貞観政要 / 直諫
貞觀六年,有人告尚書右丞魏徵,言其阿黨親戚。太宗使御史大夫溫彥博案驗其事,乃言者不直。彥博奏稱,徵既為人所道,雖在無私,亦有可責。遂令彥博謂徵曰:「爾諫正我數百條,豈以此小事,便損眾美。自今已後,不得不存形跡。」居數日,太宗問徵曰:「昨來在外,聞有何不是事?」徵曰:「前日令彥博宣敕語臣云:『因何不存形跡?』此言大不是。臣聞君臣同氣,義均一體。未聞不存公道,惟事形跡。若君臣上下,同遵此路,則邦國之興喪,或未可知!」太宗矍然改容曰:「前發此語,尋已悔之。實大不是,公亦不得遂懷隱避。」徵乃拜而言曰:「臣以身許國,直道而行,必不敢有所欺負。但願陛下使臣為良臣,勿使臣為忠臣。」太宗曰:「忠良有異乎?」徵曰:「良臣使身獲美名,君受顯號。子孫傳世,福祿無疆。忠臣身受誅夷,君陷大惡。家國並喪,獨有其名。以此而言,相去遠矣。」太宗曰:「君但莫違此言,我必不忘社稷之計。」乃賜絹二百匹。
新字:貞観六年,有人告尚書右丞魏徴,言其阿党親戚。太宗使御史大夫温彦博案験其事,乃言者不直。彦博奏称,徴既為人所道,雖在無私,亦有可責。遂令彦博謂徴曰:「爾諫正我数百条,豈以此小事,便損衆美。自今已後,不得不存形跡。」居数日,太宗問徴曰:「昨来在外,聞有何不是事?」徴曰:「前日令彦博宣勅語臣云:『因何不存形跡?』此言大不是。臣聞君臣同気,義均一体。未聞不存公道,惟事形跡。若君臣上下,同遵此路,則邦国之興喪,或未可知!」太宗矍然改容曰:「前発此語,尋已悔之。実大不是,公亦不得遂懐隠避。」徴乃拝而言曰:「臣以身許国,直道而行,必不敢有所欺負。但願陛下使臣為良臣,勿使臣為忠臣。」太宗曰:「忠良有異乎?」徴曰:「良臣使身獲美名,君受顕号。子孫伝世,福禄無疆。忠臣身受誅夷,君陥大悪。家国並喪,独有其名。以此而言,相去遠矣。」太宗曰:「君但莫違此言,我必不忘社稷之計。」乃賜絹二百匹。
書き下し
貞観六年、人有りて尚書右丞魏徴を告げ、其の親戚に阿党すと言う。太宗は御史大夫温彦博をして其の事を案験せしむ。乃ち言う者の不直なり。彦博奏して称す、徴は既に人の道(い)う所と為る。私無きに在りと雖も、亦た責むべき有り、と。遂に彦博をして徴に謂わしめて曰く、「爾は我を諫正すること数百条。豈に此の小事を以て、便ち衆美を損なわんや。今より已後、形跡を存せざるを得ず」と。数日を居(お)き、太宗徴に問いて曰く、「昨来、外に在りて、何の不是の事有るを聞くや」と。徴曰く、「前日、彦博をして勅を宣べて臣に語らしめて云う、『何に因りてか形跡を存せざる』と。此の言は大いに不是なり。臣聞く、君臣は気を同じくし、義は一体に均し、と。未だ公道を存せずして、惟だ形跡を事とするを聞かず。若し君臣上下、同じく此の路に遵(したが)わば、則ち邦国の興喪は、或いは未だ知るべからず」と。太宗矍然として容を改めて曰く、「前に此の語を発するも、尋いで已に之を悔ゆ。実に大いに不是なり。公も亦た遂に隠避を懐くを得ざれ」と。徴乃ち拝して言いて曰く、「臣は身を以て国に許す。直道にして行う。必ず敢えて欺負する所有らず。但だ願わくは陛下、臣をして良臣と為らしめよ。臣をして忠臣と為らしむる勿かれ」と。太宗曰く、「忠と良とに異なる有るか」と。徴曰く、「良臣は身をして美名を獲しめ、君は顕号を受く。子孫は世を伝え、福禄は疆り無し。忠臣は身は誅夷を受け、君は大悪に陥る。家と国と並びに喪び、独り其の名有るのみ。此を以て言えば、相い去ること遠し」と。太宗曰く、「君は但だ此の言に違う莫かれ。我は必ず社稷の計を忘れず」と。乃ち絹二百匹を賜う。
現代語訳
