貞観政要 / 政体
貞觀元年,太宗謂黃門侍郎王珪曰:「中書所出詔敕,頗有意見不同,或兼錯失而相正以否。元置中書、門下,本擬相防過誤。人之意見,每或不同,有所是非,本為公事。或有護己之短,忌聞其失,有是有非,銜以為怨。或有茍避私隙,相惜顏面,知非政事,遂即施行。難違一官之小情,頓為萬人之大弊。此實亡國之政,卿輩特須在意防也。隋日內外庶官,政以依違,而致禍亂,人多不能深思此理。當時皆謂禍不及身,面從背言,不以為患。後至大亂一起,家國俱喪,雖有脫身之人,縱不遭刑戮,皆辛苦僅免,甚為時論所貶黜。卿等特須滅私徇公,堅守直道,庶事相啟沃,勿上下雷同也。」
新字:貞観元年,太宗謂黄門侍郎王珪曰:「中書所出詔勅,頗有意見不同,或兼錯失而相正以否。元置中書、門下,本擬相防過誤。人之意見,毎或不同,有所是非,本為公事。或有護己之短,忌聞其失,有是有非,銜以為怨。或有茍避私隙,相惜顏面,知非政事,遂即施行。難違一官之小情,頓為万人之大弊。此実亡国之政,卿輩特須在意防也。隋日內外庶官,政以依違,而致禍乱,人多不能深思此理。当時皆謂禍不及身,面従背言,不以為患。後至大乱一起,家国俱喪,雖有脫身之人,縦不遭刑戮,皆辛苦僅免,甚為時論所貶黜。卿等特須滅私徇公,堅守直道,庶事相啟沃,勿上下雷同也。」
書き下し
貞観元年、太宗黄門侍郎王珪(おうけい)に謂いて曰く、「中書の出だす所の詔勅、頗(すこぶ)る意見の同じからざる有り。或いは兼ねて錯失ありて相正すや否や。元(もと)中書・門下を置くは、本と相過誤を防がんと擬(はか)るなり。人の意見は、毎(つね)に或いは同じからず。是非とする所有るは、本と公事の為なり。或いは己の短を護(まも)り、其の失を聞くを忌み、是有り非有るも、銜(ふく)みて以て怨みと為す有り。或いは苟(いやしく)も私隙(しげき)を避け、相顔面を惜しみ、政事に非ざるを知りて、遂に即ち施行する有り。一官の小情に違い難くして、頓(にわか)に万人の大弊と為る。此れ実に亡国の政なり。卿輩は特に須らく意を在(お)きて防ぐべきなり。隋の日、内外の庶官、政は依違(いい)を以てし、而して禍乱を致す。人多く深く此の理を思う能わず。当時皆な謂えらく、禍は身に及ばずと。面は従い背は言い、以て患いと為さず。後に大乱一たび起こるに至り、家国倶に喪う。身を脱するの人有りと雖も、縦(たと)い刑戮に遭わずとも、皆な辛苦して僅かに免れ、甚だ時論の貶黜(へんちゅつ)する所と為れり。卿等は特に須らく私を滅し公に徇(したが)い、堅く直道を守り、庶事は相啓沃し、上下雷同する勿かるべし」と。
現代語訳
貞観元年、太宗が黄門侍郎の王珪に言った。「中書省が出す詔勅には、しばしば意見の食い違いがある。あるいは誤りが含まれていて、互いに正し合うこともあるだろう。そもそも中書省と門下省を置いたのは、互いに過誤を防ぐためだ。人の意見は、いつも同じとは限らない。是非を論じるのは、もともと公務のためである。ところが、自分の欠点をかばい、失敗を指摘されるのを嫌い、正しくても間違っていても、それを根に持って怨みとする者がいる。あるいは、私的な軋轢を避け、互いの面子を惜しんで、政務として正しくないと知りながら、そのまま施行してしまう者もいる。一人の役人の小さな感情に逆らえないばかりに、たちまち万人の大きな弊害となる。これこそ、亡国の政治だ。諸君は特に心して防がねばならない。隋の時代、内外の官吏たちは、あいまいな態度で政務を執り、禍乱を招いた。多くの者は、この道理を深く考えなかった。当時、みな『災いは自分の身には及ばない』と思っていた。面と向かっては従い、陰では違うことを言い、それを問題だとも思わなかった。ところがひとたび大乱が起これば、家も国も失われた。命だけ助かった者がいても、刑罰を免れたとしても、みな辛苦してかろうじて生き延び、世論からひどく貶められた。諸君は特に、私心を滅して公に従い、真っ直ぐな道を堅く守り、あらゆる事で互いに啓発し合い、上下でただ同調し合ってはならない」。