貞観政要 / 封建
然則得失成敗,各有由焉。而著述之家,多守常轍,莫不情忘今古,理蔽澆淳,欲以百王之季,行三代之法,天下五服之內,盡封諸侯,王畿千里之間,俱為采地。是則以結繩之化行虞、夏之朝,用象刑之典治劉、曹之末,紀綱弛紊,斷可知焉。鍥船求劍,未見其可;膠柱成文,彌多所惑。徒知問鼎請隧,有懼霸王之師;白馬素車,無復藩維之援。不悟望夷之釁,未堪羿、浞之災;既罹高貴之殃,寧異申、繒之酷。此乃欽明昏亂,自革安危,固非守宰公侯,以成興廢。且數世之後,王室浸微,始自藩屏,化為仇敵。家殊俗,國異政,強陵弱,眾暴寡,疆場彼此,幹戈侵伐。狐駘之役,女子盡髽;崤陵之師,只輪不反。斯蓋略舉一隅,其餘不可勝數。陸士衡方規規然云:「嗣王委其九鼎,兇族據其天邑,天下晏然,以治待亂。」何斯言之謬也!而設官分職,任賢使能,以循良之才,膺共治之寄,刺舉分竹,何世無人?至使地或呈祥,天不愛寶,民稱父母,政比神明。曹元首方區區然稱:「與人共其樂者人必憂其憂,與人同其安者人必拯其危。」豈容以為侯伯則同其安危,任之牧宰則殊其憂樂?何斯言之妄也!
新字:然則得失成敗,各有由焉。而著述之家,多守常轍,莫不情忘今古,理蔽澆淳,欲以百王之季,行三代之法,天下五服之內,尽封諸侯,王畿千里之間,俱為采地。是則以結繩之化行虞、夏之朝,用象刑之典治劉、曹之末,紀綱弛紊,断可知焉。鍥船求剣,未見其可;膠柱成文,弥多所惑。徒知問鼎請隧,有懼覇王之師;白馬素車,無復藩維之援。不悟望夷之釁,未堪羿、浞之災;既罹高貴之殃,寧異申、繒之酷。此乃欽明昏乱,自革安危,固非守宰公侯,以成興廃。且数世之後,王室浸微,始自藩屏,化為仇敵。家殊俗,国異政,強陵弱,眾暴寡,疆場彼此,幹戈侵伐。狐駘之役,女子尽髽;崤陵之師,只輪不反。斯蓋略舉一隅,其余不可勝数。陸士衡方規規然云:「嗣王委其九鼎,兇族拠其天邑,天下晏然,以治待乱。」何斯言之謬也!而設官分職,任賢使能,以循良之才,膺共治之寄,刺舉分竹,何世無人?至使地或呈祥,天不愛宝,民稱父母,政比神明。曹元首方区区然稱:「与人共其楽者人必憂其憂,与人同其安者人必拯其危。」豈容以為侯伯則同其安危,任之牧宰則殊其憂楽?何斯言之妄也!
