貞観政要 / 直諫
貞觀七年,蜀王妃父楊譽,在省競婢,都官郎中薛仁方留身勘問,未及予奪。其子為千牛,於殿庭陳訴,云:「五品以上非反逆不合留身,以是國親,故生節目,不肯決斷,淹留歲月。」太宗聞之,怒曰:「知是我親戚,故作如此艱難。」即令杖仁方一百,解所任官。魏徵進曰:「城狐社鼠皆微物,為其有所憑恃,故除之猶不易。況世家貴戚,舊號難理,漢、晉以來,不能禁御,武德之中,已多驕縱,陛下登極,方始蕭條。仁方既是職司,能為國家守法,豈可枉加刑罰,以成外戚之私乎!此源一開,萬端爭起,後必悔之,將無所及。自古能禁斷此事,惟陛下一人。備豫不虞,為國常道。豈可以水未橫流,便欲自毀隄防?臣竊思度,未見其可。」太宗曰:「誠如公言,鄉者不思。然仁方輒禁不言,頗是專權,雖不合重罪,宜少加懲肅。」乃令杖二十而赦之。
新字:貞観七年,蜀王妃父楊誉,在省競婢,都官郎中薛仁方留身勘問,未及予奪。其子為千牛,於殿庭陳訴,云:「五品以上非反逆不合留身,以是国親,故生節目,不肯決断,淹留歳月。」太宗聞之,怒曰:「知是我親戚,故作如此艱難。」即令杖仁方一百,解所任官。魏徴進曰:「城狐社鼠皆微物,為其有所憑恃,故除之猶不易。況世家貴戚,旧号難理,漢、晋以来,不能禁御,武徳之中,已多驕縦,陛下登極,方始蕭条。仁方既是職司,能為国家守法,豈可枉加刑罰,以成外戚之私乎!此源一開,万端争起,後必悔之,将無所及。自古能禁断此事,惟陛下一人。備予不虞,為国常道。豈可以水未横流,便欲自毀堤防?臣窃思度,未見其可。」太宗曰:「誠如公言,郷者不思。然仁方輒禁不言,頗是専権,雖不合重罪,宜少加懲粛。」乃令杖二十而赦之。
書き下し
貞観七年、蜀王の妃の父楊誉、省に在りて婢を競う。都官郎中薛仁方は身を留めて勘問し、未だ予奪に及ばず。其の子は千牛と為り、殿庭に於て陳訴して云う、「五品以上は反逆に非ずんば身を留むるに合(あ)わず。是れ国親なるを以て、故に節目を生じ、決断するを肯んぜず、歳月を淹留す」と。太宗之を聞き、怒りて曰く、「我が親戚なるを知り、故に此くの如き艱難を作す」と。即ち令して仁方を杖つこと一百、任ずる所の官を解く。魏徴進みて曰く、「城狐社鼠は皆な微物なり。其の憑恃する所有るが為に、故に之を除くこと猶お易からず。況んや世家貴戚は、旧より理め難しと号す。漢・晋より以来、禁御する能わず。武徳の中、已に驕縦多し。陛下登極して、方に始めて蕭条たり。仁方は既に是れ職司なり。能く国家の為に法を守る。豈に枉げて刑罰を加え、以て外戚の私を成すべけんや。此の源、一たび開かば、万端争い起こらん。後に必ず之を悔ゆるも、将に及ぶ所無からん。古より能く此の事を禁断するは、惟だ陛下一人のみ。不虞に備え予(か)ねするは、国を為むるの常道なり。豈に水未だ横流せざるを以て、便ち自ら隄防を毀たんと欲すべけんや。臣窃かに思度するに、未だ其の可なるを見ず」と。太宗曰く、「誠に公の言の如し。郷(さき)には思わざりき。然れども仁方は輒(すなわ)ち禁じて言わず。頗る是れ専権なり。重罪に合わずと雖も、宜しく少しく懲粛を加うべし」と。乃ち令して杖つこと二十にして之を赦す。
現代語訳
