貞観政要 / 封建
太宗並嘉納其言。於是竟罷子弟及功臣世襲刺史。
書き下し
太宗並びに其の言を嘉納す。是に於て竟に子弟及び功臣の世襲刺史を罷む。
現代語訳
太宗は両者の言葉をともによしとして受け入れた。そこでついに、一族と功臣の世襲刺史を取りやめた。
解説
封建篇を締めくくる一行です。太宗はここで、李百薬と馬周、二人の臣下の上奏をともによしとして受け入れ、自ら定めて実行しようとしていた仕組みをきっぱりと撤回しました。しかも取りやめたのは、一族と功臣という、太宗にとって最も身近で大切な人々に代々与えるはずだった特権です。一度公に発表したことを取り下げるのは、誰にとっても格好の悪いことです。家庭でも、親が一度言った約束を「やっぱりやめる」と言うのは気まずいものですし、地域の役員会でも、決めた方針を覆すのは勇気がいります。それでも太宗は、道理にかなった意見であれば、たとえ自分の面目より優先させました。決めたことに固執せず、正しい話には素直に耳を傾けて改める。ここに、貞観の政治を支えた芯の強さがあります。
この章句が説くこと
竟罷世襲刺史決めたことを撤回する面目より正しさ
関連する章句
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貞観政要・封建貞観十一年、太宗、周は子弟を封じて八百余年、秦は諸侯を罷めて二世にして滅び、呂后は劉氏を危うくせんと欲するも、終に宗室に頼りて安きを獲たるを以て、親賢を封建するは、当に是れ子孫長久の道なるべしとす。乃ち制を定む。子弟の荊州都督荊王元景、安州都督呉王恪等二十一人、又た功臣の司空趙州刺史長孫無忌、尚書左僕射宋州刺史房玄齢等十四人を以て、並びに世襲の刺史と為す。礼部侍郎李百薬、奏して世封の事を論駁して曰く、
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貞観政要・刑法太宗深く嘉して納用す。
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貞観政要・封建伏して詔書を見るに、宗室勲賢をして藩部に鎮を作(な)し、厥(そ)の子孫に貽(のこ)し、嗣ぎて其の政を守らしむ。大故有るに非ずんば、黜免する或(こと)無し、と。臣窃かに惟うに、陛下の之を封植するは、誠に之を愛し之を重んじ、其の緒裔をして承け守り、国と疆り無からしめんと欲すればなり。可(しか)らんか。堯・舜の父を以てすら、猶お朱・均の子有り。況んや此より下(くだ)りて還(かえ)って、父を以て児を取らんと欲するは、恐らくは之を失うこと遠からん。儻(も)し孩童の職を嗣ぐ有りて、万一驕逸ならば、則ち兆庶は其の殃を被り、而して国家は其の敗を受く。政(まさ)に之を絶たんと欲すれば、則ち子文の理は猶お在り。政に之を留めんと欲すれば、而して欒黶(らんえん)の悪は已に彰る。其の見存の百姓に毒害あらんよりは、則ち寧ろ已亡の一臣に恩を割かしむること、明らかなり。然らば則ち郷(さき)の所謂る之を愛する者は、乃ち適(まさ)に之を傷つくる所以なり。臣謂えらく、宜しく賦するに茅土を以てし、其の戸邑を疇(むく)い、必ず材行有らば、器に随いて方(まさ)に授くべし。則ち翰翮(かんかく)強からずとも、亦た以て尤累を免るるを獲べし。昔、漢の光武は功臣に吏事を任ぜず。終に其の世を全うする所以の者は、良に其の術を得たるに由るなり。願わくは陛下、深く其の宜しきを思い、夫れをして大恩を奉ずるを得しめ、而して子孫は其の福禄を終えしめよ。
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貞観政要・公平貞観初、太宗侍臣に謂いて曰く、「朕は今、孜孜として士を求む。心を政道に専らにせんと欲す。好人有るを聞かば、則ち抽擢して駆使す。而るに議する者は多く『彼の者は皆な宰臣の親故なり』と称す。但だ公等は至公なり。事を行うに此の言を避け、便ち形跡を為すこと勿かれ。古人は『内に挙ぐるに親を避けず、外に挙ぐるに讎を避けず』と。而して挙ぐるに其の真賢を得るが為の故なり。但だ能く挙用して才を得ば、是れ子弟及び讎嫌有りと雖も、挙げざるを得ず」と。
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貞観政要・君臣鑑戒太宗深く之を嘉納す。
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貞観政要・択官書奏す。甚だ之を嘉納す。
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