貞観政要 / 直諫
貞觀十年,越王,長孫皇後所生,太子介弟,聰明絕倫,太宗特所寵異。或言三品以上,皆輕蔑王者,意在譖侍中魏徵等,以激上怒。上御齊政殿,引三品已上入坐定,大怒作色而言曰:「我有一言,向公等道。往前天子,即是天子。今時天子,非天子耶?往年天子兒,是天子兒。今日天子兒,非天子兒耶?我見隋家諸王,達官已下,皆不免被其躓頓。我之兒子,自不許其縱橫,公等所容易過,得相共輕蔑。我若縱之,豈不能躓頓公等!」玄齡等戰栗,皆拜謝。徵正色而諫曰:「當今群臣,必無輕蔑越王者。然在禮,臣、子一例,《傳》稱,王人雖微,列於諸侯之上。諸侯用之為公,即是公;用之為卿,即是卿。若不為公卿,即下士於諸侯也。今三品已上,列為公卿,並天子大臣,陛下所加敬異。縱其小有不是,越王何得輒加折辱?若國家紀綱廢壞,臣所不知。以當今聖明之時,越王豈得如此。且隋高祖不知禮義,寵樹諸王,使行無禮,尋以罪黜,不可為法,亦何足道?」太宗聞其言,喜形於色,謂群臣曰:「凡人言語理到,不可不伏。朕之所言,當身私愛。魏徵所論,國家大法。朕鄉者忿怒,自謂理在不疑。及見魏徵所論,始覺大非道理。為人君言,何可容易!」召玄齡等而切責之,賜徵絹一千匹。
新字:貞観十年,越王,長孫皇後所生,太子介弟,聰明絶倫,太宗特所寵異。或言三品以上,皆軽蔑王者,意在譖侍中魏徴等,以激上怒。上御斉政殿,引三品已上入坐定,大怒作色而言曰:「我有一言,向公等道。往前天子,即是天子。今時天子,非天子耶?往年天子児,是天子児。今日天子児,非天子児耶?我見隋家諸王,達官已下,皆不免被其躓頓。我之児子,自不許其縦横,公等所容易過,得相共軽蔑。我若縦之,豈不能躓頓公等!」玄齢等戦栗,皆拝謝。徴正色而諫曰:「当今群臣,必無軽蔑越王者。然在礼,臣、子一例,《伝》称,王人雖微,列於諸侯之上。諸侯用之為公,即是公;用之為卿,即是卿。若不為公卿,即下士於諸侯也。今三品已上,列為公卿,並天子大臣,陛下所加敬異。縦其小有不是,越王何得輒加折辱?若国家紀綱廃壊,臣所不知。以当今聖明之時,越王豈得如此。且隋高祖不知礼義,寵樹諸王,使行無礼,尋以罪黜,不可為法,亦何足道?」太宗聞其言,喜形於色,謂群臣曰:「凡人言語理到,不可不伏。朕之所言,当身私愛。魏徴所論,国家大法。朕郷者忿怒,自謂理在不疑。及見魏徴所論,始覚大非道理。為人君言,何可容易!」召玄齢等而切責之,賜徴絹一千匹。
書き下し
貞観十年、越王は長孫皇后の生む所、太子の介弟なり。聡明絶倫にして、太宗は特に寵異する所なり。或るひと言う、三品以上は、皆な王を軽蔑すと。意は侍中魏徴等を譖(そし)るに在り。以て上の怒りを激す。上、斉政殿に御し、三品已上を引きて入坐せしめ定まる。大いに怒り、色を作して言いて曰く、「我に一言有り、公等に向かいて道わん。往前の天子は、即ち是れ天子なり。今時の天子は、天子に非ざるか。往年の天子の児は、是れ天子の児なり。今日の天子の児は、天子の児に非ざるか。我は隋家の諸王を見るに、達官已下、皆な其の躓頓(ちとん)を被るを免れず。我の児子は、自ら其の縦横を許さず。公等の容易に過ぐる所、相い共に軽蔑するを得たり。我若し之を縦(ゆる)さば、豈に能く公等を躓頓せしめざらんや」と。玄齢等戦慄し、皆な拝謝す。徴、正色して諫めて曰く、「当今の群臣、必ず越王を軽蔑する者無し。然れども礼に在りて、臣と子とは一例なり。『伝』に称す、王人は微なりと雖も、諸侯の上に列す、と。諸侯之を用いて公と為さば、即ち是れ公なり。之を用いて卿と為さば、即ち是れ卿なり。