貞観政要 / 君臣鑑戒
貞觀四年,太宗論隋日。魏徵對曰:「臣往在隋朝,會聞有盜發,煬帝令於士澄捕逐。但有疑似,苦加拷掠,枉承賊者二千餘人,並令同日斬決。大理丞張元濟怪之,試尋其狀,乃有六七人,盜發之日,先禁他所,被放才出,亦遭推勘,不勝苦痛,自誣行盜。元濟因此更事究尋,二千人內惟九人逗遛不明。官人有諳識者,就九人內四人非賊。有司以煬帝已令斬決,遂不執奏,並殺之。」太宗曰:「非是煬帝無道,臣下亦不盡心,須相匡諫,不避誅戮,豈得惟行諂佞,茍求悅譽。君臣如此,何得不敗?朕賴公等共相輔佐,遂令囹圄空虛,願公等善始克終,恒如今日!」
新字:貞観四年,太宗論隋日。魏徴対曰:「臣往在隋朝,会聞有盗発,煬帝令於士澄捕逐。但有疑似,苦加拷掠,枉承賊者二千余人,並令同日斬決。大理丞張元済怪之,試尋其状,乃有六七人,盗発之日,先禁他所,被放才出,亦遭推勘,不勝苦痛,自誣行盗。元済因此更事究尋,二千人内惟九人逗遛不明。官人有諳識者,就九人内四人非賊。有司以煬帝已令斬決,遂不執奏,並殺之。」太宗曰:「非是煬帝無道,臣下亦不尽心,須相匡諫,不避誅戮,豈得惟行諂佞,苟求悦誉。君臣如此,何得不敗?朕頼公等共相輔佐,遂令囹圄空虚,願公等善始克終,恒如今日!」
書き下し
貞観四年、太宗隋の日を論ず。魏徴対えて曰く、「臣往に隋朝に在り。会(たまた)ま盗の発する有りと聞く。煬帝は于士澄をして捕逐せしむ。但だ疑似有れば、苦(はなは)だ拷掠を加う。枉げて賊たるを承(う)くる者二千余人。並びに同日に斬決せしむ。大理丞張元済之を怪しみ、試みに其の状を尋ぬ。乃ち六七人有り、盗の発する日、先に他所に禁ぜられ、放たれて才(わずか)に出づ。亦た推勘に遭い、苦痛に勝えず、自ら誣(し)いて盗を行うと。元済此に因りて更に事を究尋す。二千人の内、惟だ九人のみ逗遛(とうりゅう)して明らかならず。官人に諳識する者有り、九人の内、四人は賊に非ず。有司は煬帝已に斬決を令ずるを以て、遂に執奏せず、並びに之を殺す」と。太宗曰く、「是れ煬帝の無道なるのみに非ず、臣下も亦た心を尽くさず。須らく相い匡諫し、誅戮を避けざるべし。豈に惟だ諂佞を行い、苟も悦誉を求むるを得んや。君臣此くの如くんば、何ぞ敗れざるを得ん。朕は公等の共に相い輔佐するに頼り、遂に囹圄をして空虚ならしむ。願わくは公等、善く始め克く終え、恒に今日の如くあれ」と。
現代語訳
貞観四年、太宗が隋の時代について論じた。魏徴が答えて言った。「臣がかつて隋にいた頃、盗賊が出たと聞きました。煬帝は于士澄に捕らえさせました。少しでも疑わしければ、激しく拷問を加えた。無実なのに賊だと認めた者が二千余人。みな同じ日に斬るよう命じられました。大理丞の張元済がこれを怪しみ、試しに調書を調べたところ、六、七人は、盗みのあった日、別の場所に監禁されていて、釈放されたばかりでした。それでも取り調べに遭い、苦痛に耐えかねて、自ら盗みを働いたと偽ったのです。張元済はこれをきっかけにさらに調べました。二千人のうち、はっきりしないのは九人だけでした。役人の中に事情を知る者がいて、九人のうち四人は賊ではないと言いました。ところが担当の役所は、煬帝がすでに斬れと命じたからと、奏上せず、全員を殺しました」。太宗は言った。「これは煬帝が無道だっただけではない。臣下も心を尽くさなかったのだ。互いに諫め正し、誅殺を避けてはならない。どうしてただへつらい、いい加減に喜ばれようとしてよいのか。君臣がこうであれば、どうして敗れずにいられよう。私は諸君が共に補佐してくれるおかげで、牢屋を空にできた。願わくは諸君、善く始め、善く終え、常に今日のようであってほしい」。
