貞観政要 / 直諫
貞觀五年,持書侍御史權萬紀、侍御史李仁發,俱以告訐譖毀,數蒙引見,任心彈射,肆其欺罔,令在上震怒,臣下無以自安。內外知其不可,而莫能論諍。給事中魏徵正色而奏之曰:「權萬紀、李仁發並是小人,不識大體,以譖毀為是,告訐為直,凡所彈射,皆非有罪。陛下掩其所短,收其一切。乃騁其奸計,附下罔上,多行無禮,以取強直之名。誣房玄齡,斥退張亮,無所肅厲,徒損聖明。道路之人,皆興謗議。臣伏度聖心,必不以為謀慮深長,可委以棟梁之任,將以其無所避忌,欲以警厲群臣。若信狎回邪,猶不可以小謀大,群臣素無矯偽,空使臣下離心。以玄齡、亮之徒,猶不可得伸其枉直,其餘疏賤,孰能免其欺罔?伏願陛下留意再思。自驅使二人以來,有一弘益,臣即甘心斧鉞,受不忠之罪。陛下縱未能舉善以崇德,豈可進奸而自損乎?」太宗欣然納之,賜徵絹五百匹。其萬紀又奸狀漸露,仁發亦解黜,萬紀貶連州司馬。朝廷咸相慶賀焉。
新字:貞観五年,持書侍御史権万紀、侍御史李仁発,倶以告訐譖毀,数蒙引見,任心弾射,肆其欺罔,令在上震怒,臣下無以自安。内外知其不可,而莫能論諍。給事中魏徴正色而奏之曰:「権万紀、李仁発並是小人,不識大体,以譖毀為是,告訐為直,凡所弾射,皆非有罪。陛下掩其所短,収其一切。乃騁其奸計,附下罔上,多行無礼,以取強直之名。誣房玄齢,斥退張亮,無所粛厲,徒損聖明。道路之人,皆興謗議。臣伏度聖心,必不以為謀慮深長,可委以棟梁之任,将以其無所避忌,欲以警厲群臣。若信狎回邪,猶不可以小謀大,群臣素無矯偽,空使臣下離心。以玄齢、亮之徒,猶不可得伸其枉直,其余疏賤,孰能免其欺罔?伏願陛下留意再思。自駆使二人以来,有一弘益,臣即甘心斧鉞,受不忠之罪。陛下縦未能舉善以崇徳,豈可進奸而自損乎?」太宗欣然納之,賜徴絹五百匹。其万紀又奸状漸露,仁発亦解黜,万紀貶連州司馬。朝廷咸相慶賀焉。
書き下し
貞観五年、持書侍御史権万紀・侍御史李仁発、倶に告訐(こくけつ)譖毀(しんき)を以て、数(しばしば)引見を蒙る。心に任せて弾射し、其の欺罔を肆(ほしいまま)にす。上をして震怒せしめ、臣下は以て自ら安んずる無し。内外は其の不可なるを知るも、能く論諍する莫し。給事中魏徴、正色して之を奏して曰く、「権万紀・李仁発は並びに是れ小人。大体を識らず。譖毀を以て是と為し、告訐を以て直と為す。凡そ弾射する所は、皆な罪有るに非ず。陛下は其の短ずる所を掩い、其の一切を収む。乃ち其の奸計を騁(は)せ、下に附き上を罔(あざむ)き、多く無礼を行い、以て強直の名を取る。房玄齢を誣(し)い、張亮を斥退す。粛厲する所無く、徒らに聖明を損なう。道路の人、皆な謗議を興す。臣、伏して聖心を度るに、必ずしも謀慮深長にして、棟梁の任を委ぬべしと為さざらん。将に其の避忌する所無きを以て、群臣を警厲せんと欲するならん。若し回邪を信狎せば、猶お小を以て大を謀るべからず。群臣は素より矯偽無きに、空しく臣下をして離心せしむ。玄齢・亮の徒を以てすら、猶お其の枉直を伸ぶるを得ず。其の余の疏賤は、孰か能く其の欺罔を免れんや。伏して願わくは陛下、意を留めて再び思え。二人を駆使してより以来、一の弘益有らば、臣は即ち斧鉞に甘心し、不忠の罪を受けん。陛下は縦(たと)い未だ善を挙げて徳を崇くする能わずとも、豈に奸を進めて自ら損なうべけんや」と。太宗欣然として之を納れ、徴に絹五百匹を賜う。其の万紀は又た奸状漸く露わる。仁発も亦た解黜せらる。万紀は連州司馬に貶せらる。朝廷は咸な相い慶賀す。
現代語訳