貞観六年、ある者が尚書右丞の魏徴を訴え、親戚に肩入れしていると言った。太宗は御史大夫の温彦博に調べさせたところ、訴えた者が不当だった。温彦博は奏上した。魏徴はすでに人に言われたのだから、私心がなかったとしても、なお責めるべき点がある、と。そこで温彦博を通じて魏徴に伝えさせた。「あなたは私を数百条にわたって諫め正してくれた。この小事で、その多くの美点を損なうことがあろうか。今後は、疑われないよう身の振り方に気をつけよ」。数日後、太宗が魏徴に尋ねた。「近頃、外にいて、何か良くないことを聞いたか」。魏徴は言った。「先日、温彦博を通じて臣に『なぜ疑われないよう振る舞わないのか』と仰いました。この言葉は、大いに間違っています。臣はこう聞いております。君臣は気を同じくし、義は一体である、と。公の道を守らず、ただ見た目を取り繕うことを事とするなど、聞いたことがありません。もし君臣上下がみなこの道を行くなら、国家の興亡は、どうなるか分かりません」。太宗ははっとして顔色を改めて言った。「先にあの言葉を発したが、すぐに後悔した。実に大いに間違っていた。あなたも隠し立てをしないでほしい」。魏徴は拝して言った。「臣は身を国に捧げ、まっすぐな道を行きます。決して欺くことはありません。ただ願わくは、陛下、臣を良臣とならせてください。忠臣とはならせないでください」。太宗は言った。「忠と良に、違いがあるのか」。魏徴は言った。「良臣は、自らは美しい名を得て、君主は輝かしい称号を受けます。子孫は代々続き、福禄は限りない。忠臣は、自らは誅殺され、君主は大悪に陥ります。家も国も滅び、ただ名だけが残る。これで言えば、隔たりは遠いのです」。太宗は言った。「あなたはこの言葉に違わずにいてくれ。私は必ず国家の計を忘れない」。そして絹二百匹を賜った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公十五年 韓原の戦い壬戌、韓原に戰ふ。晉の戎馬濘に還りて止まる。公慶鄭を號ぶ。慶鄭曰く、「諫に愎り卜に違ふ、固より敗を是れ求む、又何ぞ逃れん」と。遂に之を去る。梁由靡韓簡を御し、虢射右と為り、秦伯を輅へ、將に之を止めんとす。鄭公を救ふを以て之を誤らしめ、遂に秦伯を失ふ。秦晉侯を獲て以て歸る。晉の大夫首を反し舍を拔きて、之に從ふ。秦伯使ひして辭せしめて曰く、「二三子何ぞ其れ慼へるや。寡人の君に從ひて西するや、亦た晉の妖夢を是れ踐むのみ、豈に敢へて以て至らんや」と。晉の大夫三拜稽首して曰く、「君は后土を履みて皇天を戴く。皇天后土、實に君の言を聞く、群臣敢へて下風に在らん」と。穆姬晉侯の將に至らんとするを聞き、大子罃・弘と女簡・璧とを以て、臺に登りて薪を履む。免服衰絰を以て逆へしめ、且つ告げしめて曰く、「上天災を降し、我が兩君をして玉帛を以て相見えずして、戎を興すを以てせしむ。若し晉君朝に以て入らば、則ち婢子夕べに以て死せん。夕べに以て入らば、則ち朝に以て死せん。唯だ君之を裁け」と。乃ち諸を靈臺に舍らしむ。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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史記 宋微子世家微子開は、殷の帝乙の首子にして帝紂の庶兄なり。紂既に立ち、明らかならず、政に淫乱す。微子数々諫むるも、紂聴かず。祖伊周の西伯昌の徳を修め、黎国を滅ぼすを以て、禍の至らんことを懼れ、以て紂に告ぐるに及ぶ。紂曰く、「我が生は命天に在る有らずや。是れ何をか能く為さん」と。是に於て微子、紂の終に諫むべからざるを度り、之に死せんと欲し、及び去らんとするも、未だ自ら決すること能はず。