解説
この章句が説くこと
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貞観政要・君臣鑑戒貞観三年、太宗侍臣に謂いて曰く、「君臣は本と治乱を同じくし、安危を共にす。若し主は忠諫を納れ、臣は直言を進めば、斯れ故に君臣は契を合わす。古来重んずる所なり。若し君自ら賢とし、臣匡正せずんば、危亡せざらんと欲するも、得べからざるなり。君其の国を失えば、臣も亦た独り其の家を全うする能わず。隋の煬帝の暴虐に至るが如きは、臣下は口を鉗ざす。卒に其の過ちを聞かざらしめ、遂に滅亡に至る。虞世基等も尋いで亦た誅死せり。前事遠からず。朕と卿等と、慎まざるを得べけんや。後の嗤う所と為る無かれ」と。
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貞観政要・求諫貞観二年、太宗侍臣に謂いて曰く、「明主は短を思いて益ます善く、暗主は短を護りて永く愚なり。隋の煬帝は好んで自ら矜誇(きょうこ)し、短を護りて諫を拒む。誠に亦た実に犯忤(はんご)し難し。虞世基は敢えて直言せず。或いは恐らくは未だ深き罪と為さず。昔、箕子は狂を佯(いつわ)りて自ら全うす。孔子も亦た其の仁を称す。煬帝の殺さるるに及び、世基は同に死すに合するや否や」と。杜如晦対えて曰く、「天子に諍臣有らば、無道なりと雖も其の天下を失わず。仲尼は称す、『直なるかな史魚。邦に道有れば矢の如く、邦に道無きも矢の如し』と。世基、豈に煬帝の無道にして、諫諍を納れざるを以て、遂に口を杜(と)ざして言う無かるべけんや。位を偸安(とうあん)して重んじ、又た職を辞し退くを請う能わず。則ち箕子の狂を佯りて去るとは、事理同じからず。昔、晋の恵帝の賈后は将に湣懐太子を廃せんとす。司空張華は竟に苦争する能わず、意に阿(おもね)りて苟(いやしく)も免る。趙王倫の兵を挙げて后を廃するに及び、使いを遣わして華を収む。華曰く、『将に太子を廃せんとするの日、是れ言無きに非ず。当に納用せられざりしなり』と。其の使曰く、『公は三公と為る。太子罪無くして廃せらる。言既に従われずんば、何ぞ身を引きて退かざる』と。華は辞として以て答うる無し。遂に之を斬り、其の三族を夷(たい)らぐ。古人に云える有り、『危うくして持せず、顛れて扶けずんば、則ち将た焉くんぞ彼の相を用いん』と。故に『君子は大節に臨みて奪うべからざるなり』。張華は既に抗直にして節を成す能わず。遜言も身を全うするに足らず。王臣の節は固より已に墜ちたり。虞世基は位は宰輔に居り、言うを得るの地に在り。竟に一言の諫諍無し。誠に亦た死に合す」と。太宗曰く、「公の言は是なり。人君は必ず須らく忠良の輔弼を得べし。乃ち身安く国寧きを得ん。煬帝は豈に下に忠臣無く、身は過ちを聞かず、悪積み禍盈ち、滅亡斯に及ぶに非ずや。若し人主の行う所当たらずして、臣下又た匡諫する無く、苟も阿順に在り、事皆な美を称せば、則ち君は暗主と為り、臣は諛臣と為る。君暗く臣諛(へつら)わば、危亡遠からず。朕は今、志は君臣上下、各々至公を尽くし、共に相切磋して、以て治道を成すに在り。公等は各々宜しく忠讜を尽くし、朕の悪を匡救するに務むべし。終に直言の意に忤(さか)らうを以て、輒(すなわ)ち相責怒せず」と。