貞観五年、持書侍御史の権万紀と侍御史の李仁発は、ともに人の秘密を暴き讒言することで、たびたび引見を受けた。思うままに弾劾し、欺きをほしいままにした。上を激怒させ、臣下は落ち着いていられなかった。内外の誰もがこれはいけないと知りながら、諫める者はなかった。給事中の魏徴が、正色して奏上した。「権万紀と李仁発は、ともに小人です。大局を知らず、讒言を正しいこととし、暴露を正直だとしています。彼らの弾劾するところは、みな罪のある者ではありません。陛下は彼らの欠点を覆い隠し、すべてを受け入れておられる。だから彼らは奸計を走らせ、下に取り入って上を欺き、無礼を働いて、剛直の名を取っています。房玄齢を誣告し、張亮を退けました。引き締める効果はなく、いたずらに陛下の明を損なっています。道行く人々は、みな非難の声を上げています。臣が陛下の御心を推し量りますに、彼らを思慮深く国の柱とすべき者だと思っておられるのではないでしょう。彼らが遠慮を知らないので、群臣を戒めようとされているのでしょう。しかし邪な者を信じて親しめば、小をもって大を図ることはできません。群臣にはもともと偽りがないのに、いたずらに臣下の心を離れさせています。房玄齢や張亮でさえ、その曲直を明らかにできない。その他の疎遠で身分の低い者が、どうして欺きを免れましょうか。伏して願わくは、陛下、心に留めて考え直してください。この二人を使ってから、一つでも大きな益があれば、臣は喜んで斧鉞を受け、不忠の罪に服します。陛下は善を挙げて徳を高めることができないとしても、どうして奸を進めて自ら損なわれるのですか」。太宗は喜んでこれを受け入れ、魏徴に絹五百匹を賜った。その後、権万紀の奸悪も次第に露見し、李仁発も罷免された。権万紀は連州司馬に降格された。朝廷はみな祝い合った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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貞観政要・直諫貞観六年、人有りて尚書右丞魏徴を告げ、其の親戚に阿党すと言う。太宗は御史大夫温彦博をして其の事を案験せしむ。乃ち言う者の不直なり。彦博奏して称す、徴は既に人の道(い)う所と為る。私無きに在りと雖も、亦た責むべき有り、と。遂に彦博をして徴に謂わしめて曰く、「爾は我を諫正すること数百条。豈に此の小事を以て、便ち衆美を損なわんや。今より已後、形跡を存せざるを得ず」と。数日を居(お)き、太宗徴に問いて曰く、「昨来、外に在りて、何の不是の事有るを聞くや」と。徴曰く、「前日、彦博をして勅を宣べて臣に語らしめて云う、『何に因りてか形跡を存せざる』と。此の言は大いに不是なり。臣聞く、君臣は気を同じくし、義は一体に均し、と。未だ公道を存せずして、惟だ形跡を事とするを聞かず。若し君臣上下、同じく此の路に遵(したが)わば、則ち邦国の興喪は、或いは未だ知るべからず」と。太宗矍然として容を改めて曰く、「前に此の語を発するも、尋いで已に之を悔ゆ。実に大いに不是なり。公も亦た遂に隠避を懐くを得ざれ」と。徴乃ち拝して言いて曰く、「臣は身を以て国に許す。直道にして行う。必ず敢えて欺負する所有らず。但だ願わくは陛下、臣をして良臣と為らしめよ。臣をして忠臣と為らしむる勿かれ」と。太宗曰く、「忠と良とに異なる有るか」と。徴曰く、「良臣は身をして美名を獲しめ、君は顕号を受く。子孫は世を伝え、福禄は疆り無し。忠臣は身は誅夷を受け、君は大悪に陥る。家と国と並びに喪び、独り其の名有るのみ。此を以て言えば、相い去ること遠し」と。太宗曰く、「君は但だ此の言に違う莫かれ。我は必ず社稷の計を忘れず」と。乃ち絹二百匹を賜う。
