貞観政要 / 封建
中書舍人馬周又上疏曰:
新字:中書舎人馬周又上疏曰:
書き下し
中書舎人馬周、又た疏を上りて曰く、
現代語訳
中書舎人の馬周が、また上奏文を奉って言った。
解説
わずか一行ですが、封建篇の流れを大きく変える一文です。中書舎人の馬周が、李百薬に続いてまた上奏文を差し出した、というだけの記述です。李百薬はすでに歴史をさかのぼり、周と秦の違いを制度と天の巡り合わせから論じ尽くしていました。それでも太宗は、もう一人の臣下の言葉に耳を傾けます。同じ結論であっても、別の人が別の角度から言えば、説得する力は一段と増すものです。一人だけの反対意見は「あの人の変わった考え」として片付けられがちですが、二人、三人と同じ方向の声が上がれば、それは真剣に検討すべき論点に変わります。会議でも家族の話し合いでも、一人が言っても流されることが、複数の人が違う言い方で伝えると初めて重く受け止められる、ということはよくあります。李百薬は歴史と制度から論じましたが、この後に続く馬周は、もっと身近で具体的な現実から切り込んでいきます。
この章句が説くこと
馬周の上疏別角度からの反論論点の重み
関連する章句
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貞観政要・奢縦貞観十一年、侍御史馬周、疏を上りて時政を陳べて曰く、
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貞観政要・封建伏して詔書を見るに、宗室勲賢をして藩部に鎮を作(な)し、厥(そ)の子孫に貽(のこ)し、嗣ぎて其の政を守らしむ。大故有るに非ずんば、黜免する或(こと)無し、と。臣窃かに惟うに、陛下の之を封植するは、誠に之を愛し之を重んじ、其の緒裔をして承け守り、国と疆り無からしめんと欲すればなり。可(しか)らんか。堯・舜の父を以てすら、猶お朱・均の子有り。況んや此より下(くだ)りて還(かえ)って、父を以て児を取らんと欲するは、恐らくは之を失うこと遠からん。儻(も)し孩童の職を嗣ぐ有りて、万一驕逸ならば、則ち兆庶は其の殃を被り、而して国家は其の敗を受く。政(まさ)に之を絶たんと欲すれば、則ち子文の理は猶お在り。政に之を留めんと欲すれば、而して欒黶(らんえん)の悪は已に彰る。其の見存の百姓に毒害あらんよりは、則ち寧ろ已亡の一臣に恩を割かしむること、明らかなり。然らば則ち郷(さき)の所謂る之を愛する者は、乃ち適(まさ)に之を傷つくる所以なり。臣謂えらく、宜しく賦するに茅土を以てし、其の戸邑を疇(むく)い、必ず材行有らば、器に随いて方(まさ)に授くべし。則ち翰翮(かんかく)強からずとも、亦た以て尤累を免るるを獲べし。昔、漢の光武は功臣に吏事を任ぜず。終に其の世を全うする所以の者は、良に其の術を得たるに由るなり。願わくは陛下、深く其の宜しきを思い、夫れをして大恩を奉ずるを得しめ、而して子孫は其の福禄を終えしめよ。
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貞観政要・封建臣聞く、国を経(おさ)め民を庇(かば)うは、王者の常制なり。主を尊び上を安んずるは、人情の大方なり。理定の規を聞き、以て長世の業を弘めんことを思う。万古易わらず、百慮も帰を同じくす。然れども命歴に余促の殊有り、邦家に理乱の異有り。遐(はる)かに載籍を観るに、之を論ずること詳らかなり。咸な云う、周は其の数に過ぎ、秦は期に及ばず。存亡の理は、郡国に在り、と。周氏は夏・殷の長久を鑒(かんが)みるを以て、皇王の並建に遵う。維城磐石、根を深くし本を固くす。王綱弛廃すと雖も、枝幹相い持す。故に逆節を生ぜず、宗祀絶えざらしむ。秦氏は師古の訓に背き、先王の道を棄つ。華を践み険を恃み、侯を罷めて守を置く。子弟に尺土の邑無く、兆庶に共治の憂え罕(まれ)なり。故に一夫号呼して七廟隳圮(きひ)す。
