王珪奏言す、「令に準ずるに、三品以上は、親王に路に遇うも、馬を下るに合わず。今、皆な法に違いて敬を申(の)ぶ。朝典に乖く有り」と。太宗曰く、「卿輩は自ら崇貴ならんと欲し、我が児子を卑しむか」と。魏徴対えて曰く、「漢・魏より已来、親王の班は皆な三公の下に次ぐ。今、三品は並びに天子の六尚書・九卿なり。王の為に馬を下るは、王の当たるに宜しからざる所なり。諸を故事に求むれば、則ち憑るべき無く、之を今に行えば、又た国憲に乖く。理は誠に不可なり」と。帝曰く、「国家の太子を立つるは、擬して以て君と為さんとす。人の修短は、老幼に在らず。設(も)し太子無くんば、則ち母弟次いで立つ。此を以て言えば、安くんぞ我が子を軽んずるを得んや」と。徴又た曰く、「殷人は質を尚ぶ。兄終わりて弟及ぶの義有り。周より已降、嫡を立つるに必ず長。庶孽の窺窬(きゆ)を絶ち、禍乱の源本を塞ぐ所以なり。国家を為むる者、宜しく深く慎むべき所なり」と。太宗遂に王珪の奏を可とす。
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