貞観政要 / 直諫
貞觀八年,左僕射房玄齡、右僕射高士廉於路逢少府監竇德素,問北門近來更何營造。德素以聞。太宗乃謂玄齡曰:「君但知南衙事,我北門少有營造,何預君事?」玄齡等拜謝。魏徵進曰:「臣不解陛下責,亦不解玄齡、士廉拜謝。玄齡既任大臣,即陛下股肱耳目,有所營造,何容不知?責其訪問官司,臣所不解。且所為有利害,役工有多少,陛下所為善,當助陛下成之,所為不是,雖營造,當奏陛下罷之。此乃君使臣、臣事君之道。玄齡等問既無罪,而陛下責之,臣所不解;玄齡等不識所守,但知拜謝,臣亦不解。」太宗深愧之。
新字:貞観八年,左僕射房玄齢、右僕射高士廉於路逢少府監竇徳素,問北門近来更何営造。徳素以聞。太宗乃謂玄齢曰:「君但知南衙事,我北門少有営造,何預君事?」玄齢等拝謝。魏徴進曰:「臣不解陛下責,亦不解玄齢、士廉拝謝。玄齢既任大臣,即陛下股肱耳目,有所営造,何容不知?責其訪問官司,臣所不解。且所為有利害,役工有多少,陛下所為善,当助陛下成之,所為不是,雖営造,当奏陛下罷之。此乃君使臣、臣事君之道。玄齢等問既無罪,而陛下責之,臣所不解;玄齢等不識所守,但知拝謝,臣亦不解。」太宗深愧之。
書き下し
貞観八年、左僕射房玄齢・右僕射高士廉、路に於て少府監竇徳素に逢い、北門に近来更に何をか営造すると問う。徳素以て聞(もう)す。太宗乃ち玄齢に謂いて曰く、「君は但だ南衙の事を知れ。我が北門に少しく営造有るは、何ぞ君が事に預(あずか)らんや」と。玄齢等拝謝す。魏徴進みて曰く、「臣は陛下の責むるを解せず。亦た玄齢・士廉の拝謝するを解せず。玄齢は既に大臣に任ず。即ち陛下の股肱耳目なり。営造する所有らば、何ぞ知らざるを容(ゆる)さんや。其の官司に訪問するを責むるは、臣の解せざる所なり。且つ為す所には利害有り、役工には多少有り。陛下の為す所善ならば、当に陛下を助けて之を成すべし。為す所是ならずんば、営造すと雖も、当に陛下に奏して之を罷むべし。此れ乃ち君の臣を使い、臣の君に事(つか)うるの道なり。玄齢等の問うは既に罪無し。而るに陛下之を責む。臣の解せざる所なり。玄齢等は守る所を識らず、但だ拝謝するを知る。臣も亦た解せず」と。太宗深く之を愧ず。
現代語訳
貞観八年、左僕射の房玄齢と右僕射の高士廉が、道で少府監の竇徳素に出会い、北門で最近何を造営しているのかと尋ねた。竇徳素はこれを太宗に報告した。太宗は房玄齢に言った。「あなたは南の役所のことだけ知っていればよい。私が北門で少し造営していることが、あなたに何の関わりがあるのか」。房玄齢らは拝して謝った。魏徴が進み出て言った。「臣には、陛下がお責めになる理由が分かりません。また房玄齢と高士廉が拝謝する理由も分かりません。房玄齢は大臣の任にあり、陛下の手足であり耳目です。造営があるなら、どうして知らずにいてよいのですか。担当の役所に尋ねたことを責められるのが、臣には分かりません。そもそも事には利害があり、労役には多少があります。陛下のなさることが善ければ、陛下を助けて成し遂げるべきです。善くなければ、造営中であっても、陛下に奏上して中止させるべきです。これこそ、君が臣を使い、臣が君に仕える道です。房玄齢らが尋ねたことに罪はない。それなのに陛下は責められる。臣には分かりません。房玄齢らは守るべきものを知らず、ただ拝謝するばかり。臣にはこれも分かりません」。太宗は深く恥じ入った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