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貞観政要・直諫貞観十一年、所司は淩敬の乞貪の状を奏す。太宗は侍中魏徴等の濫りに人を進むるを責む。徴曰く、「臣等は顧問を蒙る毎に、常に具さに其の長短を言う。学識有り、強いて諫諍するは、是れ其の長なり。生活を愛し、経営を好むは、是れ其の短なり。今、淩敬は人の為に碑文を作り、人に『漢書』を読むを教う。茲に因りて附託し、回易して利を求む。臣等の説く所と同じからず。陛下は未だ其の長を用いず、惟だ其の短を見る。以て臣等の欺罔と為す。実に敢えて心に伏せず」と。太宗之を納る。
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貞観政要・直諫貞観十二年、太宗魏徴に謂いて曰く、「比来の行う所の得失・政化は、往前に何如」と。対えて曰く、「若し恩威の加うる所、遠夷の朝貢は、貞観の始めに比すれば、等級を以ては言うべからず。若し徳義の潜かに通じ、民心の悦服は、貞観の初めに比すれば、相い去ること又た甚だ遠し」と。太宗曰く、「遠夷来服するは、応に徳義の加うる所に由るべし。往前の功業は、何に因りてか益ます大なる」と。徴曰く、「昔者、四方未だ定まらざるとき、常に徳義を以て心と為す。旋(や)がて海内虞(うれ)い無きを以て、漸く驕奢自溢を加う。所以に功業は盛なりと雖も、終に往初に如かず」と。太宗又た曰く、「行う所は往前に比して何ぞ異なる」と。徴曰く、「貞観の初め、人の言わざるを恐れ、之を導きて諫めしむ。三年已後、人の諫むるを見れば、悦びて之に従う。一二年来、人の諫むるを悦ばず。勉強して聴受すと雖も、意は終に平らかならず、諒(まこと)に難色有り」と。太宗曰く、「何の事に於て此くの如き」と。対えて曰く、「即位の初め、元律師を死罪に処す。孫伏伽諫めて曰く、『法は死に至らず。濫りに酷罰を加うるを容(ゆる)す無かれ』と。遂に蘭陵公主の園を賜う。直(あたい)は銭百万。人或いは曰く、『言う所は乃ち常事なるに、賞する所は太(はなは)だ厚し』と。答えて曰く、『我は即位より来、未だ諫むる者有らず。賞する所以なり』と。此れ之を導きて言わしむるなり。徐州司戸柳雄は隋の資に於て妄りに階級を加う。人の之を告ぐる者有り。陛下は其れをして自首せしめ、首せずんば罪を与うとす。遂に固く是れ実なりと言い、竟に首するを肯んぜず。大理は推して其の偽を得、将に雄を死罪に処せんとす。少卿戴冑奏す、法は止だ徒に合うのみと。陛下曰く、『我は已に其れと断当し訖(お)われり。但だ当に死罪を与うべし』と。冑曰く、『陛下既に然らずんば、即ち臣が法司に付せ。罪は死に合わず。酷濫なるべからず』と。陛下色を作して殺すを遣(し)む。冑之を執りて已まざること、四五に至る。然る後に之を赦す。乃ち法司に謂いて曰く、『但だ能く我が為に此くの如く法を守らば、豈に濫りに誅夷有るを畏れんや』と。此れ則ち悦びて以て諫に従うなり。往年、陝県の丞皇甫徳参は書を上りて大いに聖旨に忤らう。陛下は以て訕謗と為す。臣奏して称す、上書は激切ならずんば、人主の意を起こす能わず。激切なれば即ち訕謗に似たりと。時に臣の言に従うと雖も、物二十段を賞す。意は甚だ平らかならず、諫を受くるに難(かた)んず」と。太宗曰く、「誠に公の言の如し。公に非ずんば能く此を道う者無し。人は皆な自ら覚らざるに苦しむ。公が未だ道わざる時に向(さき)んじては、都(すべ)て自ら行う所は変わらずと謂えり。公の論説を見るに及び、過失は驚くに堪えたり。公は但だ此の心を存せよ。朕は終に公の語に違わず」と。