若し公卿と為さずんば、即ち諸侯に下士たり。今、三品已上は、列して公卿と為り、並びに天子の大臣なり。陛下の敬異を加うる所なり。縦い其れ小しく是ならざる有るも、越王何ぞ輒ち折辱を加うるを得んや。若し国家の紀綱廃壊せば、臣の知らざる所なり。当今聖明の時を以てすれば、越王豈に此くの如きを得んや。且つ隋の高祖は礼義を知らず、諸王を寵樹し、無礼を行わしむ。尋いで罪を以て黜(しりぞ)けらる。法と為すべからず。亦た何ぞ道うに足らんや」と。太宗其の言を聞き、喜び色に形(あら)わる。群臣に謂いて曰く、「凡そ人の言語、理到らば、伏せざるべからず。朕の言う所は、身に当たりての私愛なり。魏徴の論ずる所は、国家の大法なり。朕は郷(さき)に忿怒し、自ら理は疑わざるに在りと謂えり。魏徴の論ずる所を見るに及び、始めて大いに道理に非ざるを覚る。人君の言を為すこと、何ぞ容易なるべけんや」と。玄齢等を召して切に之を責め、徴に絹一千匹を賜う。
現代語訳
貞観十年、越王は長孫皇后の生んだ子で、太子のすぐ下の弟であった。聡明さは並外れ、太宗は特に可愛がっていた。ある者が、三品以上の官はみな越王を軽んじていると言った。その意図は侍中の魏徴らを讒言することにあり、上の怒りを煽ろうとした。太宗は斉政殿に出御し、三品以上を招き入れて着席させた。そして大いに怒り、顔色を変えて言った。「私に一言ある、諸君に言おう。昔の天子は天子だった。今の天子は天子ではないのか。昔の天子の子は天子の子だった。今日の天子の子は、天子の子ではないのか。私は隋の諸王を見たが、高官以下、みな彼らに辱められた。私は我が子に、勝手を許してはいない。諸君はそれを軽く見て、共に軽蔑している。もし私が子を放任すれば、諸君を辱めさせることもできるのだぞ」。房玄齢らは震え上がり、みな拝して謝った。魏徴は正色して諫めた。「今の群臣に、越王を軽蔑する者は必ずおりません。しかも礼においては、臣と子は同列です。『春秋伝』に、王の使いは身分が低くとも、諸侯の上に列すとあります。諸侯が用いて公とすれば公であり、卿とすれば卿です。公卿としなければ、諸侯より下の士です。今、三品以上は公卿に列し、みな天子の大臣です。陛下が敬い重んじておられる方々です。たとえ少々至らぬことがあっても、越王がどうして辱めを加えてよいのですか。もし国家の綱紀が崩れているなら、臣の知らぬことです。今の聖明の御代に、越王がそのようなことをできるはずがありません。それに隋の高祖は礼義を知らず、諸王を寵愛して増長させ、無礼を働かせました。まもなく罪により退けられました。手本にはできません。語るにも足りません」。太宗はその言葉を聞いて、喜びが顔に現れた。群臣に言った。「およそ人の言葉は、道理が通っていれば、従わないわけにいかない。私の言ったことは、身内への私的な愛情だ。魏徴が論じたことは、国家の大法だ。私は先ほど怒り、自分の理は疑いないと思っていた。魏徴の議論を聞いて、初めて大いに道理に外れていたと気づいた。君主が言葉を発することは、なんと軽々しくできないことか」。房玄齢らを召して厳しく責め、魏徴に絹一千匹を賜った。
解説
この章句が説くこと
