貞観政要 / 求諫
貞觀元年,太宗謂侍臣曰:「正主任邪臣,不能致理,正臣事邪主,亦不能致理。惟君臣相遇,有同魚水,則海內可安。朕雖不明,幸諸公數相匡救,冀憑直言鯁議,致天下太平。」諫議大夫王珪對曰:「臣聞木從繩則正,後從諫則聖。是故古者聖主必有爭臣七人,言而不用,則相繼以死。陛下開聖慮,納芻蕘,愚臣處不諱之朝,實願罄其狂瞽。」太宗稱善,詔令自是宰相入內平章國計,必使諫官隨入,預聞政事。有所開說,必虛己納之。
新字:貞観元年,太宗謂侍臣曰:「正主任邪臣,不能致理,正臣事邪主,亦不能致理。惟君臣相遇,有同魚水,則海内可安。朕雖不明,幸諸公数相匡救,冀憑直言鯁議,致天下太平。」諫議大夫王珪対曰:「臣聞木従縄則正,後従諫則聖。是故古者聖主必有争臣七人,言而不用,則相継以死。陛下開聖慮,納芻蕘,愚臣処不諱之朝,実願罄其狂瞽。」太宗称善,詔令自是宰相入内平章国計,必使諫官随入,預聞政事。有所開説,必虚己納之。
書き下し
貞観元年、太宗侍臣に謂いて曰く、「正主が邪臣に任ずれば、理を致す能わず。正臣が邪主に事(つか)うるも、亦た理を致す能わず。惟だ君臣相遇うこと、魚水を同じくする有らば、則ち海内安んずべし。朕は明ならずと雖も、幸いに諸公数(しばしば)相匡救す。直言鯁議(こうぎ)に憑(よ)りて、天下太平を致さんことを冀う」と。諫議大夫王珪対えて曰く、「臣聞く、木は縄に従えば則ち正しく、後(きみ)は諫に従えば則ち聖なり、と。是の故に古者、聖主には必ず争臣七人有り。言いて用いられざれば、則ち相継いで死を以てす。陛下は聖慮を開き、芻蕘(すうじょう)を納る。愚臣は不諱の朝に処り、実に其の狂瞽(きょうこ)を罄(つ)くさんことを願う」と。太宗善しと称す。詔して令す、是より宰相の内に入りて国計を平章せば、必ず諫官をして随いて入り、預め政事を聞かしむ。開説する所有らば、必ず己を虚しくして之を納れよ、と。
現代語訳
貞観元年、太宗が側近の臣に言った。「正しい君主が邪な臣を用いれば、治めることはできない。正しい臣が邪な君主に仕えても、やはり治めることはできない。ただ君臣が出会って、魚と水のように一体となれば、天下は安らかになる。私は聡明ではないが、幸いにも諸公がしばしば正し救ってくれる。まっすぐな言葉と骨のある議論によって、天下太平を実現したい」。諫議大夫の王珪が答えた。「臣はこう聞いております。木は墨縄に従えば真っ直ぐになり、君主は諫言に従えば聖となる、と。だから昔、聖なる君主には必ず七人の諫臣がいました。言って用いられなければ、次々と死をもって諫めたのです。陛下は聖なる心を開き、草刈りや木こりの言葉まで受け入れられる。愚かな臣は、忌憚のない朝廷にいます。まことに、狂った盲人のような愚言を尽くしたいと願います」。太宗はそれをよしとした。そして詔を出した。今後、宰相が宮中に入って国政を審議する時は、必ず諫官を同行させ、あらかじめ政事を聞かせよ。意見があれば、必ず心を虚しくして受け入れよ、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公十五年 韓原の戦い壬戌、韓原に戰ふ。晉の戎馬濘に還りて止まる。公慶鄭を號ぶ。慶鄭曰く、「諫に愎り卜に違ふ、固より敗を是れ求む、又何ぞ逃れん」と。遂に之を去る。梁由靡韓簡を御し、虢射右と為り、秦伯を輅へ、將に之を止めんとす。鄭公を救ふを以て之を誤らしめ、遂に秦伯を失ふ。秦晉侯を獲て以て歸る。晉の大夫首を反し舍を拔きて、之に從ふ。秦伯使ひして辭せしめて曰く、「二三子何ぞ其れ慼へるや。寡人の君に從ひて西するや、亦た晉の妖夢を是れ踐むのみ、豈に敢へて以て至らんや」と。晉の大夫三拜稽首して曰く、「君は后土を履みて皇天を戴く。皇天后土、實に君の言を聞く、群臣敢へて下風に在らん」と。穆姬晉侯の將に至らんとするを聞き、大子罃・弘と女簡・璧とを以て、臺に登りて薪を履む。免服衰絰を以て逆へしめ、且つ告げしめて曰く、「上天災を降し、我が兩君をして玉帛を以て相見えずして、戎を興すを以てせしむ。若し晉君朝に以て入らば、則ち婢子夕べに以て死せん。夕べに以て入らば、則ち朝に以て死せん。唯だ君之を裁け」と。乃ち諸を靈臺に舍らしむ。