貞観政要 / 政体
貞觀八年,太宗謂侍臣曰:「隋時百姓縱有財物,豈得保此?自朕有天下已來,存心撫養,無有所科差,人人皆得營生,守其資財,即朕所賜。向使朕科喚不已,雖數資賞賜,亦不如不得。」魏徵對曰:「堯、舜在上,百姓亦云『耕田而食,鑿井而飲』,含哺鼓腹,而云『帝何力』於其間矣。今陛下如此含養,百姓可謂日用而不知。」又奏稱:「晉文公出田,逐獸於碭,入大澤,迷不知所出。其中有漁者,文公謂曰:『我,若君也,道將安出?我且厚賜若』漁者曰:『臣願有獻。』文公曰:『出澤而受之。』於是送出澤。文公曰:『今子之所欲教寡人者,何也?願受之。』漁者曰:『鴻鵠保河海,厭而徙之小澤,則有矰丸之憂。黿鼉保深淵,厭而出之淺渚,必有釣射之憂。今君逐獸碭,入至此,何行之太遠也?』文公曰:『善哉!』謂從者記漁者名。漁者曰:『君何以名?為君尊天事地,敬社稷,保四國,慈愛萬民,薄賦斂,輕租稅,臣亦與焉。君不尊天,不事地,不敬社稷,不固四海,外失禮於諸侯,內逆民心,一國流亡,漁者雖有厚賜,不得保也。』遂辭不受。」太宗曰:「卿言是也。」
新字:貞観八年,太宗謂侍臣曰:「隋時百姓縦有財物,豈得保此?自朕有天下已来,存心撫養,無有所科差,人人皆得営生,守其資財,即朕所賜。向使朕科喚不已,雖数資賞賜,亦不如不得。」魏徴対曰:「堯、舜在上,百姓亦云『耕田而食,鑿井而飲』,含哺鼓腹,而云『帝何力』於其間矣。今陛下如此含養,百姓可謂日用而不知。」又奏稱:「晉文公出田,逐獣於碭,入大沢,迷不知所出。其中有漁者,文公謂曰:『我,若君也,道将安出?我且厚賜若』漁者曰:『臣願有献。』文公曰:『出沢而受之。』於是送出沢。文公曰:『今子之所欲教寡人者,何也?願受之。』漁者曰:『鴻鵠保河海,厭而徙之小沢,則有矰丸之憂。黿鼉保深淵,厭而出之浅渚,必有釣射之憂。今君逐獣碭,入至此,何行之太遠也?』文公曰:『善哉!』謂従者記漁者名。漁者曰:『君何以名?為君尊天事地,敬社稷,保四国,慈愛万民,薄賦斂,輕租税,臣亦与焉。君不尊天,不事地,不敬社稷,不固四海,外失礼於諸侯,內逆民心,一国流亡,漁者雖有厚賜,不得保也。』遂辞不受。」太宗曰:「卿言是也。」
書き下し
貞観八年、太宗侍臣に謂いて曰く、「隋の時、百姓は縦(たと)い財物有るも、豈に此を保つを得んや。朕天下を有ちてより已来、心を存して撫養し、科差する所有る無し。人人皆な生を営むを得、其の資財を守る。即ち朕の賜う所なり。向(さき)に朕をして科喚(かかん)して已まざらしめば、数(しばしば)資賞賜すと雖も、亦た得ざるに如かず」と。魏徴対えて曰く、「堯・舜上に在り、百姓も亦た『田を耕して食らい、井を鑿(うが)ちて飲む』と云う。哺(ほ)を含み腹を鼓し、而して『帝何の力か』其の間に有らんと云えり。今、陛下は此の如く含養す。百姓は日に用いて知らずと謂うべし」と。又た奏して称す、「晋の文公出でて田(かり)し、獣を碭(とう)に逐い、大沢に入り、迷いて出づる所を知らず。其の中に漁者有り。文公之に謂いて曰く、『我は、若(なんじ)の君なり。道は将に安(いず)くにか出でん。我且つ厚く若に賜わん』と。漁者曰く、『臣は献ずること有らんことを願う』と。文公曰く、『沢を出でて之を受けん』と。是に於いて送りて沢を出づ。文公曰く、『今、子の寡人に教えんと欲する所の者は、何ぞや。願わくは之を受けん』と。漁者曰く、『鴻鵠(こうこく)は河海に保(よ)る。厭(あ)きて之を小沢に徙(うつ)せば、則ち矰丸(そうがん)の憂い有り。黿鼉(げんだ)は深淵に保る。厭きて之を浅渚に出ださば、必ず釣射の憂い有り。今、君は獣を碭に逐い、入りて此に至る。何ぞ行くことの太(はなは)だ遠きや』と。文公曰く、『善いかな』と。従者に謂いて漁者の名を記さしむ。漁者曰く、『君何ぞ名を以てせん。君の天を尊び地に事え、社稷を敬し、四国を保ち、万民を慈愛し、賦斂を薄くし、租税を軽くせんが為なれば、臣も亦た焉(ここ)に与(あずか)らん。君、天を尊ばず、地に事えず、社稷を敬せず、四海を固くせず、外は礼を諸侯に失い、内は民心に逆らわば、一国流亡せん。漁者は厚賜有りと雖も、保つを得ざるなり』と。遂に辞して受けず」と。太宗曰く、「卿の言は是なり」と。
現代語訳
貞観八年、太宗が側近の臣に言った。「隋の時代、民が財産を持っていたとしても、それを守れただろうか。私が天下を得てから、心を用いて民を養い、余計な取り立てをしていない。人はみな生活を営み、財産を守れている。それは私が与えたものだ。もし私が取り立てをやめなければ、たとえ何度も褒賞を与えたとしても、何も得ないほうがましだろう」。魏徴が答えた。「堯や舜が上にいた頃、民もまた『田を耕して食い、井戸を掘って飲む』と歌いました。口に食べ物を含み腹を叩いて、『帝の力など、どこにあるのか』と言ったのです。今、陛下はこのように養っておられる。民は日々その恩恵を受けながら、それを知らないと言うべきでしょう」。さらに奏上して言った。「晋の文公が狩りに出て、獣を追って大沢に入り、迷って出口が分からなくなりました。そこに漁師がいた。文公は言った。『私はお前の君主だ。道はどちらへ出るのか。厚く褒美をやろう』。漁師は『私は献上したいことがあります』と言った。文公は『沢を出てから受け取ろう』と言った。そこで漁師は送り出した。沢を出ると、文公は『さて、私に教えたいこととは何か。ぜひ聞かせてくれ』と言った。漁師は言った。『大鳥は河や海を頼りにしています。それに飽きて小さな沢に移れば、矢や弾の憂いに遭います。大亀やワニは深い淵を頼りにしています。それに飽きて浅瀬に出れば、必ず釣りや射られる憂いに遭います。今、君は獣を追ってここまで来られた。なんと遠くまで来られたことか』。文公は『見事だ』と言い、従者に漁師の名を記録させようとした。漁師は言った。『君よ、なぜ名前を記すのですか。君が天を尊び地に仕え、社稷を敬い、国を保ち、万民を慈しみ、税を軽くされるなら、私もその恩恵にあずかります。君が天を尊ばず、地に仕えず、社稷を敬わず、外は諸侯に礼を失い、内は民心に逆らえば、国は滅びます。漁師が厚い褒美をもらったところで、それを守ることはできません』。そして辞退して受け取らなかった」。太宗は「あなたの言葉は正しい」と言った。