貞観政要 / 納諫
貞觀八年,陜縣丞皇甫德參上書忤旨,太宗以為訕謗。侍中魏徵進言曰:「昔賈誼當漢文帝上書云云『可為痛哭者一,可為長嘆息者六。』自古上書,率多激切。若不激切,則不能起人主之心。激切即似訕謗,惟陛下詳其可否。」太宗曰:「非公無能道此者。」令賜德參帛二十段。
新字:貞観八年,陜県丞皇甫徳参上書忤旨,太宗以為訕謗。侍中魏徴進言曰:「昔賈誼当漢文帝上書云云『可為痛哭者一,可為長嘆息者六。』自古上書,率多激切。若不激切,則不能起人主之心。激切即似訕謗,惟陛下詳其可否。」太宗曰:「非公無能道此者。」令賜徳参帛二十段。
書き下し
貞観八年、陝県の丞皇甫徳参は書を上りて旨に忤(さか)らう。太宗は以て訕謗(さんぼう)と為す。侍中魏徴進言して曰く、「昔、賈誼は漢の文帝に当たりて書を上り、云云す。『痛哭すべき者一、長嘆息すべき者六』と。古より書を上るは、率ね多く激切なり。若し激切ならずんば、則ち人主の心を起こす能わず。激切なれば即ち訕謗に似たり。惟だ陛下、其の可否を詳らかにせよ」と。太宗曰く、「公に非ずんば能く此を道う者無し」と。徳参に帛二十段を賜わしむ。
現代語訳
貞観八年、陝県の丞である皇甫徳参が上書して、太宗の意に逆らった。太宗はこれを誹謗と受け取った。侍中の魏徴が進言して言った。「昔、賈誼は漢の文帝に上書して、『声を上げて泣くべきことが一つ、長く嘆息すべきことが六つある』と述べました。古来、上書というものは、おおむね激しく切実です。もし激しくなければ、君主の心を動かすことはできません。激しければ、誹謗に似てきます。ただ陛下、その可否を詳しくお考えください」。太宗は言った。「あなたでなければ、こう言える者はいない」。そして皇甫徳参に絹二十段を賜った。
解説
この章句が説くこと
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貞観政要・直諫貞観五年、持書侍御史権万紀・侍御史李仁発、倶に告訐(こくけつ)譖毀(しんき)を以て、数(しばしば)引見を蒙る。心に任せて弾射し、其の欺罔を肆(ほしいまま)にす。上をして震怒せしめ、臣下は以て自ら安んずる無し。内外は其の不可なるを知るも、能く論諍する莫し。給事中魏徴、正色して之を奏して曰く、「権万紀・李仁発は並びに是れ小人。大体を識らず。譖毀を以て是と為し、告訐を以て直と為す。凡そ弾射する所は、皆な罪有るに非ず。陛下は其の短ずる所を掩い、其の一切を収む。乃ち其の奸計を騁(は)せ、下に附き上を罔(あざむ)き、多く無礼を行い、以て強直の名を取る。房玄齢を誣(し)い、張亮を斥退す。粛厲する所無く、徒らに聖明を損なう。道路の人、皆な謗議を興す。臣、伏して聖心を度るに、必ずしも謀慮深長にして、棟梁の任を委ぬべしと為さざらん。将に其の避忌する所無きを以て、群臣を警厲せんと欲するならん。若し回邪を信狎せば、猶お小を以て大を謀るべからず。群臣は素より矯偽無きに、空しく臣下をして離心せしむ。玄齢・亮の徒を以てすら、猶お其の枉直を伸ぶるを得ず。其の余の疏賤は、孰か能く其の欺罔を免れんや。伏して願わくは陛下、意を留めて再び思え。二人を駆使してより以来、一の弘益有らば、臣は即ち斧鉞に甘心し、不忠の罪を受けん。陛下は縦(たと)い未だ善を挙げて徳を崇くする能わずとも、豈に奸を進めて自ら損なうべけんや」と。太宗欣然として之を納れ、徴に絹五百匹を賜う。其の万紀は又た奸状漸く露わる。仁発も亦た解黜せらる。万紀は連州司馬に貶せらる。朝廷は咸な相い慶賀す。
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