貞観七年、蜀王の妃の父である楊誉が、役所で下女を争った。都官郎中の薛仁方は彼を留め置いて取り調べ、まだ処分に至らなかった。楊誉の子は千牛の職にあり、宮殿の庭で訴えて言った。「五品以上の者は、謀反でなければ留め置くべきではありません。国の親戚であるからこそ、わざと難しくして、決断せず、歳月を引き延ばしているのです」。太宗はこれを聞いて怒って言った。「私の親戚だと知って、わざとこんな難癖をつけたのだ」。そして薛仁方に杖百を打ち、官を解くよう命じた。魏徴が進み出て言った。「城壁の狐、社の鼠は、みな小さな生き物です。しかし頼るものがあるから、除くのは容易でありません。まして名門や外戚は、昔から治めにくいと言われます。漢や晋以来、抑えることができませんでした。武徳の頃には、すでに驕り高ぶる者が多かった。陛下が即位されて、ようやく静まったのです。薛仁方は職務にある者です。国家のために法を守った。どうして曲げて刑罰を加え、外戚の私情を通してよいのですか。この道が一度開けば、あらゆる者が争って続きます。後で悔いても、及びません。昔から、この事を禁じ断てたのは、ただ陛下お一人だけです。不測に備えるのは、国を治める常道です。水がまだ溢れていないからといって、自ら堤防を壊してよいものでしょうか。臣がひそかに考えますに、可とは思えません」。太宗は言った。「まことにあなたの言うとおりだ。先には考えが及ばなかった。しかし薛仁方は、留め置きながら報告しなかった。それは越権にあたる。重罪ではないが、少し戒めを加えるべきだ」。そして杖二十で赦した。
解説
この章句が説くこと
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貞観政要・直諫貞観十年、越王は長孫皇后の生む所、太子の介弟なり。聡明絶倫にして、太宗は特に寵異する所なり。或るひと言う、三品以上は、皆な王を軽蔑すと。意は侍中魏徴等を譖(そし)るに在り。以て上の怒りを激す。上、斉政殿に御し、三品已上を引きて入坐せしめ定まる。大いに怒り、色を作して言いて曰く、「我に一言有り、公等に向かいて道わん。往前の天子は、即ち是れ天子なり。今時の天子は、天子に非ざるか。往年の天子の児は、是れ天子の児なり。今日の天子の児は、天子の児に非ざるか。我は隋家の諸王を見るに、達官已下、皆な其の躓頓(ちとん)を被るを免れず。我の児子は、自ら其の縦横を許さず。公等の容易に過ぐる所、相い共に軽蔑するを得たり。我若し之を縦(ゆる)さば、豈に能く公等を躓頓せしめざらんや」と。玄齢等戦慄し、皆な拝謝す。徴、正色して諫めて曰く、「当今の群臣、必ず越王を軽蔑する者無し。然れども礼に在りて、臣と子とは一例なり。『伝』に称す、王人は微なりと雖も、諸侯の上に列す、と。諸侯之を用いて公と為さば、即ち是れ公なり。之を用いて卿と為さば、即ち是れ卿なり。若し公卿と為さずんば、即ち諸侯に下士たり。今、三品已上は、列して公卿と為り、並びに天子の大臣なり。陛下の敬異を加うる所なり。縦い其れ小しく是ならざる有るも、越王何ぞ輒ち折辱を加うるを得んや。若し国家の紀綱廃壊せば、臣の知らざる所なり。当今聖明の時を以てすれば、越王豈に此くの如きを得んや。且つ隋の高祖は礼義を知らず、諸王を寵樹し、無礼を行わしむ。尋いで罪を以て黜(しりぞ)けらる。法と為すべからず。亦た何ぞ道うに足らんや」と。太宗其の言を聞き、喜び色に形(あら)わる。群臣に謂いて曰く、「凡そ人の言語、理到らば、伏せざるべからず。朕の言う所は、身に当たりての私愛なり。魏徴の論ずる所は、国家の大法なり。朕は郷(さき)に忿怒し、自ら理は疑わざるに在りと謂えり。魏徴の論ずる所を見るに及び、始めて大いに道理に非ざるを覚る。人君の言を為すこと、何ぞ容易なるべけんや」と。玄齢等を召して切に之を責め、徴に絹一千匹を賜う。
