貞観政要 / 政体
貞觀九年,太宗謂侍臣曰:「往昔初平京師,宮中美女珍玩,無院不滿。煬帝意猶不足,征求無已,兼東西征討,窮兵黷武,百姓不堪,遂致亡滅。此皆朕所目見。故夙夜孜孜,惟欲清凈,使天下無事。遂得徭役不興,年穀豐稔,百姓安樂。夫治國猶如栽樹,本根不搖,則枝葉茂榮。君能清凈,百姓何得不安樂乎?」
新字:貞観九年,太宗謂侍臣曰:「往昔初平京師,宮中美女珍玩,無院不満。煬帝意猶不足,征求無已,兼東西征討,窮兵黷武,百姓不堪,遂致亡滅。此皆朕所目見。故夙夜孜孜,惟欲清浄,使天下無事。遂得徭役不興,年穀豊稔,百姓安楽。夫治国猶如栽樹,本根不揺,則枝葉茂栄。君能清浄,百姓何得不安楽乎?」
書き下し
貞観九年、太宗侍臣に謂いて曰く、「往昔、初めて京師を平らぐるに、宮中の美女珍玩、院として満たざる無し。煬帝の意は猶お足らずとし、征求已(や)む無し。兼ねて東西に征討し、兵を窮め武を黷(けが)す。百姓堪えず、遂に亡滅を致す。此れ皆な朕の目に見る所なり。故に夙夜孜孜(しし)として、惟だ清浄を欲し、天下をして事無からしむ。遂に徭役興らず、年穀豊稔(ほうじん)、百姓安楽なるを得たり。夫れ国を治むるは猶お樹を栽(う)うるが如し。本根揺るがざれば、則ち枝葉茂栄す。君能く清浄なれば、百姓何ぞ安楽ならざるを得んや」と。
現代語訳
貞観九年、太宗が側近の臣に言った。「昔、初めて長安を平定した時、宮中には美女や珍宝が、どの部屋にも満ちあふれていた。それでも煬帝の心は満足せず、際限なく取り立てた。その上、東西に討伐を重ね、兵を使い果たし武を汚した。民は耐えられず、ついに滅亡を招いた。これらはみな、私がこの目で見たことだ。だから朝から晩まで努め、ただ清らかで静かであることを求め、天下に事がないようにしている。それで労役は起こらず、穀物は豊かに実り、民は安らかに暮らせるようになった。国を治めるのは、木を植えるようなものだ。根が揺るがなければ、枝葉は茂り栄える。君主が清らかで静かでいれば、民が安楽にならないはずがない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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貞観政要・行幸貞観の初め、太宗侍臣に謂いて曰く、「隋の煬帝は広く宮室を造り、以て行幸を肆(ほしいまま)にす。西京より東都に至るまで、離宮別館は、道次に相い望む。乃ち并州・涿郡に至るまで、悉く然らざる無し。馳道は皆な広きこと数百歩。樹を種えて以て其の傍を飾る。人力は堪えず、相い聚まりて賊と為る。末年に逮(およ)び至りて、尺土一人も、復た己が有に非ず。此を以て之を観れば、宮室を広くし、行幸を好むは、竟に何の益か有らん。此れ皆な朕が耳の聞く所、目の見る所なり。深く以て自ら誡む。故に敢えて軽々しく人力を用いず。惟だ百姓をして安静ならしめ、怨叛有らざらしむるのみ」と。
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貞観政要・務農貞観二年、太宗侍臣に謂いて曰く、「凡そ事は皆な須らく本を務むべし。国は人を以て本と為し、人は衣食を以て本と為し、凡そ衣食を営むは、時を失わざるを以て本と為す。夫れ時を失わざる者は、人君の簡静なるに在りて乃ち致すべきのみ。若し兵戈屢々動き、土木息(や)まずして、農時を奪わざらんと欲するも、其れ得べけんや」と。王珪曰く、「昔、秦皇・漢武は、外は則ち兵戈を窮極し、内は則ち宮室を崇侈す。人力既に竭き、禍難遂に興る。彼は豈に人を安んぜんと欲せざらんや。人を安んずる所以の道を失えばなり。亡隋の轍、殷鑑遠からず。陛下は親しく其の弊を承け、之を易(か)うる所以を知る。然れども初めに在りては則ち易く、之を終うるは実に難し。伏して願わくは終わりを慎むこと始めの如くせば、方に其の美を尽くさん」と。太宗曰く、「公の言は是なり。夫れ人を安んじ国を寧んずるは、惟だ君に在り。君無為なれば則ち人楽しみ、君多欲なれば則ち人苦しむ。朕の情を抑え欲を損じ、己に克ちて自ら励ます所以なり」と。