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貞観政要・政体貞観六年、太宗侍臣に謂いて曰く、「古人云く、『危うくして持せず、顛(たお)れて扶(たす)けずんば、焉くんぞ彼の相を用いん』と。君臣の義、忠を尽くし匡救せざるを得んや。朕嘗て書を読み、桀の関龍逄(かんりょうほう)を殺し、漢の黽錯(ちょうそ)を誅するを見る。未だ嘗て書を廃して嘆息せずんばあらず。公等但だ能く正詞直諫し、政教を裨益(ひえき)せば、終に顔を犯し旨に忤(さか)らうを以て、妄りに誅責有らざらん。朕、比来(ひらい)朝に臨みて断決するに、亦た律令に乖(そむ)く者有り。公等は以て小事と為し、遂に執言せず。凡そ大事は皆な小事より起こる。小事論ぜざれば、大事又た将に救うべからざらんとす。社稷の傾危、此に由らざる莫し。隋主は残暴にして、身は匹夫の手に死す。率土の蒼生、嗟痛(さつう)を聞くこと罕(まれ)なり。公等は朕の為に隋氏滅亡の事を思え。朕は公等の為に龍逄・晁錯の誅を思わん。君臣保全せば、豈に美ならずや」と。
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貞観政要・直諫貞観十二年、太宗魏徴に謂いて曰く、「比来の行う所の得失・政化は、往前に何如」と。対えて曰く、「若し恩威の加うる所、遠夷の朝貢は、貞観の始めに比すれば、等級を以ては言うべからず。若し徳義の潜かに通じ、民心の悦服は、貞観の初めに比すれば、相い去ること又た甚だ遠し」と。太宗曰く、「遠夷来服するは、応に徳義の加うる所に由るべし。往前の功業は、何に因りてか益ます大なる」と。徴曰く、「昔者、四方未だ定まらざるとき、常に徳義を以て心と為す。旋(や)がて海内虞(うれ)い無きを以て、漸く驕奢自溢を加う。所以に功業は盛なりと雖も、終に往初に如かず」と。太宗又た曰く、「行う所は往前に比して何ぞ異なる」と。徴曰く、「貞観の初め、人の言わざるを恐れ、之を導きて諫めしむ。三年已後、人の諫むるを見れば、悦びて之に従う。一二年来、人の諫むるを悦ばず。勉強して聴受すと雖も、意は終に平らかならず、諒(まこと)に難色有り」と。太宗曰く、「何の事に於て此くの如き」と。対えて曰く、「即位の初め、元律師を死罪に処す。孫伏伽諫めて曰く、『法は死に至らず。濫りに酷罰を加うるを容(ゆる)す無かれ』と。遂に蘭陵公主の園を賜う。直(あたい)は銭百万。人或いは曰く、『言う所は乃ち常事なるに、賞する所は太(はなは)だ厚し』と。答えて曰く、『我は即位より来、未だ諫むる者有らず。賞する所以なり』と。此れ之を導きて言わしむるなり。徐州司戸柳雄は隋の資に於て妄りに階級を加う。人の之を告ぐる者有り。陛下は其れをして自首せしめ、首せずんば罪を与うとす。遂に固く是れ実なりと言い、竟に首するを肯んぜず。大理は推して其の偽を得、将に雄を死罪に処せんとす。少卿戴冑奏す、法は止だ徒に合うのみと。陛下曰く、『我は已に其れと断当し訖(お)われり。但だ当に死罪を与うべし』と。冑曰く、『陛下既に然らずんば、即ち臣が法司に付せ。罪は死に合わず。酷濫なるべからず』と。陛下色を作して殺すを遣(し)む。冑之を執りて已まざること、四五に至る。然る後に之を赦す。乃ち法司に謂いて曰く、『但だ能く我が為に此くの如く法を守らば、豈に濫りに誅夷有るを畏れんや』と。此れ則ち悦びて以て諫に従うなり。往年、陝県の丞皇甫徳参は書を上りて大いに聖旨に忤らう。陛下は以て訕謗と為す。臣奏して称す、上書は激切ならずんば、人主の意を起こす能わず。激切なれば即ち訕謗に似たりと。時に臣の言に従うと雖も、物二十段を賞す。意は甚だ平らかならず、諫を受くるに難(かた)んず」と。太宗曰く、「誠に公の言の如し。公に非ずんば能く此を道う者無し。人は皆な自ら覚らざるに苦しむ。公が未だ道わざる時に向(さき)んじては、都(すべ)て自ら行う所は変わらずと謂えり。公の論説を見るに及び、過失は驚くに堪えたり。公は但だ此の心を存せよ。朕は終に公の語に違わず」と。