書き下し
然らば則ち得失成敗、各々由る有り。而るに著述の家は、多く常轍を守る。情は今古を忘れ、理は澆淳に蔽われざるは莫し。百王の季を以て、三代の法を行わんと欲す。天下五服の内、尽く諸侯に封じ、王畿千里の間、俱に采地と為す。是れ則ち結縄の化を以て虞・夏の朝に行い、象刑の典を用いて劉・曹の末を治むるなり。紀綱弛紊せんこと、断じて知るべし。船に鍥(きざ)みて剣を求む。未だ其の可なるを見ず。柱に膠(にか)して文を成す。弥々惑う所多し。徒らに鼎を問い隧を請うに、覇王の師を懼るる有るを知る。白馬素車、復た藩維の援無し。悟らず、望夷の釁(きん)は、未だ羿・浞の災に堪えず。既に高貴の殃に罹る。寧ぞ申・繒の酷に異ならんや。此れ乃ち欽明昏乱、自ら安危を革(あらた)む。固より守宰公侯の、以て興廃を成すに非ず。且つ数世の後、王室は浸(ようや)く微なり。藩屏に始まり、化して仇敵と為る。家は俗を殊にし、国は政を異にす。強は弱を陵ぎ、衆は寡を暴(しいた)ぐ。疆場は彼此、干戈もて侵伐す。狐駘の役、女子は尽く髽(さい)す。崤陵の師、隻輪も反らず。斯れ蓋し略ぼ一隅を挙ぐ。其の余は勝げて数うべからず。陸士衡は方(まさ)に規規然として云う、「嗣王は其の九鼎を委ね、凶族は其の天邑に拠る。天下晏然として、治を以て乱を待つ」と。何ぞ斯の言の謬れるや。而して官を設け職を分かち、賢に任じ能を使う。循良の才を以て、共治の寄に膺(あた)る。刺挙分竹、何の世にか人無からん。地は或いは祥を呈し、天は宝を愛(おし)まざるに至らしむ。民は父母と称し、政は神明に比す。曹元首は方に区区然として称す、「人と其の楽を共にする者は、人必ず其の憂いを憂う。人と其の安を同じくする者は、人必ず其の危を拯(すく)う」と。豈に侯伯と為さば則ち其の安危を同じくし、之に牧宰を任ずれば則ち其の憂楽を殊にするを容(ゆる)さんや。何ぞ斯の言の妄なるや。
現代語訳
であれば、得失成敗には、それぞれ理由があります。ところが著述家は、多く決まった轍を守ります。今と昔の違いを忘れ、風俗の厚薄に目を曇らせないことがありません。百代の末に、三代の法を行おうとする。天下の内をことごとく諸侯に封じ、王の直轄地までみな領地とする。これは縄を結んで意を通じた時代のやり方を虞や夏の朝廷で行い、絵で刑を示した古法で漢や魏の末を治めるようなものです。綱紀が緩み乱れることは、断じて分かります。船に印を刻んで剣を求めるようなもの。琴の柱を膠で固めて曲を奏でるようなもの。ただ、周の鼎の軽重を問い、天子の墓道を求める者があった時、覇者の軍を恐れたことは知っている。白馬に素車で降伏した時、諸侯の援けはもうなかった。しかし気づいていない。望夷宮の変は、羿や浞の災いには及ばない。高貴郷公の禍に遭ったが、申や繒の惨事と何が違うでしょうか。これは君主が賢明か暗愚かによって、自ら安危が変わるのです。もとより地方長官や諸侯が、興廃を作るのではありません。それに数代の後、王室は次第に衰えます。守りの藩屏として始まったものが、変じて仇敵となる。家ごとに風俗が異なり、国ごとに政治が違う。強きが弱きを凌ぎ、多きが少なきを虐げる。境界を挟んで、武器で侵し合う。狐駘の戦いでは、女たちがみな喪の髪を結った。崤山の戦いでは、車輪一つも帰らなかった。これは一隅を挙げたにすぎず、他は数え切れません。陸機は小さくかしこまってこう言いました。「後継ぎの王が権を委ね、凶悪な一族が都を占めても、天下は安らかで、治をもって乱を待つ」。なんと誤った言葉でしょう。しかし官を設け職を分け、賢者に任せ能ある者を使う。善良な才を得て、共に治める任に当たらせる。地方を巡り任にあたる者が、どの時代にいなかったでしょうか。土地は瑞兆を現し、天は宝を惜しまない。民は父母と呼び、政治は神明に喩えられました。曹冏はこせこせとこう言いました。「人と楽しみを共にする者は、人もその憂いを憂える。人と安らぎを同じくする者は、人もその危うきを救う」。諸侯であれば安危を共にし、地方長官であれば憂楽を異にする、などということが許されましょうか。なんと妄りな言葉でしょう。