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貞観政要・任賢魏徴は、鉅鹿(きょろく)の人なり。近ごろ家を相州の内黄に徙(うつ)す。武徳の末、太子洗馬(せんば)と為る。太宗と隠太子と陰かに相い傾奪するを見て、毎に建成に勧めて早く之が謀を為さしむ。太宗既に隠太子を誅し、徴を召して之を責めて曰く、「汝、我が兄弟を離間するは、何ぞや」と。衆皆な之が為に危懼す。徴、慷慨自若として、従容として対えて曰く、「皇太子若し臣の言に従わば、必ず今日の禍無からん」と。太宗之が為に容を斂(おさ)め、厚く礼異を加え、擢(ぬきん)でて諫議大夫に拝す。数々之を臥内に引き、訪うに政術を以てす。徴は雅(もと)より経国の才有り、性又た抗直にして、屈撓する所無し。太宗毎に之と言い、未だ嘗て悦ばずんばあらず。徴も亦た知己の主に逢うを喜び、其の力用を竭くす。又た之を労いて曰く、「卿の諫むる所、前後二百余事、皆な朕が意に称(かな)う。卿の忠誠もて国に奉ずるに非ずんば、何ぞ能く是くの若くならんや」と。三年、累遷して秘書監となり、朝政に参預す。深謀遠算、弘益する所多し。太宗嘗て謂いて曰く、「卿の罪は鉤に中(あ)つるより重く、我の卿に任ずるは管仲に逾(こ)ゆ。近代の君臣相い得ること、寧ぞ我の卿に於けるに似たる者有らんや」と。六年、太宗九成宮に幸し、近臣を宴す。長孫無忌曰く、「王珪・魏徴は、往(さき)に息隠に事う。臣之を見ること讎(あだ)の若し。謂わざりき、今者(いま)又た此の宴を同じくせんとは」と。太宗曰く、「魏徴は往者(さき)には実に我が讎とする所なり。但だ其の心を事うる所に尽くすは、嘉するに足る者有り。朕能く擢でて之を用う。何ぞ古烈に慚じんや。徴は毎に顔を犯して切諫し、我の非を為すを許さず。我の之を重んずる所以なり」と。徴再拝して曰く、「陛下、臣を導きて言わしむ。臣の敢えて言う所以なり。若し陛下臣の言を受けずんば、臣も亦た何ぞ敢えて龍鱗を犯し、忌諱に触れんや」と。太宗大いに悦び、各々銭十五万を賜う。七年、王珪に代わりて侍中と為り、累ねて鄭国公に封ぜらる。尋いで疾を以て職とする所を辞せんことを乞い、散官と為らんことを請う。太宗曰く、「朕は卿を讎虜の中より抜き、卿に任ずるに枢要の職を以てす。朕の非を見れば、未だ嘗て諫めずんばあらず。公独り見ずや、金の鉱に在るは、何ぞ貴ぶに足らんや。良冶鍛えて器と為せば、便ち人の宝とする所と為る。朕は方(まさ)に自ら金に比し、卿を以て良工と為す。疾有りと雖も、未だ衰老と為さず。豈に便ち爾(しか)るを得んや」と。徴乃ち止む。後に復た固辞す。侍中を解くを聴(ゆる)し、授くるに特進を以てし、仍お門下省の事を知らしむ。十二年、太宗、皇孫の誕(う)まるるを以て、詔して公卿を宴す。帝極めて歓び、侍臣に謂いて曰く、「貞観以前、我に従いて天下を平定し、艱険に周旋するは、玄齢の功、与に譲る所無し。貞観の後、心を我に尽くし、忠讜(ちゅうとう)を献納し、国を安んじ人を利し、我が今日の功業を成し、天下の称する所と為る者は、惟だ魏徴のみ。古の名臣も、何を以て加えんや」と。是に於いて親ら佩刀を解きて以て二人に賜う。庶人承乾は春宮に在りて、徳業を修めず。魏王泰は寵愛日に隆く、内外の庶寮、咸な疑議有り。太宗聞きて之を悪(にく)み、侍臣に謂いて曰く、「当今の朝臣、忠謇(ちゅうけん)は魏徴に如くは無し。我遣わして皇太子に傅たらしめ、用て天下の望みを絶たん」と。十七年、遂に太子太師を授け、門下の事を知ること故の如し。徴自ら疾有るを陳ぶ。太宗謂いて曰く、「太子は宗社の本なり。須らく師傅有るべし。故に中正を選びて、以て輔弼と為す。