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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史記 宋微子世家微子開は、殷の帝乙の首子にして帝紂の庶兄なり。紂既に立ち、明らかならず、政に淫乱す。微子数々諫むるも、紂聴かず。祖伊周の西伯昌の徳を修め、黎国を滅ぼすを以て、禍の至らんことを懼れ、以て紂に告ぐるに及ぶ。紂曰く、「我が生は命天に在る有らずや。是れ何をか能く為さん」と。是に於て微子、紂の終に諫むべからざるを度り、之に死せんと欲し、及び去らんとするも、未だ自ら決すること能はず。乃ち太師・少師に問ひて曰く、「殷は治政有らず、四方を治めず。我が祖遂に上に陳ぶ。紂酒に沈湎し、婦人是れ用ひ、湯の徳を下に乱敗す。殷既に小大好んで草窃姦宄し、卿士師師度に非ず、皆罪辜有り、乃ち維れ獲ること无し。小民乃ち并び興り、相敵讎と為る。今殷其れ典喪へり。水を渉るに津涯无きが若し。殷遂に喪ひ、越に今に至る」と。曰く、「太師、少師、我其れ発して出で往かんか。吾が家喪に保たんか。今女故无くして予に告ぐ。顛躋(てんせい)せば、之を如何せん」と。太師若(かく)のごとく曰く、「王子、天篤く菑(わざはひ)を下して殷国を亡ぼす。乃ち畏るべきを畏れず、老長を用ひず。今殷の民乃ち神祇の祀を陋淫す。今誠に国を治むるを得ば、国治まりて身死すとも恨みず。死を為して、終に治むるを得ずんば、去るに如かず」と。遂に亡ぐ。箕子は、紂の親戚なり。紂始めて象箸を為る。箕子嘆じて曰く、「彼象箸を為らば、必ず玉桮を為らん。桮を為らば、則ち必ず遠方の珍怪の物を思ひて之を御せん。輿馬宮室の漸、此より始まり、振ふべからず」と。紂淫泆を為す。箕子諫むるも、聴かず。人或いは曰く、「以て去るべし」と。箕子曰く、「人臣為りて諫めて聴かれずして去るは、是れ君の悪を彰らかにして自ら民に説(よろこ)ばるるなり。吾為すに忍びざるなり」と。乃ち髪を被り詳狂して奴と為る。遂に隠れて琴を鼓きて以て自ら悲しむ。故に之を伝へて箕子操と曰ふ。王子比干は、亦た紂の親戚なり。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 楽書上は朝廷より、下は人民に至るまで、以て歓喜を接し、殷勤を合するを得、此の和説に非ずんば通ぜず、解沢流れず、亦各々一世の化、時を度るの楽なり、何ぞ必ずしも華山の騄耳にして而る後に遠きを行かんや」と。二世之を然りとす。高祖、沛を過りて三侯の章を詩し、小児をして之を歌はしむ。高祖崩じ、沛をして四時に宗廟に歌舞するを得しむ。孝恵・孝文・孝景は増更する所無く、楽府に於いて常を習ひ旧を肄ふのみ。今上即位するに至り、十九章を作り、侍中李延年をして其の声を次序せしめ、拝して協律都尉と為す。一経に通ずるの士も独り其の辞を知る能はず、皆五経の家を集会し、相与に共に講習して之を読み、乃ち能く其の意を通知す、多く爾雅の文なり。漢家常に正月上辛を以て太一を甘泉に祠り、昏時を以て夜祠り、明に到りて終はる。常に流星の祠壇の上を経る有り。僮男僮女七十人をして俱に歌はしむ。春は青陽を歌ひ、夏は朱明を歌ひ、秋は西暤を歌ひ、冬は玄冥を歌ふ。世に多く有り、故に論ぜず。又嘗て神馬を渥洼の水中に得て、復た次して以て太一の歌と為す。歌曲に曰く、「太一貢ぎて天馬下る、赤汗に霑ひて沫赭を流す。騁せて容与として万里を跇ゆ、今安んぞ匹せん、龍を友と為す」と。後に大宛を伐ちて千里の馬を得、馬の名は蒲梢、次して作りて以て歌と為す。歌詩に曰く、「天馬来たる、西極よりす。万里を経て有徳に帰す。霊威を承けて外国を降し、流沙を渉りて四夷服す」と。中尉汲黯進みて曰く、「凡そ王者の楽を作るは、上は以て祖宗を承け、下は以て兆民を化す。今陛下馬を得て、詩して以て歌と為し、宗廟に協す、先帝百姓豈に能く其の音を知らんや」と。上黙然として説ばず。丞相公孫弘曰く、「黯は聖制を誹謗す、当に族すべし」と。凡そ音の起こるは、人心より生ずるなり。人心の動くは、物之をして然らしむるなり。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。
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