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貞観政要・直諫貞観十二年、太宗魏徴に謂いて曰く、「比来の行う所の得失・政化は、往前に何如」と。対えて曰く、「若し恩威の加うる所、遠夷の朝貢は、貞観の始めに比すれば、等級を以ては言うべからず。若し徳義の潜かに通じ、民心の悦服は、貞観の初めに比すれば、相い去ること又た甚だ遠し」と。太宗曰く、「遠夷来服するは、応に徳義の加うる所に由るべし。往前の功業は、何に因りてか益ます大なる」と。徴曰く、「昔者、四方未だ定まらざるとき、常に徳義を以て心と為す。旋(や)がて海内虞(うれ)い無きを以て、漸く驕奢自溢を加う。所以に功業は盛なりと雖も、終に往初に如かず」と。太宗又た曰く、「行う所は往前に比して何ぞ異なる」と。徴曰く、「貞観の初め、人の言わざるを恐れ、之を導きて諫めしむ。三年已後、人の諫むるを見れば、悦びて之に従う。一二年来、人の諫むるを悦ばず。勉強して聴受すと雖も、意は終に平らかならず、諒(まこと)に難色有り」と。太宗曰く、「何の事に於て此くの如き」と。対えて曰く、「即位の初め、元律師を死罪に処す。孫伏伽諫めて曰く、『法は死に至らず。濫りに酷罰を加うるを容(ゆる)す無かれ』と。遂に蘭陵公主の園を賜う。直(あたい)は銭百万。人或いは曰く、『言う所は乃ち常事なるに、賞する所は太(はなは)だ厚し』と。答えて曰く、『我は即位より来、未だ諫むる者有らず。賞する所以なり』と。此れ之を導きて言わしむるなり。徐州司戸柳雄は隋の資に於て妄りに階級を加う。人の之を告ぐる者有り。陛下は其れをして自首せしめ、首せずんば罪を与うとす。遂に固く是れ実なりと言い、竟に首するを肯んぜず。大理は推して其の偽を得、将に雄を死罪に処せんとす。少卿戴冑奏す、法は止だ徒に合うのみと。陛下曰く、『我は已に其れと断当し訖(お)われり。但だ当に死罪を与うべし』と。冑曰く、『陛下既に然らずんば、即ち臣が法司に付せ。罪は死に合わず。酷濫なるべからず』と。陛下色を作して殺すを遣(し)む。冑之を執りて已まざること、四五に至る。然る後に之を赦す。乃ち法司に謂いて曰く、『但だ能く我が為に此くの如く法を守らば、豈に濫りに誅夷有るを畏れんや』と。此れ則ち悦びて以て諫に従うなり。往年、陝県の丞皇甫徳参は書を上りて大いに聖旨に忤らう。陛下は以て訕謗と為す。臣奏して称す、上書は激切ならずんば、人主の意を起こす能わず。激切なれば即ち訕謗に似たりと。時に臣の言に従うと雖も、物二十段を賞す。意は甚だ平らかならず、諫を受くるに難(かた)んず」と。太宗曰く、「誠に公の言の如し。公に非ずんば能く此を道う者無し。人は皆な自ら覚らざるに苦しむ。公が未だ道わざる時に向(さき)んじては、都(すべ)て自ら行う所は変わらずと謂えり。公の論説を見るに及び、過失は驚くに堪えたり。公は但だ此の心を存せよ。朕は終に公の語に違わず」と。
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貞観政要・太子諸王定分貞観十三年、諫議大夫褚遂良は、毎日特に魏王泰の府に給する料物、皇太子に逾(こ)ゆる有るを以て、疏を上りて諫めて曰く、「昔、聖人礼を制するに、嫡を尊び庶を卑しくす。之を儲君と謂い、道は霄極に亜(つ)ぐ。甚だ崇重と為す。物を用うるに計らず、泉貨財帛は、王者と之を共にす。庶子は体卑し。例と為すを得ず。嫌疑の漸を塞ぎ、禍乱の源を除く所以なり。而して先王は必ず人情に本づき、然る後に法を制す。国家有れば、必ず嫡庶有るを知ればなり。然れども庶子は愛すと雖も、嫡子を超越するを得ず。正礼は特に須らく尊崇すべし。如し明らかに定分を立つる能わずんば、遂に当に親しむべき者をして疎ならしめ、当に尊ぶべき者をして卑しからしむ。則ち佞巧の徒、機に乗じて動く。