貞観政要・直諫貞観十一年、所司は淩敬の乞貪の状を奏す。太宗は侍中魏徴等の濫りに人を進むるを責む。徴曰く、「臣等は顧問を蒙る毎に、常に具さに其の長短を言う。学識有り、強いて諫諍するは、是れ其の長なり。生活を愛し、経営を好むは、是れ其の短なり。今、淩敬は人の為に碑文を作り、人に『漢書』を読むを教う。茲に因りて附託し、回易して利を求む。臣等の説く所と同じからず。陛下は未だ其の長を用いず、惟だ其の短を見る。以て臣等の欺罔と為す。実に敢えて心に伏せず」と。太宗之を納る。
-
貞観政要・直諫貞観五年、持書侍御史権万紀・侍御史李仁発、倶に告訐(こくけつ)譖毀(しんき)を以て、数(しばしば)引見を蒙る。心に任せて弾射し、其の欺罔を肆(ほしいまま)にす。上をして震怒せしめ、臣下は以て自ら安んずる無し。内外は其の不可なるを知るも、能く論諍する莫し。給事中魏徴、正色して之を奏して曰く、「権万紀・李仁発は並びに是れ小人。大体を識らず。譖毀を以て是と為し、告訐を以て直と為す。凡そ弾射する所は、皆な罪有るに非ず。陛下は其の短ずる所を掩い、其の一切を収む。乃ち其の奸計を騁(は)せ、下に附き上を罔(あざむ)き、多く無礼を行い、以て強直の名を取る。房玄齢を誣(し)い、張亮を斥退す。粛厲する所無く、徒らに聖明を損なう。道路の人、皆な謗議を興す。臣、伏して聖心を度るに、必ずしも謀慮深長にして、棟梁の任を委ぬべしと為さざらん。将に其の避忌する所無きを以て、群臣を警厲せんと欲するならん。若し回邪を信狎せば、猶お小を以て大を謀るべからず。群臣は素より矯偽無きに、空しく臣下をして離心せしむ。玄齢・亮の徒を以てすら、猶お其の枉直を伸ぶるを得ず。其の余の疏賤は、孰か能く其の欺罔を免れんや。伏して願わくは陛下、意を留めて再び思え。二人を駆使してより以来、一の弘益有らば、臣は即ち斧鉞に甘心し、不忠の罪を受けん。陛下は縦(たと)い未だ善を挙げて徳を崇くする能わずとも、豈に奸を進めて自ら損なうべけんや」と。太宗欣然として之を納れ、徴に絹五百匹を賜う。其の万紀は又た奸状漸く露わる。仁発も亦た解黜せらる。万紀は連州司馬に貶せらる。朝廷は咸な相い慶賀す。
-
貞観政要・直諫貞観六年、人有りて尚書右丞魏徴を告げ、其の親戚に阿党すと言う。太宗は御史大夫温彦博をして其の事を案験せしむ。乃ち言う者の不直なり。彦博奏して称す、徴は既に人の道(い)う所と為る。私無きに在りと雖も、亦た責むべき有り、と。遂に彦博をして徴に謂わしめて曰く、「爾は我を諫正すること数百条。豈に此の小事を以て、便ち衆美を損なわんや。今より已後、形跡を存せざるを得ず」と。数日を居(お)き、太宗徴に問いて曰く、「昨来、外に在りて、何の不是の事有るを聞くや」と。徴曰く、「前日、彦博をして勅を宣べて臣に語らしめて云う、『何に因りてか形跡を存せざる』と。此の言は大いに不是なり。臣聞く、君臣は気を同じくし、義は一体に均し、と。未だ公道を存せずして、惟だ形跡を事とするを聞かず。若し君臣上下、同じく此の路に遵(したが)わば、則ち邦国の興喪は、或いは未だ知るべからず」と。