貞観政要 / 任賢
杜如晦,京兆萬年人也。武德初,為秦王府兵曹參軍,俄遷陜州總管府長史。時府中多英俊,被外遷者眾,太宗患之。記室房玄齡曰:「府僚去者雖多,蓋不足惜。杜如晦聰明識達,王佐才也。若大王守藩端拱,無所用之;必欲經營四方,非此人莫可。」太宗自此彌加禮重,寄以心腹,遂奏為府屬,常參謀帷幄。時軍國多事,剖斷如流,深為時輩所服。累除天策府從事中郎,兼文學館學士。隱太子之敗,如晦與玄齡功第一,遷拜太子右庶子。俄遷兵部尚書,進封蔡國公,實封一千三百戶。貞觀二年,以本官檢校侍中。三年,拜尚書右僕射,兼知吏部選事。仍與房玄齡共掌朝政。至於臺閣規模,典章文物,皆二人所定,甚獲當時之譽,時稱房、杜焉。
新字:杜如晦,京兆万年人也。武徳初,為秦王府兵曹参軍,俄遷陜州総管府長史。時府中多英俊,被外遷者眾,太宗患之。記室房玄齡曰:「府僚去者雖多,蓋不足惜。杜如晦聰明識達,王佐才也。若大王守藩端拱,無所用之;必欲経営四方,非此人莫可。」太宗自此弥加礼重,寄以心腹,遂奏為府属,常参謀帷幄。時軍国多事,剖断如流,深為時輩所服。累除天策府従事中郎,兼文學館學士。隠太子之敗,如晦与玄齡功第一,遷拝太子右庶子。俄遷兵部尚書,進封蔡国公,実封一千三百戶。貞観二年,以本官検校侍中。三年,拝尚書右僕射,兼知吏部選事。仍与房玄齡共掌朝政。至於台閣規模,典章文物,皆二人所定,甚獲当時之誉,時稱房、杜焉。
書き下し
杜如晦は、京兆万年の人なり。武徳の初め、秦王府兵曹参軍と為り、俄(にわ)かに陝州総管府長史に遷る。時に府中に英俊多く、外に遷さるる者衆し。太宗之を患う。記室房玄齢曰く、「府僚の去る者多しと雖も、蓋し惜しむに足らず。杜如晦は聡明識達、王佐の才なり。若し大王藩を守りて端拱せば、之を用うる所無し。必ず四方を経営せんと欲せば、此の人に非ざれば可なる莫し」と。太宗此より弥ます礼重を加え、寄するに心腹を以てす。遂に奏して府属と為し、常に帷幄に参謀せしむ。時に軍国事多く、剖断すること流るるが如し。深く時輩の服する所と為る。累ねて天策府従事中郎、兼ねて文学館学士を除せらる。隠太子の敗るるや、如晦と玄齢と功第一なり。遷りて太子右庶子に拝せらる。俄かに兵部尚書に遷り、進みて蔡国公に封ぜられ、実封一千三百戸。貞観二年、本官を以て侍中を検校す。三年、尚書右僕射に拝せられ、兼ねて吏部の選事を知る。仍お房玄齢と共に朝政を掌る。台閣の規模、典章文物に至りては、皆な二人の定むる所なり。甚だ当時の誉れを獲、時に房・杜と称せらる。
現代語訳
杜如晦は、京兆万年の人である。武徳の初め、秦王府の兵曹参軍となり、まもなく陝州総管府の長史に移された。当時、秦王府には優れた人材が多かったが、外へ転出させられる者も多く、太宗はそれを憂えていた。記室の房玄齢が言った。「府の僚属が去る者は多いですが、惜しむに足りません。しかし杜如晦は聡明で見識があり、王を補佐する才です。もし大王が封国を守って何もせずにいるなら、彼を用いる場面はありません。しかし四方を経営しようとされるなら、この人でなければ務まりません」。太宗はこれ以来、ますます礼を厚くし、腹心として頼りにした。上奏して府の属官とし、常に軍議に参謀させた。当時、軍事も国政も事が多かったが、如晦は流れるように裁断した。同輩たちは深く心服した。次々と天策府従事中郎、文学館学士を授けられた。隠太子が敗れた時、如晦と玄齢の功績が第一とされた。太子右庶子に任じられ、まもなく兵部尚書に移り、蔡国公に封じられ、実封一千三百戸。貞観二年、本官のまま侍中を兼ねた。三年、尚書右僕射に任じられ、吏部の人事を兼ね知った。房玄齢とともに朝政を掌握した。政府機構の規模、制度や文物に至るまで、みなこの二人が定めた。当時の名声を大いに得て、世に『房・杜』と並び称された。