私恩は公を害し、或いは国を乱すに至る。伏して惟うに、陛下は功は万古に超え、道は百王に冠たり。号令を発施し、世の為に法を作す。一日万幾、或いは未だ美を尽くさずんば、臣が職は諫諍なり。静黙するを容るる無し。伏して見るに、儲君の料物、翻って魏王より少なし。朝野の見聞、以て是と為さず。『伝』に曰く、『臣聞く、子を愛せば教うるに義方を以てす』と。忠・孝・恭・倹は、義方の謂いなり。昔、漢の竇太后及び景帝は並びに義方の理を識らず。遂に梁の孝王を驕恣にし、四十余城に封じ、苑は方三百里。大いに宮室を営み、復道は望を弥(わた)る。財鏹を積むこと巨万を計る。出づるに警め入るに蹕(ひつ)す。小しく意を得ざれば、病を発して死す。宣帝も亦た淮陽王を驕恣にし、幾(ほとん)ど敗に至る。其の輔くるに退譲の臣を以てするに頼り、僅かに乃ち免るるを獲たり。且つ魏王は既に新たに閤を出づ。伏して願わくは恒に礼訓を存し、妙に師傅を択び、其の成敗を示せ。既に之を敦くするに節倹を以てし、又た之を勧むるに文学を以てす。惟れ忠惟れ孝、因りて之を奨むるに道徳斉礼を以てせば、乃ち良器と為らん。此れ所謂る聖人の教えは、粛(きび)しからずして成る者なり」と。太宗深く其の言を納る。
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貞観政要・任賢魏徴は、鉅鹿(きょろく)の人なり。近ごろ家を相州の内黄に徙(うつ)す。武徳の末、太子洗馬(せんば)と為る。太宗と隠太子と陰かに相い傾奪するを見て、毎に建成に勧めて早く之が謀を為さしむ。太宗既に隠太子を誅し、徴を召して之を責めて曰く、「汝、我が兄弟を離間するは、何ぞや」と。衆皆な之が為に危懼す。徴、慷慨自若として、従容として対えて曰く、「皇太子若し臣の言に従わば、必ず今日の禍無からん」と。太宗之が為に容を斂(おさ)め、厚く礼異を加え、擢(ぬきん)でて諫議大夫に拝す。数々之を臥内に引き、訪うに政術を以てす。徴は雅(もと)より経国の才有り、性又た抗直にして、屈撓する所無し。太宗毎に之と言い、未だ嘗て悦ばずんばあらず。徴も亦た知己の主に逢うを喜び、其の力用を竭くす。又た之を労いて曰く、「卿の諫むる所、前後二百余事、皆な朕が意に称(かな)う。卿の忠誠もて国に奉ずるに非ずんば、何ぞ能く是くの若くならんや」と。三年、累遷して秘書監となり、朝政に参預す。深謀遠算、弘益する所多し。太宗嘗て謂いて曰く、「卿の罪は鉤に中(あ)つるより重く、我の卿に任ずるは管仲に逾(こ)ゆ。近代の君臣相い得ること、寧ぞ我の卿に於けるに似たる者有らんや」と。六年、太宗九成宮に幸し、近臣を宴す。長孫無忌曰く、「王珪・魏徴は、往(さき)に息隠に事う。臣之を見ること讎(あだ)の若し。謂わざりき、今者(いま)又た此の宴を同じくせんとは」と。太宗曰く、「魏徴は往者(さき)には実に我が讎とする所なり。但だ其の心を事うる所に尽くすは、嘉するに足る者有り。朕能く擢でて之を用う。何ぞ古烈に慚じんや。徴は毎に顔を犯して切諫し、我の非を為すを許さず。我の之を重んずる所以なり」と。徴再拝して曰く、「陛下、臣を導きて言わしむ。臣の敢えて言う所以なり。若し陛下臣の言を受けずんば、臣も亦た何ぞ敢えて龍鱗を犯し、忌諱に触れんや」と。太宗大いに悦び、各々銭十五万を賜う。七年、王珪に代わりて侍中と為り、累ねて鄭国公に封ぜらる。尋いで疾を以て職とする所を辞せんことを乞い、散官と為らんことを請う。太宗曰く、「朕は卿を讎虜の中より抜き、卿に任ずるに枢要の職を以てす。