太宗矍然として容を改めて曰く、「前に此の語を発するも、尋いで已に之を悔ゆ。実に大いに不是なり。公も亦た遂に隠避を懐くを得ざれ」と。徴乃ち拝して言いて曰く、「臣は身を以て国に許す。直道にして行う。必ず敢えて欺負する所有らず。但だ願わくは陛下、臣をして良臣と為らしめよ。臣をして忠臣と為らしむる勿かれ」と。太宗曰く、「忠と良とに異なる有るか」と。徴曰く、「良臣は身をして美名を獲しめ、君は顕号を受く。子孫は世を伝え、福禄は疆り無し。忠臣は身は誅夷を受け、君は大悪に陥る。家と国と並びに喪び、独り其の名有るのみ。此を以て言えば、相い去ること遠し」と。太宗曰く、「君は但だ此の言に違う莫かれ。我は必ず社稷の計を忘れず」と。乃ち絹二百匹を賜う。
-
貞観政要・直諫貞観十二年、太宗魏徴に謂いて曰く、「比来の行う所の得失・政化は、往前に何如」と。対えて曰く、「若し恩威の加うる所、遠夷の朝貢は、貞観の始めに比すれば、等級を以ては言うべからず。若し徳義の潜かに通じ、民心の悦服は、貞観の初めに比すれば、相い去ること又た甚だ遠し」と。太宗曰く、「遠夷来服するは、応に徳義の加うる所に由るべし。往前の功業は、何に因りてか益ます大なる」と。徴曰く、「昔者、四方未だ定まらざるとき、常に徳義を以て心と為す。旋(や)がて海内虞(うれ)い無きを以て、漸く驕奢自溢を加う。所以に功業は盛なりと雖も、終に往初に如かず」と。太宗又た曰く、「行う所は往前に比して何ぞ異なる」と。徴曰く、「貞観の初め、人の言わざるを恐れ、之を導きて諫めしむ。三年已後、人の諫むるを見れば、悦びて之に従う。一二年来、人の諫むるを悦ばず。勉強して聴受すと雖も、意は終に平らかならず、諒(まこと)に難色有り」と。太宗曰く、「何の事に於て此くの如き」と。対えて曰く、「即位の初め、元律師を死罪に処す。孫伏伽諫めて曰く、『法は死に至らず。濫りに酷罰を加うるを容(ゆる)す無かれ』と。遂に蘭陵公主の園を賜う。直(あたい)は銭百万。人或いは曰く、『言う所は乃ち常事なるに、賞する所は太(はなは)だ厚し』と。答えて曰く、『我は即位より来、未だ諫むる者有らず。賞する所以なり』と。此れ之を導きて言わしむるなり。徐州司戸柳雄は隋の資に於て妄りに階級を加う。人の之を告ぐる者有り。陛下は其れをして自首せしめ、首せずんば罪を与うとす。遂に固く是れ実なりと言い、竟に首するを肯んぜず。大理は推して其の偽を得、将に雄を死罪に処せんとす。少卿戴冑奏す、法は止だ徒に合うのみと。陛下曰く、『我は已に其れと断当し訖(お)われり。但だ当に死罪を与うべし』と。冑曰く、『陛下既に然らずんば、即ち臣が法司に付せ。罪は死に合わず。酷濫なるべからず』と。陛下色を作して殺すを遣(し)む。冑之を執りて已まざること、四五に至る。然る後に之を赦す。乃ち法司に謂いて曰く、『但だ能く我が為に此くの如く法を守らば、豈に濫りに誅夷有るを畏れんや』と。此れ則ち悦びて以て諫に従うなり。往年、陝県の丞皇甫徳参は書を上りて大いに聖旨に忤らう。陛下は以て訕謗と為す。臣奏して称す、上書は激切ならずんば、人主の意を起こす能わず。激切なれば即ち訕謗に似たりと。時に臣の言に従うと雖も、物二十段を賞す。意は甚だ平らかならず、諫を受くるに難(かた)んず」と。太宗曰く、「誠に公の言の如し。公に非ずんば能く此を道う者無し。人は皆な自ら覚らざるに苦しむ。公が未だ道わざる時に向(さき)んじては、都(すべ)て自ら行う所は変わらずと謂えり。公の論説を見るに及び、過失は驚くに堪えたり。公は但だ此の心を存せよ。朕は終に公の語に違わず」と。