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貞観政要・直諫貞観十二年、太宗魏徴に謂いて曰く、「比来の行う所の得失・政化は、往前に何如」と。対えて曰く、「若し恩威の加うる所、遠夷の朝貢は、貞観の始めに比すれば、等級を以ては言うべからず。若し徳義の潜かに通じ、民心の悦服は、貞観の初めに比すれば、相い去ること又た甚だ遠し」と。太宗曰く、「遠夷来服するは、応に徳義の加うる所に由るべし。往前の功業は、何に因りてか益ます大なる」と。徴曰く、「昔者、四方未だ定まらざるとき、常に徳義を以て心と為す。旋(や)がて海内虞(うれ)い無きを以て、漸く驕奢自溢を加う。所以に功業は盛なりと雖も、終に往初に如かず」と。太宗又た曰く、「行う所は往前に比して何ぞ異なる」と。徴曰く、「貞観の初め、人の言わざるを恐れ、之を導きて諫めしむ。三年已後、人の諫むるを見れば、悦びて之に従う。一二年来、人の諫むるを悦ばず。勉強して聴受すと雖も、意は終に平らかならず、諒(まこと)に難色有り」と。太宗曰く、「何の事に於て此くの如き」と。対えて曰く、「即位の初め、元律師を死罪に処す。孫伏伽諫めて曰く、『法は死に至らず。濫りに酷罰を加うるを容(ゆる)す無かれ』と。遂に蘭陵公主の園を賜う。直(あたい)は銭百万。人或いは曰く、『言う所は乃ち常事なるに、賞する所は太(はなは)だ厚し』と。答えて曰く、『我は即位より来、未だ諫むる者有らず。賞する所以なり』と。此れ之を導きて言わしむるなり。徐州司戸柳雄は隋の資に於て妄りに階級を加う。人の之を告ぐる者有り。陛下は其れをして自首せしめ、首せずんば罪を与うとす。遂に固く是れ実なりと言い、竟に首するを肯んぜず。大理は推して其の偽を得、将に雄を死罪に処せんとす。少卿戴冑奏す、法は止だ徒に合うのみと。陛下曰く、『我は已に其れと断当し訖(お)われり。但だ当に死罪を与うべし』と。冑曰く、『陛下既に然らずんば、即ち臣が法司に付せ。罪は死に合わず。酷濫なるべからず』と。陛下色を作して殺すを遣(し)む。冑之を執りて已まざること、四五に至る。然る後に之を赦す。乃ち法司に謂いて曰く、『但だ能く我が為に此くの如く法を守らば、豈に濫りに誅夷有るを畏れんや』と。此れ則ち悦びて以て諫に従うなり。往年、陝県の丞皇甫徳参は書を上りて大いに聖旨に忤らう。陛下は以て訕謗と為す。臣奏して称す、上書は激切ならずんば、人主の意を起こす能わず。激切なれば即ち訕謗に似たりと。時に臣の言に従うと雖も、物二十段を賞す。意は甚だ平らかならず、諫を受くるに難(かた)んず」と。太宗曰く、「誠に公の言の如し。公に非ずんば能く此を道う者無し。人は皆な自ら覚らざるに苦しむ。公が未だ道わざる時に向(さき)んじては、都(すべ)て自ら行う所は変わらずと謂えり。公の論説を見るに及び、過失は驚くに堪えたり。公は但だ此の心を存せよ。朕は終に公の語に違わず」と。
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