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貞観政要・択官貞観十一年、侍御史馬周疏を上りて曰く、「天下を治むる者は人を以て本と為す。百姓をして安楽ならしめんと欲せば、惟だ刺史・県令に在り。県令は既に衆し。皆な賢なる能わず。若し州毎に良刺史を得ば、則ち合境蘇息せん。天下の刺史、悉く聖意に称(かな)わば、則ち陛下は巌廊の上に端拱すべし。百姓は安からざるを慮らず。古より郡守・県令は、皆な妙に賢徳を選ぶ。遷擢して将相と為さんと欲すれば、必ず先ず試むるに人に臨ましむるを以てす。或いは二千石より入りて丞相及び司徒・太尉と為る者あり。朝廷は必ず独り内臣を重んじ、外の刺史・県令、遂に其の選を軽んずべからず。百姓の未だ安からざる所以は、殆ど此に由る」と。太宗因りて侍臣に謂いて曰く、「刺史は朕当に自ら簡択すべし。県令は京官五品已上に詔して、各々一人を挙げしめん」と。
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貞観政要・任賢馬周は、博州茌平(しへい)の人なり。貞観五年、京師に至り、中郎将常何の家に舎(やど)る。時に太宗は百官に令して書を上りて得失を言わしむ。周は何の為に便宜二十余事を陳べ、之を奏せしむ。事皆な旨に合す。太宗は其の能を怪しみ、何に問う。何対えて曰く、「此れ臣の意を発する所に非ず。乃ち臣が家の客馬周なり」と。太宗は即日之を召す。未だ至らざる間に、凡そ四度使いを遣わして催促す。謁見するに及び、与に語りて甚だ悦ぶ。門下省に直せしめ、監察御史を授け、累ねて中書舎人に除す。周は機辯有り、能く敷奏し、深く事端を識る。故に動けば中(あた)らざる無し。太宗嘗て曰く、「我は馬周に於いて、暫時も見ざれば、則ち便ち之を思う」と。十八年、歴遷して中書令、兼ねて太子左庶子と為る。周は既に職は両宮を兼ね、事を処するに平允なり。甚だ当時の誉れを獲たり。又た本官を以て吏部尚書を摂す。太宗嘗て侍臣に謂いて曰く、「周は事を見ること敏速、性は甚だ慎至なり。人物を論量するに至りては、直道にして言う。朕は比(このごろ)之を任使するに、多く朕の意に称う。既に忠誠を写(あら)わし、親しく朕に附く。実に此の人に藉(よ)りて、共に時政を康(やす)んぜん」と。
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貞観政要・封建封君列国は、其の門資を藉り、其の先業の艱難を忘れ、其の自然の崇貴を軽んず。世を増して淫虐ならざる莫く、代を益して驕侈ならざる莫し。離宮別館は、漢に切(せま)り雲を凌ぐ。或いは人力を刑して将に尽きんとし、或いは諸侯を召して共に楽しむ。陳の霊は則ち君臣礼に悖り、共に徴舒を侮る。衛の宣は則ち父子麀(ゆう)を聚め、終に寿・朔を誅す。乃ち己が為に治を思うと云うも、豈に是くの若くならんや。内外の群官は、朝廷より選ぶ。士庶を擢(ぬきん)でて以て之に任じ、水鏡を澄まして以て之を鑒(かんが)む。年労は其の階品を優にし、考績は其の黜陟を明らかにす。進取の事は切に、砥礪の情は深し。或いは俸禄は私門に入らず、妻子は官舎に之(ゆ)かず。班条の貴きも、食に火を挙げず。剖符の重きも、居ること惟だ水を飲むのみ。南陽の太守は、弊布もて身を裹(つつ)む。莱蕪の県長は、凝塵は甑(こしき)に生ず。専ら利の為に物を図ると云うは、何ぞ其れ爽(たが)えるや。総じて之を言えば、爵は世及に非ずんば、賢を用うるの路は斯に広し。民に定主無くんば、下に附くの情は固からず。此れ乃ち愚知の弁ずる所なり。安くんぞ惑うべけんや。滅国弑君、常を乱し紀を干(おか)すが如きに至りては、春秋二百年の間、略ぼ寧歳無し。次睢に咸秩し、遂に玉帛の君を用う。魯道蕩たる有り、等(ひと)しく衣裳の会を毎(つね)にす。縦(たと)い西漢の哀・平の際、東洛の桓・霊の時、下吏の淫暴なるも、必ず此に至らず。政を為むるの理は、一言を以て之を蔽うべし。
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