貞観政要 / 太子諸王定分
貞觀七年,授吳王恪齊州都督。太宗謂侍臣曰:「父子之情,豈不欲常相見耶!但家國事殊,須出作藩屏。且令其早有定分,絕覬覦之心,我百年後,使其兄弟無危亡之患也。」
新字:貞観七年,授吳王恪斉州都督。太宗謂侍臣曰:「父子之情,豈不欲常相見耶!但家国事殊,須出作藩屏。且令其早有定分,絶覬覦之心,我百年後,使其兄弟無危亡之患也。」
書き下し
貞観七年、呉王恪に斉州都督を授く。太宗侍臣に謂いて曰く、「父子の情、豈に常に相い見んと欲せざらんや。但だ家と国とは事殊なり。須らく出でて藩屏と作(な)るべし。且つ其れをして早く定分有り、覬覦(きゆ)の心を絶たしめ、我が百年の後、其の兄弟をして危亡の患い無からしむるなり」と。
現代語訳
貞観七年、呉王李恪に斉州都督を授けた。太宗が側近の臣に言った。「父子の情として、常に会いたくないことがあろうか。しかし家と国とは事が違う。地方に出て、国の守りとならねばならない。それに早く分限を定め、位を望む心を断たせ、私の死後、兄弟に滅び合う憂いがないようにするのだ」。
解説
太子諸王定分篇の冒頭です。定分とは、それぞれの分限を定めること。太宗は、可愛い息子を手元に置かずに地方へ出します。なぜか。曖昧なままにすると、望みを抱くからです。「早く分限を定め、位を望む心を断たせる」。争いは、可能性が残っているところに生まれます。線を引かないことが、親切ではないのです。