貞観政要 / 納諫
太宗有一駿馬,特愛之,恒於宮中養飼,無病而暴死。太宗怒養馬宮人,將殺之。皇後諫曰:「昔齊景公以馬死殺人,晏子請數其罪云:『爾養馬而死,爾罪一也。使公以馬殺人,百姓聞之,必怨吾君,爾罪二也。諸侯聞之,必輕吾國,爾罪三也。』公乃釋罪。陛下嘗讀書見此事,豈忘之邪?」太宗意乃解。又謂房玄齡曰,皇後庶事相啟沃,極有利益爾。
新字:太宗有一駿馬,特愛之,恒於宮中養飼,無病而暴死。太宗怒養馬宮人,将殺之。皇後諫曰:「昔斉景公以馬死殺人,晏子請数其罪云:『爾養馬而死,爾罪一也。使公以馬殺人,百姓聞之,必怨吾君,爾罪二也。諸侯聞之,必軽吾国,爾罪三也。』公乃釈罪。陛下嘗読書見此事,豈忘之邪?」太宗意乃解。又謂房玄齢曰,皇後庶事相啓沃,極有利益爾。
書き下し
太宗に一の駿馬有り。特に之を愛す。恒に宮中に養飼す。病無くして暴かに死す。太宗は馬を養う宮人を怒り、将に之を殺さんとす。皇后諫めて曰く、「昔、斉の景公は馬の死するを以て人を殺す。晏子は請いて其の罪を数えて云う、『爾は馬を養いて死なしむ。爾の罪の一なり。公をして馬を以て人を殺さしむ。百姓之を聞かば、必ず吾が君を怨まん。爾の罪の二なり。諸侯之を聞かば、必ず吾が国を軽んぜん。爾の罪の三なり』と。公乃ち罪を釈(ゆる)せり。陛下は嘗て書を読みて此の事を見たり。豈に之を忘れんや」と。太宗の意乃ち解く。又た房玄齢に謂いて曰く、皇后の庶事に相い啓沃するは、極めて利益有るのみ、と。
現代語訳
太宗に一頭の駿馬があり、特に可愛がって、いつも宮中で飼っていた。ところが病気でもないのに突然死んだ。太宗は馬の世話をしていた宮人に怒り、殺そうとした。皇后が諫めて言った。「昔、斉の景公が馬が死んだことで人を殺そうとした時、晏子が願い出て、その罪を数え上げました。『お前は馬を養いながら死なせた。罪の一つ目だ。主君に馬のことで人を殺させた。民がこれを聞けば、必ず我が君を怨むだろう。罪の二つ目だ。諸侯がこれを聞けば、必ず我が国を軽んじるだろう。罪の三つ目だ』と。景公はそれで罪を許しました。陛下はかつて書を読んで、この話をご覧になったはずです。どうしてお忘れになったのですか」。太宗の怒りは、それで解けた。そして房玄齢に言った。皇后が何事につけ助言してくれるのは、まことに大きな利益だ、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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貞観政要・納諫貞観の初め、太宗黄門侍郎王珪と宴語す。時に美人の側に侍する有り。本と廬江王瑗の姫なり。瑗敗れ、籍没して宮に入る。太宗珪に指示して曰く、「廬江は不道にして、賊して其の夫を殺し、其の室を納る。暴虐の甚だしき、何ぞ亡びざる者有らんや」と。珪席を避けて曰く、「陛下は廬江の之を取るを以て是と為すか、非と為すか」と。太宗曰く、「安くんぞ人を殺して其の妻を取るもの有らんや。卿乃ち朕に是非を問う。何ぞや」と。珪対えて曰く、「臣は『管子』に聞く、『斉の桓公、郭国に之(ゆ)き、其の父老に問いて曰く「郭は何の故に亡びたるか」と。父老曰く「其の善を善しとして悪を悪(にく)むを以てなり」と。桓公曰く「子の言の若くんば、乃ち賢君なり。何ぞ亡ぶるに至らんや」と。父老曰く「然らず。郭君は善を善しとして用うる能わず、悪を悪みて去る能わず。亡ぶる所以なり」と』と。今此の婦人は尚お左右に在り。臣窃かに以為(おも)えらく、聖心は之を是とすと。陛下若し以て非と為さば、所謂る悪を知りて去らざるなり」と。太宗大いに悦び、称して至善と為し、遽かに令して美人を其の親族に還さしむ。
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貞観政要・納諫太宗嘗て苑西監穆裕を怒り、朝堂に於て之を斬らんことを命ず。時に高宗は皇太子と為る。遽かに顔を犯して諫を進む。太宗の意乃ち解く。司徒長孫無忌曰く、「古より太子の諫むるは、或いは間に乗じて従容として言う。今、陛下は天威の怒りを発し、太子は顔を犯すの諫を申(の)ぶ。誠に古今未だ有らざるなり」と。太宗曰く、「夫れ人は久しく相与に処れば、自然に染習す。朕の天下を御してより、心を虚しくして正直なり。即ち魏徴有りて朝夕に諫を進む。徴の亡じてより、劉洎・岑文本・馬周・褚遂良等之に継ぐ。皇太子は幼くして朕の膝前に在り。朕の心に諫むる者を説(よろこ)ぶを見る毎に、因りて染みて以て性を成す。故に今日の諫有り」と。