朕の非を見れば、未だ嘗て諫めずんばあらず。公独り見ずや、金の鉱に在るは、何ぞ貴ぶに足らんや。良冶鍛えて器と為せば、便ち人の宝とする所と為る。朕は方(まさ)に自ら金に比し、卿を以て良工と為す。疾有りと雖も、未だ衰老と為さず。豈に便ち爾(しか)るを得んや」と。徴乃ち止む。後に復た固辞す。侍中を解くを聴(ゆる)し、授くるに特進を以てし、仍お門下省の事を知らしむ。十二年、太宗、皇孫の誕(う)まるるを以て、詔して公卿を宴す。帝極めて歓び、侍臣に謂いて曰く、「貞観以前、我に従いて天下を平定し、艱険に周旋するは、玄齢の功、与に譲る所無し。貞観の後、心を我に尽くし、忠讜(ちゅうとう)を献納し、国を安んじ人を利し、我が今日の功業を成し、天下の称する所と為る者は、惟だ魏徴のみ。古の名臣も、何を以て加えんや」と。是に於いて親ら佩刀を解きて以て二人に賜う。庶人承乾は春宮に在りて、徳業を修めず。魏王泰は寵愛日に隆く、内外の庶寮、咸な疑議有り。太宗聞きて之を悪(にく)み、侍臣に謂いて曰く、「当今の朝臣、忠謇(ちゅうけん)は魏徴に如くは無し。我遣わして皇太子に傅たらしめ、用て天下の望みを絶たん」と。十七年、遂に太子太師を授け、門下の事を知ること故の如し。徴自ら疾有るを陳ぶ。太宗謂いて曰く、「太子は宗社の本なり。須らく師傅有るべし。故に中正を選びて、以て輔弼と為す。公の疹病を知る。臥して之を護るべし」と。徴乃ち職に就く。尋いで疾に遇う。徴の宅内には先に正堂無し。太宗時に小殿を営まんと欲す。乃ち其の材を輟(や)めて為に造らしめ、五日にして就る。中使を遣わして賜うに布被素褥を以てし、其の尚ぶ所を遂げしむ。後数日にして薨ず。太宗親ら臨みて慟哭し、司空を贈り、謚して文貞と曰う。太宗親ら為に碑文を制し、復た自ら石に書す。特に其の家に食実封九百戸を賜う。太宗後に嘗て侍臣に謂いて曰く、「夫れ銅を以て鏡と為せば、以て衣冠を正すべし。古を以て鏡と為せば、以て興替を知るべし。人を以て鏡と為せば、以て得失を明らかにすべし。朕常に此の三鏡を保ち、以て己が過ちを防ぐ。今、魏徴殂逝(そせい)し、遂に一鏡を亡えり」と。因りて泣下すること之を久しくす。乃ち詔して曰く、「昔惟だ魏徴のみ、毎に予が過ちを顕す。其の逝きしより、過つと雖も彰わるる莫し。朕豈に独り往時に非有りて、皆な茲の日に是ならんや。故に亦た庶僚苟(いやしく)も順い、龍鱗に触れ難き者か。所以に己を虚しくして外に求め、迷いを披きて内に省みる。言いて用いざるは、朕の甘心する所なり。用いて言わざるは、誰の責ぞや。今より已後、各々乃(なんじ)の誠を悉くせ。若し是非有らば、直言して隠す無かれ」と。
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貞観政要・悔過貞観中、太子承乾は多く法度を修めず。魏王泰は尤も才能を以て太宗の重んずる所と為る。特に詔して泰を武徳殿に移居せしむ。魏徴、疏を上りて諫めて曰く、「魏王は既に是れ陛下の愛子なり。須らく定分を知り、常に安全を保ち、事毎に其の驕奢を抑え、嫌疑の地に処らざらしむべし。今、此の殿に移居せしめ、東宮の西に在らしむ。海陵の昔居りし所なり。時の人は以て不可と為す。時は移り事は異なると雖も、猶お恐る、人の言多きを。又た王の本心も、亦た寧息せず。既に能く寵を以て懼れと為さば、伏して願わくは人の美を成せ」と。太宗曰く、「我は幾(ほとん)ど思量せず、甚だ大いなる錯誤なり」と。遂に泰を遣わして本第に帰らしむ。