乃ち太師・少師に問ひて曰く、「殷は治政有らず、四方を治めず。我が祖遂に上に陳ぶ。紂酒に沈湎し、婦人是れ用ひ、湯の徳を下に乱敗す。殷既に小大好んで草窃姦宄し、卿士師師度に非ず、皆罪辜有り、乃ち維れ獲ること无し。小民乃ち并び興り、相敵讎と為る。今殷其れ典喪へり。水を渉るに津涯无きが若し。殷遂に喪ひ、越に今に至る」と。曰く、「太師、少師、我其れ発して出で往かんか。吾が家喪に保たんか。今女故无くして予に告ぐ。顛躋(てんせい)せば、之を如何せん」と。太師若(かく)のごとく曰く、「王子、天篤く菑(わざはひ)を下して殷国を亡ぼす。乃ち畏るべきを畏れず、老長を用ひず。今殷の民乃ち神祇の祀を陋淫す。今誠に国を治むるを得ば、国治まりて身死すとも恨みず。死を為して、終に治むるを得ずんば、去るに如かず」と。遂に亡ぐ。箕子は、紂の親戚なり。紂始めて象箸を為る。箕子嘆じて曰く、「彼象箸を為らば、必ず玉桮を為らん。桮を為らば、則ち必ず遠方の珍怪の物を思ひて之を御せん。輿馬宮室の漸、此より始まり、振ふべからず」と。紂淫泆を為す。箕子諫むるも、聴かず。人或いは曰く、「以て去るべし」と。箕子曰く、「人臣為りて諫めて聴かれずして去るは、是れ君の悪を彰らかにして自ら民に説(よろこ)ばるるなり。吾為すに忍びざるなり」と。乃ち髪を被り詳狂して奴と為る。遂に隠れて琴を鼓きて以て自ら悲しむ。故に之を伝へて箕子操と曰ふ。王子比干は、亦た紂の親戚なり。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 楽書上は朝廷より、下は人民に至るまで、以て歓喜を接し、殷勤を合するを得、此の和説に非ずんば通ぜず、解沢流れず、亦各々一世の化、時を度るの楽なり、何ぞ必ずしも華山の騄耳にして而る後に遠きを行かんや」と。二世之を然りとす。高祖、沛を過りて三侯の章を詩し、小児をして之を歌はしむ。高祖崩じ、沛をして四時に宗廟に歌舞するを得しむ。孝恵・孝文・孝景は増更する所無く、楽府に於いて常を習ひ旧を肄ふのみ。今上即位するに至り、十九章を作り、侍中李延年をして其の声を次序せしめ、拝して協律都尉と為す。一経に通ずるの士も独り其の辞を知る能はず、皆五経の家を集会し、相与に共に講習して之を読み、乃ち能く其の意を通知す、多く爾雅の文なり。漢家常に正月上辛を以て太一を甘泉に祠り、昏時を以て夜祠り、明に到りて終はる。常に流星の祠壇の上を経る有り。僮男僮女七十人をして俱に歌はしむ。春は青陽を歌ひ、夏は朱明を歌ひ、秋は西暤を歌ひ、冬は玄冥を歌ふ。世に多く有り、故に論ぜず。又嘗て神馬を渥洼の水中に得て、復た次して以て太一の歌と為す。歌曲に曰く、「太一貢ぎて天馬下る、赤汗に霑ひて沫赭を流す。騁せて容与として万里を跇ゆ、今安んぞ匹せん、龍を友と為す」と。後に大宛を伐ちて千里の馬を得、馬の名は蒲梢、次して作りて以て歌と為す。歌詩に曰く、「天馬来たる、西極よりす。万里を経て有徳に帰す。霊威を承けて外国を降し、流沙を渉りて四夷服す」と。中尉汲黯進みて曰く、「凡そ王者の楽を作るは、上は以て祖宗を承け、下は以て兆民を化す。今陛下馬を得て、詩して以て歌と為し、宗廟に協す、先帝百姓豈に能く其の音を知らんや」と。上黙然として説ばず。丞相公孫弘曰く、「黯は聖制を誹謗す、当に族すべし」と。凡そ音の起こるは、人心より生ずるなり。人心の動くは、物之をして然らしむるなり。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。
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