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貞観政要・杜讒邪貞観の初め、太宗侍臣に謂いて曰く、「朕は前代を観るに、讒佞の徒は、皆な国の蟊賊(ぼうぞく)なり。或いは巧言令色、朋党比周す。暗主庸君の若きは、之を以て迷惑せざる莫し。忠臣孝子の血に泣き冤を銜(ふく)む所以なり。故に叢蘭茂らんと欲すれば、秋風之を敗る。王者明らかならんと欲すれば、讒人之を蔽う。此の事は史籍に著る。具さに道う能わず。斉・隋の間の讒譖の事の如きに至りては、耳目の接する所の者、略ぼ公等と之を言わん。斛律明月は、斉朝の良将なり。威は敵国を震わす。周家は毎歳、汾河の氷を斫(き)り、斉兵の西渡を慮る。明月の祖孝徴の讒構する所と被りて伏誅せらるるに及び、周人は始めて斉を吞むの意有り。高熲は経国の大才有り。隋の文帝の為に覇業を賛成す。国政を知る者二十余載。天下は頼りて以て安寧なり。文帝は惟だ婦言のみ是れ聴き、特に擯斥せしむ。煬帝の殺す所と為るに及び、刑政は是に由りて衰壊す。又た隋の太子勇は軍を撫し国を監すること、凡そ二十年間。固より亦た早く定分有り。楊素は主を欺き上を罔(あざむ)き、良善を賊害す。父子の道をして一朝にして天性に滅せしむ。逆乱の源、此より開く。隋文は既に嫡庶を混淆し、竟に禍は其の身に及ぶ。社稷も尋いで亦た覆敗す。古人云う『世乱るれば則ち讒勝つ』と。誠に妄言に非ず。朕は毎に微を防ぎ漸を杜(ふさ)ぎ、用て讒構の端を絶つ。猶お恐る、心力の至らざる所、或いは覚悟する能わざるを。前史に云う、『猛獣、山林に処れば、藜藿(れいかく)も之が為に采られず。直臣、朝廷に立てば、奸邪も之が為に謀を寝(や)む』と。此れ実に朕が群公に望む所なり」と。魏徴曰く、「『礼』に云う、『其の睹(み)ざる所に戒慎し、其の聞かざる所に恐懼す』と。『詩』に云う、『愷悌なる君子、讒言を信ずる無かれ。讒言は極まり罔(な)く、四国を交々(こもごも)乱す』と。又た孔子曰く、『利口の邦家を覆すを悪む』と。蓋し此が為なり。臣嘗て観るに、古より国有り家有る者、若し曲げて讒譖を受け、妄りに忠良を害せば、必ず宗廟は丘墟となり、市朝は霜露とならん。願わくは陛下、深く之を慎め」と。
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貞観政要・行幸貞観十三年、太宗魏徴等に謂いて曰く、「隋の煬帝は文帝の余業を承け、海内は殷阜なり。若し能く常に関中に処らば、豈に傾敗有らんや。遂に百姓を顧みず、行幸に期無く、径ちに江都に往く。董純・崔象等の諫諍を納れず。身は戮せられ国は滅び、天下の笑いと為る。復た帝祚の長短は、玄天に委すと雖も、而れども福善禍淫は、亦た人事に由る。朕は毎に之を思う。若し君臣長久にして、国に危敗無からんことを欲せば、君に違失有らば、臣は須らく極言すべし。朕は卿等の規諫を聞くに、縦い当時に即ち従う能わずとも、再三思審し、必ず善を択びて之を用いん」と。
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