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貞観政要・公平長楽公主は、文徳皇后の生む所なり。貞観六年、将に出降せんとす。所司に敕して資送すること長公主に倍せしむ。魏徴奏言す、「昔、漢の明帝は其の子を封ぜんと欲す。帝曰く、『朕の子は豈に先帝の子に同じきを得んや。楚・淮陽王に半ばすべし』と。前史は以て美談と為す。天子の姊妹を長公主と為し、天子の女を公主と為す。既に長の字を加うるは、良(まこと)に以て公主より尊きなり。情に殊なる有りと雖も、義に等別無し。若し公主の礼をして長公主に過ぐる有らしめば、理は恐らくは不可ならん。実に願わくは陛下、之を思え」と。太宗善しと称す。乃ち其の言を以て后に告ぐ。后嘆じて曰く、「嘗て陛下の魏徴を敬重するを聞くも、殊に未だ其の故を知らず。而して今、其の諫を聞くに、乃ち能く義を以て人王の情を制す。真に社稷の臣なり。妾は陛下と結髪して夫妻と為り、曲げて礼敬を蒙る。情義は深重なり。将に言有らんとする毎に、必ず顔色を俟つ。尚お敢えて軽々しく威厳を犯さず。況んや臣下に在りて、情は疎に礼は隔つるをや。故に韓非は之を説難と謂い、東方朔は其の易からざるを称す。良に以有るなり。忠言は耳に逆らえども行いに利あり。国有り家有る者、深く要急とする所なり。之を納るれば則ち世は治まり、之を杜(ふさ)げば則ち政は乱る。誠に願わくは陛下、之を詳らかにせば、則ち天下幸甚なり」と。因りて中使を遣わし、帛五百匹を賫(もたら)し、徴の宅に詣りて以て之を賜わんことを請う。
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貞観政要・直諫貞観六年、人有りて尚書右丞魏徴を告げ、其の親戚に阿党すと言う。太宗は御史大夫温彦博をして其の事を案験せしむ。乃ち言う者の不直なり。彦博奏して称す、徴は既に人の道(い)う所と為る。私無きに在りと雖も、亦た責むべき有り、と。遂に彦博をして徴に謂わしめて曰く、「爾は我を諫正すること数百条。豈に此の小事を以て、便ち衆美を損なわんや。今より已後、形跡を存せざるを得ず」と。数日を居(お)き、太宗徴に問いて曰く、「昨来、外に在りて、何の不是の事有るを聞くや」と。徴曰く、「前日、彦博をして勅を宣べて臣に語らしめて云う、『何に因りてか形跡を存せざる』と。此の言は大いに不是なり。臣聞く、君臣は気を同じくし、義は一体に均し、と。未だ公道を存せずして、惟だ形跡を事とするを聞かず。若し君臣上下、同じく此の路に遵(したが)わば、則ち邦国の興喪は、或いは未だ知るべからず」と。太宗矍然として容を改めて曰く、「前に此の語を発するも、尋いで已に之を悔ゆ。実に大いに不是なり。公も亦た遂に隠避を懐くを得ざれ」と。徴乃ち拝して言いて曰く、「臣は身を以て国に許す。直道にして行う。必ず敢えて欺負する所有らず。但だ願わくは陛下、臣をして良臣と為らしめよ。臣をして忠臣と為らしむる勿かれ」と。太宗曰く、「忠と良とに異なる有るか」と。徴曰く、「良臣は身をして美名を獲しめ、君は顕号を受く。子孫は世を伝え、福禄は疆り無し。忠臣は身は誅夷を受け、君は大悪に陥る。家と国と並びに喪び、独り其の名有るのみ。此を以て言えば、相い去ること遠し」と。太宗曰く、「君は但だ此の言に違う莫かれ。我は必ず社稷の計を忘れず」と。乃ち絹二百匹を賜う。
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