公の疹病を知る。臥して之を護るべし」と。徴乃ち職に就く。尋いで疾に遇う。徴の宅内には先に正堂無し。太宗時に小殿を営まんと欲す。乃ち其の材を輟(や)めて為に造らしめ、五日にして就る。中使を遣わして賜うに布被素褥を以てし、其の尚ぶ所を遂げしむ。後数日にして薨ず。太宗親ら臨みて慟哭し、司空を贈り、謚して文貞と曰う。太宗親ら為に碑文を制し、復た自ら石に書す。特に其の家に食実封九百戸を賜う。太宗後に嘗て侍臣に謂いて曰く、「夫れ銅を以て鏡と為せば、以て衣冠を正すべし。古を以て鏡と為せば、以て興替を知るべし。人を以て鏡と為せば、以て得失を明らかにすべし。朕常に此の三鏡を保ち、以て己が過ちを防ぐ。今、魏徴殂逝(そせい)し、遂に一鏡を亡えり」と。因りて泣下すること之を久しくす。乃ち詔して曰く、「昔惟だ魏徴のみ、毎に予が過ちを顕す。其の逝きしより、過つと雖も彰わるる莫し。朕豈に独り往時に非有りて、皆な茲の日に是ならんや。故に亦た庶僚苟(いやしく)も順い、龍鱗に触れ難き者か。所以に己を虚しくして外に求め、迷いを披きて内に省みる。言いて用いざるは、朕の甘心する所なり。用いて言わざるは、誰の責ぞや。今より已後、各々乃(なんじ)の誠を悉くせ。若し是非有らば、直言して隠す無かれ」と。
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貞観政要・直諫貞観十年、越王は長孫皇后の生む所、太子の介弟なり。聡明絶倫にして、太宗は特に寵異する所なり。或るひと言う、三品以上は、皆な王を軽蔑すと。意は侍中魏徴等を譖(そし)るに在り。以て上の怒りを激す。上、斉政殿に御し、三品已上を引きて入坐せしめ定まる。大いに怒り、色を作して言いて曰く、「我に一言有り、公等に向かいて道わん。往前の天子は、即ち是れ天子なり。今時の天子は、天子に非ざるか。往年の天子の児は、是れ天子の児なり。今日の天子の児は、天子の児に非ざるか。我は隋家の諸王を見るに、達官已下、皆な其の躓頓(ちとん)を被るを免れず。我の児子は、自ら其の縦横を許さず。公等の容易に過ぐる所、相い共に軽蔑するを得たり。我若し之を縦(ゆる)さば、豈に能く公等を躓頓せしめざらんや」と。玄齢等戦慄し、皆な拝謝す。徴、正色して諫めて曰く、「当今の群臣、必ず越王を軽蔑する者無し。然れども礼に在りて、臣と子とは一例なり。『伝』に称す、王人は微なりと雖も、諸侯の上に列す、と。諸侯之を用いて公と為さば、即ち是れ公なり。之を用いて卿と為さば、即ち是れ卿なり。若し公卿と為さずんば、即ち諸侯に下士たり。今、三品已上は、列して公卿と為り、並びに天子の大臣なり。陛下の敬異を加うる所なり。縦い其れ小しく是ならざる有るも、越王何ぞ輒ち折辱を加うるを得んや。若し国家の紀綱廃壊せば、臣の知らざる所なり。当今聖明の時を以てすれば、越王豈に此くの如きを得んや。且つ隋の高祖は礼義を知らず、諸王を寵樹し、無礼を行わしむ。尋いで罪を以て黜(しりぞ)けらる。法と為すべからず。亦た何ぞ道うに足らんや」と。太宗其の言を聞き、喜び色に形(あら)わる。群臣に謂いて曰く、「凡そ人の言語、理到らば、伏せざるべからず。朕の言う所は、身に当たりての私愛なり。魏徴の論ずる所は、国家の大法なり。朕は郷(さき)に忿怒し、自ら理は疑わざるに在りと謂えり。魏徴の論ずる所を見るに及び、始めて大いに道理に非ざるを覚る。人君の言を為すこと、何ぞ容易なるべけんや」と。玄齢等を召して切に之を責め、徴に絹一千匹を賜う。
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