-
貞観政要・直諫貞観十年、越王は長孫皇后の生む所、太子の介弟なり。聡明絶倫にして、太宗は特に寵異する所なり。或るひと言う、三品以上は、皆な王を軽蔑すと。意は侍中魏徴等を譖(そし)るに在り。以て上の怒りを激す。上、斉政殿に御し、三品已上を引きて入坐せしめ定まる。大いに怒り、色を作して言いて曰く、「我に一言有り、公等に向かいて道わん。往前の天子は、即ち是れ天子なり。今時の天子は、天子に非ざるか。往年の天子の児は、是れ天子の児なり。今日の天子の児は、天子の児に非ざるか。我は隋家の諸王を見るに、達官已下、皆な其の躓頓(ちとん)を被るを免れず。我の児子は、自ら其の縦横を許さず。公等の容易に過ぐる所、相い共に軽蔑するを得たり。我若し之を縦(ゆる)さば、豈に能く公等を躓頓せしめざらんや」と。玄齢等戦慄し、皆な拝謝す。徴、正色して諫めて曰く、「当今の群臣、必ず越王を軽蔑する者無し。然れども礼に在りて、臣と子とは一例なり。『伝』に称す、王人は微なりと雖も、諸侯の上に列す、と。諸侯之を用いて公と為さば、即ち是れ公なり。之を用いて卿と為さば、即ち是れ卿なり。若し公卿と為さずんば、即ち諸侯に下士たり。今、三品已上は、列して公卿と為り、並びに天子の大臣なり。陛下の敬異を加うる所なり。縦い其れ小しく是ならざる有るも、越王何ぞ輒ち折辱を加うるを得んや。若し国家の紀綱廃壊せば、臣の知らざる所なり。当今聖明の時を以てすれば、越王豈に此くの如きを得んや。且つ隋の高祖は礼義を知らず、諸王を寵樹し、無礼を行わしむ。尋いで罪を以て黜(しりぞ)けらる。法と為すべからず。亦た何ぞ道うに足らんや」と。太宗其の言を聞き、喜び色に形(あら)わる。群臣に謂いて曰く、「凡そ人の言語、理到らば、伏せざるべからず。朕の言う所は、身に当たりての私愛なり。魏徴の論ずる所は、国家の大法なり。朕は郷(さき)に忿怒し、自ら理は疑わざるに在りと謂えり。魏徴の論ずる所を見るに及び、始めて大いに道理に非ざるを覚る。人君の言を為すこと、何ぞ容易なるべけんや」と。玄齢等を召して切に之を責め、徴に絹一千匹を賜う。
-
貞観政要・杜讒邪貞観中、太宗房玄齢・杜如晦に謂いて曰く、「朕聞く、古より帝王の上は天心に合し、以て太平を致す者は、皆な股肱の力なり、と。朕は比(このごろ)直言の路を開く者は、庶(ちか)くは冤屈を知り、諫諍を聞かんと欲すればなり。有らゆる封事を上る人は、多く百官を告訐(こくけつ)す。細にして采るべき無し。朕は歴(あまね)く前王を選ぶに、但だ君の臣を疑う有らば、則ち下は上に達する能わず。忠を尽くし慮を極むるを求めんと欲するも、何ぞ得べけんや。而るに識無きの人、務めて讒毀を行い、君臣を交々乱す。殊に国に益するに非ず。今より以後、書を上りて人の小悪を訐(あば)く者有らば、当に讒人の罪を以て之を罪すべし」と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る