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貞観政要・求諫貞観五年、太宗房玄齢等に謂いて曰く、「古より帝王は多く情に任せて喜怒す。喜べば則ち濫りに無功を賞し、怒れば則ち濫りに無罪を殺す。是を以て天下喪乱す。此に由らざる莫し。朕は今、夙夜に未だ嘗て此を以て心と為さずんばあらず。恒に公等の情を尽くして極諫せんことを欲す。公等も亦た須らく人の諫語を受くべし。豈に人の言、己が意に同じからざるを以て、便ち即ち短を護りて納れざるを得んや。若し諫を受くる能わずんば、安(いず)くんぞ能く人を諫めんや」と。
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貞観政要・畋猟貞観十一年、太宗侍臣に謂いて曰く、「朕は昨、懐州に往く。封事を上る者有りて云う、『何為れぞ恒に山東の衆丁を苑内の営造に差(つか)わすや。即日の徭役、隋時に下らざるに似たり。懐・洛以東、残人は其の命に堪えず。而して田猟なお数(しばしば)なり。驕逸の主なり。今者、復た懐州に来たりて田猟す。忠諫は復た洛陽に至らざらん』と。四時に蒐田するは、既に是れ帝王の常礼なり。今日の懐州は、秋毫も百姓に干(おか)さず。凡そ書を上りて諫正するは、自ら常準有り。臣は詞有るを貴び、主は能く改むるを貴ぶ。斯くの如き詆毀(ていき)は、咒詛(じゅそ)に似たる有り」と。侍中魏徴奏して称す、「国家は直言の路を開く。所以に封事を上る者は尤も多し。陛下は親ら自ら披閲す。或いは臣の言の取るべきを冀(こいねが)う。所以に僥幸の士は其の醜を肆にするを得たり。臣の其の君を諫むるは、甚だ折衷を須(もち)う。従容として諷諫すべし。漢の元帝、嘗て酎を以て宗廟を祭る。便門を出で、楼船に御せんとす。御史大夫薛広徳は乗輿に当たり、冠を免(ぬ)ぎて曰く、『宜しく橋に従うべし。陛下、臣の言を聴かずんば、臣は自刎して、頸血を以て車輪を汚さん。陛下は廟に入らざらん』と。元帝は悦ばず。光禄卿張猛進みて曰く、『臣聞く、主聖なれば臣直し、と。船に乗るは危うく、橋に就くは安し。聖主は危うきに乗らず。広徳の言は聴くべし』と。元帝曰く、『人を暁すは当に是くの如くなるべきか』と。乃ち橋に従う。此を以て言えば、張猛は直臣の君を諫むる者と謂うべし」と。太宗大いに悦ぶ。
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貞観政要・政体貞観六年、太宗侍臣に謂いて曰く、「古人云く、『危うくして持せず、顛(たお)れて扶(たす)けずんば、焉くんぞ彼の相を用いん』と。君臣の義、忠を尽くし匡救せざるを得んや。朕嘗て書を読み、桀の関龍逄(かんりょうほう)を殺し、漢の黽錯(ちょうそ)を誅するを見る。未だ嘗て書を廃して嘆息せずんばあらず。公等但だ能く正詞直諫し、政教を裨益(ひえき)せば、終に顔を犯し旨に忤(さか)らうを以て、妄りに誅責有らざらん。朕、比来(ひらい)朝に臨みて断決するに、亦た律令に乖(そむ)く者有り。公等は以て小事と為し、遂に執言せず。凡そ大事は皆な小事より起こる。小事論ぜざれば、大事又た将に救うべからざらんとす。社稷の傾危、此に由らざる莫し。隋主は残暴にして、身は匹夫の手に死す。率土の蒼生、嗟痛(さつう)を聞くこと罕(まれ)なり。公等は朕の為に隋氏滅亡の事を思え。朕は公等の為に龍逄・晁錯の誅を思わん。君臣保全せば、豈に美ならずや」と。
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貞観政要・求諫太常卿韋挺は嘗て上疏して得失を陳ぶ。太宗書を賜いて曰く、「上る所の意見は、極めて是れ讜言なり。辞理観るべし。甚だ以て慰と為す。昔、斉境の難、夷吾(管仲)に射鉤の罪有り。蒲城の役、勃鞮(ぼつてい)は袂を斬るの仇と為る。而も小白(桓公)は以て疑いと為さず。重耳(文公)は之を待つこと旧の若し。豈に各々主に非ざるに吠え、志は二無きに在るに非ずや。卿の深誠、斯(ここ)に見(あら)わる。若し能く此の節を克く全うせば、則ち永く令名を保たん。如し其れ之に怠らば、惜しむべからざらんや。終始を勉励し、範を将来に垂れよ。当に後の今を視ること、亦た猶お今の古を視るがごとくならしむべし。亦た美ならずや。朕は比(このごろ)其の過ちを聞かず、未だ其の闕(けつ)を睹(み)ず。忠懇を竭くし、数(しばしば)嘉言を進め、用て朕の懐に沃(そそ)ぐに頼る。一に何ぞ道うべけんや」と。
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