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貞観政要・政体貞観五年、太宗侍臣に謂いて曰く、「国を治むるは病を養うと異なる無きなり。病人癒ゆるを覚ゆれば、弥(いよい)よ須らく将護すべし。若し触犯する有らば、必ず殞命(いんめい)に至る。国を治むるも亦た然り。天下稍(やや)安ければ、尤も須らく兢慎(きょうしん)すべし。若し便ち驕逸せば、必ず喪敗に至らん。今、天下の安危は、之を朕に系(か)く。故に日に一日を慎み、休すと雖も休する勿かれ。然れども耳目股肱は、卿輩に寄す。既に義は一体に均し。宜しく力を協(あわ)せ心を同じくすべし。事に不安有らば、極言して隠す無かれ。儻(も)し君臣相疑わば、肝膈(かんかく)を脩め尽くす能わず。実に国の大害為(た)り」と。
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貞観政要・行幸貞観十一年、太宗洛陽宮に幸し、舟を積翠池に泛(うか)ぶ。顧みて侍臣に謂いて曰く、「此の宮観台沼は並びに煬帝の為す所なり。所謂る生民を駆役し、此の雕麗を窮む。復た此の一都を守る能わず、万民を以て慮と為さず。行幸を好みて息(や)まず。民の堪えざる所なり。昔、詩人云う、『何の草か黄ならざる。何の日か行かざる』『小東大東、杼軸(ちょじく)其れ空し』と。正に此を謂うなり。遂に天下をして怨叛せしめ、身は死し国は滅ぶ。今、其の宮苑は尽く我が有と為る。隋氏の傾覆する者は、豈に惟だ其の君の無道なるのみならんや。亦た股肱の良無きに由る。宇文述・虞世基・裴蘊の徒の如きは、高官に居り、厚禄を食み、人の委任を受くるも、惟だ諂佞を行い、聡明を蔽塞す。其の国をして危うき無からしめんと欲するも、得べからざるなり」と。司空長孫無忌奏言す、「隋氏の亡ぶるは、其の君は則ち忠讜の言を杜塞し、臣は則ち苟も自ら全うせんと欲す。左右に過ち有るも、初めより糾挙せず。寇盗滋蔓するも、亦た実に陳べず。此に拠らば、即ち惟だ天道のみならず、実に君臣の相い匡弼せざるに由る」と。太宗曰く、「朕と卿等と其の余弊を承く。惟だ須らく道を弘め風を移し、万世をして永く頼らしむべし」と。
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貞観政要・君道貞観の初め、太宗侍臣に謂いて曰く、「君為(た)るの道は、必ず須(すべか)らく先ず百姓を存すべし。若し百姓を損じて以て其の身に奉ぜば、猶お股を割きて以て腹に啖(くら)わすがごとし。腹飽きて身斃(たお)る。若し天下を安んぜんとせば、必ず須らく先ず其の身を正すべし。未だ身正しくして影曲がり、上治まりて下乱るる者は有らず。朕は毎(つね)に思う、其の身を傷(そこな)う者は外物に在らず、皆な嗜欲に由りて以て其の禍を成す、と。若し滋味に躭嗜(たんし)し、声色に玩悦(がんえつ)せば、欲する所既に多く、損ずる所も亦た大なり。既に政事を妨げ、又た生民を擾(みだ)す。且つ復た一の非理の言を出ださば、万姓之が為に解体し、怨讟(えんとく)既に作(おこ)り、離叛も亦た興らん。朕は毎に此を思い、敢えて縦逸せず」と。諫議大夫魏徴対えて曰く、「古者(いにしえ)聖哲の主は、皆な亦た近く諸(これ)を身に取る。故に能く遠く諸を物に体す。昔、楚は詹何(せんか)を聘し、其の国を理むるの要を問う。詹何は対うるに修身の術を以てす。楚王又た問う、国を理むること何如、と。詹何曰く、『未だ身理まりて国乱るる者を聞かず』と。陛下の明らかにする所、実に古義に同じ」と。
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貞観政要・政体貞観十九年、太宗侍臣に謂いて曰く、「朕、古来の帝王を観るに、驕矜(きょうきょう)にして敗を取る者は、勝(あ)げて数うべからず。遠く古昔を述ぶる能わず。晋の武の呉を平らげ、隋の文の陳を伐ちて已後の如きに至りては、心は逾(いよい)よ驕奢にして、自ら諸己(もろもろ)を矜(ほこ)る。臣下は復た敢えて言わず。政道は茲(これ)に因りて弛紊(しびん)す。朕、突厥を平定し、高麗を破りて已後、兼ねて鉄勒(てつろく)を并(あわ)せ、沙漠を席巻して以て州県と為す。夷狄は遠く服し、声教は益ます広し。朕は驕矜を懐かんことを恐れ、恒に自ら抑折し、日旰(く)れて食し、坐して以て晨(あした)を待つ。毎に臣下に讜言(とうげん)直諫の、以て政教に施すべき者有るを思い、当に目を拭いて師友を以て之を待つべし。此の如くんば、時康く道泰(やす)きに庶幾(ちか)からんのみ」と。
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